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ハカセ

2008-07-08 12:58:00 | 日記
サクラサクめざせハカセ号(1)大戸屋ランチで応募書類書き
(2)お受験ランチはコンビニ弁当
(3)33番総身に知恵がカラだ巡り茶
(4)33番ラッキーミスター
(5)リボンの騎士とお茶の水博士
(6)入学祝いの桜餅
(7)カルスタ
(8)すてきな先生
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2008/04/16
ぽかぽか春庭やちまた日記>サクラサクめざせハカセ号(1)大戸屋ランチで受験願書

今年11月に息子が二十歳の誕生日を迎えます。
 20歳になったら、子育て卒業。
 今まで「子育てが終わるまでは」と、押さえてきた自分自身の楽しみをいっぱいやって、残り少ない人生を謳歌しなくちゃ、と思うようになりました。

 娘が生まれて以来、なにしろ疑似母子家庭でしたから、ほかのお母さんたちのように「夜、パパたちに子供みてもらってカラオケパーティしましょう」というのに参加したkともなし。我が家には、子供の世話をしてくれるパパはいませんでしたから。
 「実家の母に子供預けて、友達同士で一泊旅行へいくのよ」ということもありませんでした。実家の母は死んじゃってるし。

 女の細腕ひとつで、家計費を担当し、育児もひとりでやってきました。
 服は姉と妹のおさがり。古本「3冊200円」を買うだけが楽しみ。
 必死で働き、夢中で子供を育ててきました。

 中学校教師を退職し、アフリカへ。
 結婚後、娘が生まれた後、再就職しようとしました。しかし、当時「教員採用試験は35歳まで」という決まりがありました。(今はそのような年齢制限はなくなっています)。
 国語科教師として再就職できないとわかったので、大学に再入学することにしました。
 自宅から自転車で通えるところに国立大学があったので、受験し合格。

 国立大学大学院修士課程を修了したとき、娘は小学校3年生。息子は保育園児でした。
 大学院博士課程に進学する友達に「いっしょに入学しよう」と誘われたのだけれど「子供が成人するまでは、仕事と子育てだけにしておく」と、言ったのです。

 来年1月には息子の成人式。そしたら、来年4月にでも博士課程に入学しようかと思うようになりました。
 仕事を続けながらも、無理ではありません。

 博士課程は、授業への出席ははごく少ない。
 博士課程の学生の多くは、高校や塾などで講師のアルバイトをしながら、博士号のために論文執筆を行います。
 私が大学講師を続けながら博士課程の学生になることもできる。

 ただ、問題は、受験勉強。
 私の出身校国立大学の博士課程では、語学試験が二カ国語必修でした。語学が弱い私には、二つなんてとても無理。仕事を中断して博士課程のために受験勉強するなんてこともできないし。

 しかし、私立大学の博士課程で、語学試験は英語だけという大学院を見つけました。
 試験は、英語と小論文と面接だけで、これまでの論文業績や、社会人としての実績を評価する、というのです。
 仕事を中断することなく、現在の勤務を続けながら博士号をめざす社会人にとって、入りやすいコースです。

 来年の受験のために、どんな入試問題がでるのか、知りたいと思いました。
 国立大学大学院だと入試問題を公開しているところもあり、市販されていて買うことができる大学もあります。

 しかし、私が受験しようと思った大学院は、「試験問題は非公開」ということだったので、来年受験するつもりで、お試しで今年、入試を受けてみようと思いたちました。そしたら、どんな試験問題なのかおおよそのことがわかる。問題自体は同じ問題は出題されないけれど、英語や小論文試験の出題傾向がわかる。

 2月、受験申し込み最終締め切り日、午前中は出講先のひとつで講師会議がありました。会議がおわって、駅前の大戸屋というチェーン店和食屋でおおいそぎでランチかっこみながら、応募書類を書きました。履歴書、業績書、、、、
 鶏と野菜の黒酢あん定食724円、1093kcalと、ドリンクバーのコーヒー189円

