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ぽかぽか春庭「横浜・えのき亭&山手234番館、山手資料館」

2014-03-08 00:00:01 | エッセイ、コラム

山手234番館

2014/03/09
ぽかぽか春庭@アート散歩>横浜鎌倉洋館散歩(4)えのき亭&山手234番館、山手資料館

 横浜山手地区の洋館めぐり。
 市の所管になっている建物のほかにも、横浜開港当時からのさまざまな建築物が市内各所にあります。1月17日は「個人の邸宅」を中心にめぐったのですが、
外観を見るだけで中に入る時間がなくてちょっと残念だったところがあります。

 えの木亭本店。
 1927(昭和2)年建設の洋館を利用したカフェレストランです。
 現在の所有者は、自宅用として1970年に買い取ったあと、1979年にスイーツ&カフェの店としてオープンしました。


 お店サイトの建物説明では、となりに建つ山手234番館と同じく朝香吉蔵の設計で、アメリカ人検事の家だったとのこと。



 山手234番館は、朝香吉蔵の設計により、1927年頃に建築された外国人向けのアパートメントハウスでした。戦後の米軍による接収を経て、1980年頃までアパートメントとして居住されてきました。1棟の建物の中が、右と左に1戸ずつ、上下1階と2階。計4戸の共同住宅でした。1989(平成1)年に横浜市が買収。1999(平成11)年から一般公開されています。現在は、市民サークル活動などに利用されているそうです。







 朝香吉蔵(1889 - 1947)は、1907(明治40)年、山形県立米沢工業学校建築家を卒業し、岐阜県富山県の営繕課、横須賀海軍などの勤務を経て1923(大正12)年に独立。作品は、この山手234番館、山手89番館(現・えの木亭)のほかは、知られていません。(求む情報!)

 外人墓地の手前に山手資料館があります。旧中澤兼吉邸です。


 中澤家は、兼吉の父親・中澤源蔵が始めた居留地外国人相手の牛乳販売が大成功して以来、資産家となりました。源蔵は、横浜市諏訪町11番地に、中澤牧場を開設しました。



 次男の兼吉は、父の始めた牧場から事業を拡大していきました。牛の繁殖業、食肉処理場をはじめ、牛肉保存のために冷凍工場(横浜冷凍の前身)、アメリカからホルスタイン種の乳牛の輸入し日本各地に転売し、三宅島酪農組合に協力して三宅島バターの生産をする、など食肉に関する事業のほか、それらの事業のための工場を建てることから、学校から橋梁までの建設工事と発展しました。

 1909(明治42)年、横浜市本郷町(本牧上台57番地)に広大な邸宅を建設。諏訪町の牧場が市街化によって動物飼育に適さなくなると、大正年間に牧場をやめ、1929(昭和4)年、諏訪町に邸宅を移築しました。
 戦後の中澤家は、不動産業を事業の核とし1975年に、山手に外人用マンション「山手ハウス」を建設。現在も中澤事務所は不動産管理業を主な事業にしています。

 1月17日の横浜散歩、帰り際に「クリーニング発祥の地」という記念碑を見ました。
 横浜は、江戸時代まで日本にはなかったさまざまな新事業が始められた町です。外人相手の洋裁店もクリーニング店も横浜からはじまり、外国人の食生活のために、食肉や牛乳、バターなどの生産も横浜の新事業となりました。中澤兼吉も外国人相手の事業を成功させた人物のひとりであったのです。

 1899(明治32)の条約改正によて、諏訪町を含む山手地区は外国人居留地ではなくなりましたが、多くの外国人が山手地区に住み続けました。

 山手資料館になっている建物は、兼吉が明治年間に地元の大工(戸部村在住)に建てさせた、いわゆる「擬洋風建築」のひとつです。大工の名などは記録も残されていないようです。(求む情報!)



 1月17日は、内部を見ることができませんでした。(美術館にまわる時間が迫っていたので)また横浜巡りをするときは、山手資料館のとなりの山手十番館でランチ、えの木亭でケーキ&お茶。優雅な一日を過ごしたいです。

 山手資料館の玄関に置かれていた飾りの乳母車。私が子供の頃自分も乗せられ、妹を乗せて押して歩いた我が家では「ゴーゴー」と呼んでいたのと形が同じようだったので、しばし郷愁にひたりました。うちのゴーゴーは上部の籠のところは籐を編み込んでありました。
 横浜居留地の幼児たちも、こんな乳母車に乗って山手あたりを散歩していたのでしょうか。
 

<つづく> 
コメント (2)
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