馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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【地名夜話】樟葉台場

2024-01-03 23:43:49 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介
【樟葉台場】大阪府枚方市
くずはだいば。
今回もお台場繋がり。
こちらも幕末に築かれた。
品川台場は海ですが、こちらは淀川沿岸の陸地に築かれた。
樟葉は枚方市の北部で石清水八幡宮のある男山の南西に位置する。
東海道五十三次の延長というべき京街道が通る要衝。
本来の京街道は現在の淀川堤防上付近を通っていたが、幕府は国防のために京街道のルートを変更し、少し南側の河岸段丘に築いた台場の中を通すようにした。
京都と大坂を京街道で往復する人は樟葉台場の番所で監視されて通ることになります。
我が輩も京街道歩きで八幡市から男山を越えて南下し、旧街道の淀川堤防を避けて迂回し
樟葉台場を通りました
まずは東へ折れ曲がり北門を入り
真っ直ぐ南下すると番所の前を通る。
すぐに左折し土塁の下を通って南門を通り西へ向かい本来の旧道に合流するという図式。
旅人にとっては余計な迂回で困ったものですが、
 ↓
 ∫:==→===[北門]
淀∫:本     ∥
川∫:来     ↓
 ∫:の     ∥
 ∫:京   【番所】
 ∫:街▼    ∥
 ∫:道     =[南門]
 ∫:        ∥
 ∫:   ▼    ↓
 ∫:    /=== ▼砲台
 ∫: 合流←
幕府にとっては大坂湾に迫る外国船や異国人を取り締まるために必要な防備だったわけです。
3つの砲台▼はすべて南に向けて設置されてます。
で、こちらも国史跡に指定されて公園として整備されました。
ところで、幕末の戊辰戦争では、大坂城を陣地とした幕府軍は薩長軍が護る京都へ向かって攻めのぼる際に樟葉台場が全く役に立たないことに気づいた。
砲台はすべて大坂城方向に向いており、防御は京都側の男山のほうが断然有利。
淀藩の離反もあり、結局薩長軍に占領されました。
皮肉なものですな。
樟葉の地名由来は
ウィキペディアによると
『古事記』崇神天皇条に、武埴安彦命が謀反を起こして崇神天皇の軍に敗れた際に、逃げ落ちた兵士が恐怖のあまり袴に便を漏らし、その場所を「くそばかま」と呼んだものが転じて「久須波(くすは)」になったと記されており、『日本書紀』にも同様の話が登場する。
糞袴→くすは
京阪電車樟葉駅横にくずはモールという大規模商業施設があります。
ここで迷子になった我が輩は
くそーバカ!
クソ漏?る
と言った、とか言わなかったとか…
以上、おしまいダイバ
□■□■□■□■□■□■□■□■
地名パズル
   
  書
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海庫磨野
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答えは次回!
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Φ(*^ひ^*)Φ
次回は、初夏の陽気の頃を予定してます
俗に黄金週間と呼ばれる頃ですが、
天変地異発生で、どうなってますやら…
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
正月三が日終わり、明日から仕事という人も多いのでは?
憂うつな出勤だが、すぐに三連休があるので気は楽なのでは?
我が輩は全く関係なし。
毎日が日曜日、
そして、
毎日が介護の日です
でも明日から親のディサービスが再開するので、少し肩の荷が下りる。
我が輩は隙間を利用してちょこちょこお出かけするつもり
なのだ
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
能登半島地震のニュースを見ていて
意外に思ったのは、雪が無いこと。
普通この時期なら北陸は雪が積もってるはず。
やはり暖冬なのか?
雪が無いのは不幸中の幸いかも?
とはいえ、いまだに余震が発生していて
孤立、断水、停電などライフラインが危機的な地域が続出。
一刻も早く復旧されることを祈るばかりです
馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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