 私は貧乏性なので、ドリンクバーの場合、最低でも2杯は飲むのに、履歴書に貼る写真がないことに気づいて、1杯だけ大急ぎで飲み干して、大戸屋をでました。
 駅においてある3分間写真で写真をとって、履歴書にはりました。履歴書・業績書などは、就職面接用に前にかいたものを利用。
 研究計画書、もう時間がないから、適当に書き込み。

<つづく>


2008/04/17
ぽかぽか春庭やちまた日記>サクラサクめざせハカセ号(2)お受験ランチはコンビニ弁当

 応募書類は郵送必着と書いてあったのですが、郵送では今日中にはとどかないから、自分で大学院事務室へ持っていきました。
 ぎりぎり5時の事務室オープン時間に間に合いました。

 受験番号33番。たぶん、私が最後の応募者だから、受験人数は33人。博士課程募集人数は9名。3倍かあ。
 けっこう応募する人がいるんだなあ。でも、私は今回はお試しだし、今年合格しなくても、どうということもない。受験するのヒミツだもん。気楽に行こう。
 そうだ、33番って、ミスター長嶋の監督時代の背番号だったよね。ラッキー番号かも。

 入試、ドキドキでした。
 席について確認したら、シャープペンシルがペンケースに1本しか入っていなかった。作文添削用の赤ペンは3本も入っていたのに。

 集合時間に遅刻しないようにあわてて家をでたために、ペンケースを確認しなかった。
 シャープペンシルの芯が入っていなかった。変だなあ、入れておいたハズなのに。
 「コンビニまで、シャーペンの芯を買いに行ってきたいのですが」と申し出たら、もう、試験説明が始まるからと言って、事務官が2本、芯をくれました。

 9時半から英語の試験。
 うゎあ、全然英文が読めなくなっている。なにしろ、仕事に追われる毎日で、論文など英語で読むのは敬遠し、翻訳が出ているものしか読んでこなかった。
 会話は前よりうまくなってきたけれど、読む力は大学院修士課程で学んでいた頃に比べると、格段に落ちていた。英文和訳、最後まで翻訳できなかった。落ち込む落ち込む。

 10時40分から。小論文執筆。
 英語ができなかったかわりに、小論文では裏表ぎっしり日本語を書き連ねました。日本語だったらいくらでも書ける。

 「国家とは何か」「文化研究について述べよ」などの小論文選択問題のうち、私が選択した論題は、いちばん何とでも書けそうな「私の専門は社会にどのように貢献できるか」というタイトル。
 実際、私は自分の専門研究を教育に生かしているのだから、「ケーススタディ」としてずらずら書きました。

 お昼ご飯は、コンビニで買ったお弁当。
 私は受験者中ラストの受験番号だから、午後の面接試験は一番最後。
 外に出てレストランで食べる時間は十分にあったのだけれど、のんびり食べていて受験番号呼ばれたのに間に合わなかった、なんてことになってもこまるので、コンビニでお弁当を買って来ました。

 落ち込んだ気分でコンビニ弁当食べながら、久しぶりに「試験をされるほうの立場」になってみるのもいい経験だった、と思いました。
 いつも試験問題を作って、学生に試験を課すほうにばかりいると、試験を受ける側の気持ちがわからなくなってしまう。

 試験を受けて、どきどきしたり、まちがって落ち込む気持ちを味わうのもいいんじゃないかと思ったのです。
 ほんと、どんと落ち込むほど、英語はさんざんな出来でした。

 ペンケースのポケットファスナーを開けたら、シャープペンシル芯のケースが3つ入っていました。ほら、やっぱり持ってきていたのだった。

<つづく>


2008/04/18
ぽかぽか春庭やちまた日記>サクラサクめざせハカセ号(3)33番、総身に知恵がカラだ巡り茶

 1時からはじまった面接試験。指導教官ごとの面接。
 私の受験番号33番は、ラストなので、面接も最後です。
 ひとりずつ控え室から呼ばれていく時間を見ていると、ひとりにつき20~30分くらい時間をかけていることがわかりました。面接重視なのでしょう。緊張してきた。

 コンビニで買った「からだ巡り茶」というのを、チビリちびりと飲みながら本を読んで待っていましたが、あまり本の内容は頭に入りません。
 「大男総身に知恵が回りかね」という川柳がありますが、大男でなくても、「メタボ女総身に知恵がカラだ巡りちゃう」の気分です。

 せめて、からだ巡り茶でも総身に巡らそう。「カラだ」の脳に水分がよく巡っていく。
 いかん、巡らせすぎてトイレに行きたくなってきた。でも、トイレに行っている間に名前を呼ばれるかもしれないし。どうしよう。

 落ち着かないので、大学院案内のパンフレットに掲載されていた指導教官の論文タイトルなど眺めて待っていました。
 2時間待ち続け、3時すぎて、ようやく私の順番になりました。
 
 指導教官ごとの面接というので、教官ひとりと面談と思っていたのに、面接官が4人、ずらりと前に並んでいる。
 一人一人から尋問を受ける。警察の留置場シーンみたいだ。刑事が犯人に自白を迫るように、ぐいぐいと質問してくる。

 「受験動機は?今の仕事に博士号が必要ですか?」

 大学の講師として働いている現状に、博士号が必要というわけではありません。
 私は修士号に加えて、第一回日本語教育能力検定試験に合格しているので、仕事の上では博士号が必要なわけではない。

 友人の何人かが、博士課程に進学して論文を提出し、「課程博士」になりました。
 大学に職を得たのち、論文を書いて博士号を得た人もいます。博士課程には進学しないで論文審査だけで博士号を取る人のことを「論文博士」と呼びます。

 博士号をとりたいという思いは持っていましたが、友人たちがつぎつぎに博士号を取得しても、私自身は、博士論文は、仕事が定年になってからゆっくり書くつもりでした。

 だから、「研究計画をもっときちんと述べてほしい」などとつっこまれても、計画なんてまるで持っていなかったのです。
 何を答えたらいいのか、頭が真っ白になった。
 来年受験する予定だから、今、計画なんてあるはずない。

 「当方の大学院を選んだ理由は?」と、聞かれて、えっと、え~と。
 「試験問題傾向を知りたかっただけです。今年はお試し受験です」なんて、言えないし。

<つづく>


2008/04/19
ぽかぽか春庭やちまた日記>サクラサクめざせハカセ号(4)ミスター33番はラッキーナンバー

 2007年に中国で受け持った教え子たち、半数は今年2月に博士課程入試に合格しました。後の半分は、7~8月入試、9月入学の予定です。
 「4月から博士課程に行きます」という教え子からのお知らせが届きました。

 受験動機を聞かれて、「未来に向かって夢を語るハカセの卵たちをみていて、みんな夢があるなあ、と、うらやましくなってきたので、とりあえず入れそうなところに応募したんです」ってのが正直な気持ちですが、面接官にはそんなこと言えませんが。

 去年中国で受け持った教え子は、中国全土から選抜された大学若手教員です。修士号を中国でとった教師の中から選抜して、日本で博士号を取らせるという、中国と日本文部科学省の共同プロジェクトに選ばれた人々。

 去年、日本語作文指導の授業を思い出しました。
 赴任地中国での教え子たちとの授業。作文の時間、「日本語の手紙の書き方」を指導しました。

 拝啓、から敬具までの手紙形式の練習。
 下書き、私の添削、清書を経て、実践編として、日本の留学先の指導教官宛メールに、日本語で書いた作文を添付させました。

 普段、教え子たちと日本の指導教官の連絡は英語メールですが、日本語がどれくらい上達したかを知らせるために、日本語作文を添付させたのです。
 手紙の内容として、自分の専門のこと、日本語学習のようすを書きなさい、と指導しました。

 印象をよくするために書いておいたほうがいいこととして、「指導教官の研究室ホームページを見て、先生の著作とか論文のタイトルを作文に書き入れなさい。英語の論文がホームページに公開されていたら、まず読んでみなさい。

 日本語の論文の場合、読んでも理解できないところもあるでしょうが、できる範囲で先生の論文内容を把握して、このようなすばらしい論文を読ませていただき、ぜひ先生にご指導いただきたく思いました、と作文に書きなさい」と、学生たちに指導しました。

 そうだよ、学生には、そう書かせたのだった、わたし。

 「指導教官にM先生を選んだ理由を述べなさい」と、面接で言われて、
 「え~と、M先生のこれまでの業績を拝見して、私の追求していきたいテーマとぴったりだと思いました。ぜひ、ご指導願いたく、応募いたしました」
と、答えました。
 
 面接を待つあいだ、からだ巡り茶飲みながら、大学院案内にのっていた指導教官の論文タイトル覚えておいてよかった。
 私が研究したいテーマと、先生ご自身の研究テーマに重なり合う部分がありまる。
 先生は、「共同研究もできそうですね」と、好意的でした。

 大学院博士課程、33名の受験者のうち、10人が合格しました。
 33番は、ラッキーナンバー、やっぱりミスターはすごい。数々のラッキーを「実力のうち」にしてきたミスターのおかげで「ミズラッキー」になれた。

 ミズラッキー、水を飲みながら論文タイトル見ていたおかげで合格です。

<つづく>




2008/04/20
ぽかぽか春庭やちまた日記>サクラサクめざせハカセ号(6)リボンの騎士とお茶の水博士

 今更博士号とったところで、講師の給料あがるわけじゃなし、もうすぐ定年だし、完全に自己満足であることは、承知の上です。
 でも、自己満足でも良いって思っています。

 ダイヤの指輪をねだる女性はかわいいと思ってもらえて、ブランドもののバッグや服を欲しがる女性は愛おしく見える。
 でも、私はダイヤもブランドものも欲しくなかった。

 私は、ただひとつ我が身をかざる「お飾り」として、博士号がほしいと思ってきた。
 わたしにとっては、これがバッグやダイヤや毛皮のコートなんです。かわいらしく見えなくても、いいの。
 どうせ、こどものころから「女の子らしくない」と言われ、成長後は、「女らしくない」「主婦らしくない」と言われ続けてきたんだから、平気。

 女の子らしくないと言われた春庭、実は子供のころ、お姫様になりたかったこともあたのです。
 ただし、今でいう「アリーテ姫派」でした。

 王子の迎えを待つのではなく、自分自身で闘い、運命を切り開いていく姫。そういうタイプ、昔は「りぼんの騎士」のサファイア姫だけでした。私も大きくなったら、あこがれののサファイア姫になるはずだった。
 姫になったあかつきには、世界を駆けめぐって平和を築くのです。

 お姫様にはなれないとわかって、次になろうと思ったのは「探検家ハカセ」でした。
 アフリカ探検のリビングストン博士にあこがれて、将来は世界の秘境を探検するハカセになろうと思いました。

 小学校6年生の卒業文集に「将来はジャーナリストになります」と書いたのは、探検家を目指すなら、ハカセよりはスタンレーのようなジャーナリストのほうがよさそうだと思ったから。

 インカやアステカを探検するなら、泉靖一博士のように、文化人類学を専攻したらいいのだな。
 でも、本多勝一『極限の民族』のように書くならやっぱりジャーナリストか。
 アフリカ探検なら、山口昌男か川田順造をめざすとよさそうだな。あらら、二人とも東京外国語大学の先生だよ。よし、めざせガイゴ大。めざせハカセ。

 ハカセと言えば、お茶の水博士水道橋博士は総武線だけど、そうね、私は東西線利用者。
 サンプラザ中野や、落合監督にはなれなかったし、神楽坂ゲイシャも無理そうね。
 早稲田の学生にはなったことある。高田のババァにもなれそう。
 ハカセになったら、飯田橋博士と名乗ることにしよう。竹橋博士でもいいか。
 大手町小町にもならなかったし、日本橋デパガにならず、茅場町証券マンにならず、木場で角材乗りもせず、ああ、何言っているんだ私は。東西線の駅名を並べているだけです。

<つづく>





2008/04/22
ぽかぽか春庭やちまた日記>サクラサクめざせハカセ号(8)カルスタ

 私がこれから学んでいくつもりの分野は、カルチュラルスタディーズ=文化研究。
 その中で、比較文学・比較文化を中心に研究します。

 1988年以来、日本語教師として仕事を続け、日本語学を研究。修士論文のテーマも「現代日本語の再帰構造」だったから、文学研究とは遠ざかる一方でした。
 でも20年間「いつか、文学研究に戻りたい」と、思い続けてきたのです。

 私がカルチュラルスタディーズに興味をもったのは、1995年になってからでした。
 1996年には、カルチュラルスタディーズの大立て者スチュアート・ホールの日本講演とシンポジュームを聞き、友人に「これぞ私が欲していた分野だった。どうしていままでこの分野に出会わなかったのだろう」という手紙を書きました。
 しかし、専門的に研究するチャンスはまだまだ遠かった。

 カルチュラルスタディーズは、現代文化を扱い、サブカルチャーをテーマにすることが多いため、ひところから、「カルスタ」という揶揄を含んだ呼び方がなされるようになりました。
 新アカデミズム派の略称「ニューアカ」に揶揄の意味を含んでいたのと同じく「一時のはやりすたりもん」と、見なされてきました。

 ウィキペディア解説によれば、
 『 通称カルスタ。しかしこの略称が用いられる時には、厳密な方法論的検討を経ずに多様な学問領域を「お手軽に」横断してしまう研究という、若干軽蔑的なニュアンスが伴っていることも多い 』
 ですって。

 わたしは、「文化研究」という学術用語でなく、「カルスタ研究」をめざします。「軽スタ」という揶揄的な呼び方自体が好きですし、私がやろうとしていることは、「厳密な方法論的検討を経ずに多様な学問領域をお手軽に横断してしまおう」ってことですから。
 今までの「春庭の雑学研究」を、これ以後「春庭の軽スタ研究」と、呼ぶことにします。

<つづく>


2008/04/23
ぽかぽか春庭やちまた日記>サクラサクめざせハカセ号(9)すてきな先生

 これまでの大学&大学院で教育を受けてきた合計17年間で、私の専門はコロコロと変わったように見えます。
 自分の中では「ことばと文化」というテーマは一貫しているつもりなのだけれど、所属の学科や専攻の上では「ころころ」変わったことになっている。

1,私立大学日本文学専攻「日本古典文学・比較神話学」卒論テーマ『古事記』
2,私立大学大学院研究生「演劇学・比較芸能学」ケニア・ナイロビでアフリカンダンス修行をするも、夫と出会い、研究断念。
3,国立大学日本語学専攻「日本語学・言語学」卒論テーマ「日本語の他動詞文」
4,国立大学外国語学専攻「日本語学・日本語教育学」修論テーマ「現代日本語の再帰構造」

 さて、今回入学の博士課程の専攻は。
 「異文化交流の激しい現代にあって、人類文化への深い知識と洞察力を養いつつ、未来志向の、全人類文化の調和と融合を探求する。
 全人的な学識と高度の専門知識をもち、国際性と創造性に富む研究者を育成する。
 文化及び文学を研究する」
というのが、専攻案内にある説明。

 指導教官は「比較文学」の専門家、現代文学ポストモダンフィクションを研究している女性研究者です。
 先生、面接のときは金髪に染めていらした。私の夫と同学年のはずだけど、はるかに若く見えます。

 大学院案内の写真でも美人ということはわかるけれど、実際に見て、人となりや雰囲気がわかりました。すてきな先生だったので、うれしく思いました。

 先生の授業では、
 「ポストコロニアル研究、カルチュラル・スタディーズ、ジェンダー研究などの成果を踏まえ、国際関係研究、地域研究などの社会科学との補完協働研究を行い、多文化、多言語化する現代社会を理解する。
 具体的な比較研究として、日本および欧米の現代小説 、特に歴史ナラティヴを取り上げ、いかに過去が語り直され、歴史が検証されているか、比較考察する」
そうです。

 検索大好きッ子の私、先生のパートナー(アメリカ人)の名前をつきとめました。ジョン・T・D先生。
 先生がアメリカ留学中に、キャンパスで出会った方と思います。

 パートナーの専門分野、勤務先の大学名、論文などを検索できました。
 つぎつぎに関連項目をクリックして検索をつづけ、ある事実をつきとめるってゲームは、推理小説のなぞときに匹敵するおもしろさがあります。老後の暇つぶしにぴったり。
 あ~、老後じゃないんだった私、これから学生やるんだから。
 めざせハカセ!!がんばれガクセイ!

<おわり>
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