春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「横浜・ブラフ18番館」

2014-03-04 00:00:01 | エッセイ、コラム

2014/03/04
ぽかぽか春庭@アート散歩>横浜鎌倉洋館散歩(2)ブラフ18番館

 ブラフ18番館は、外交官の家の横に移築復元されています。ブラフとは、「切り立った岬」という意味で、横浜山手が外人居留地だったころに、山手地区をブラフと呼んだことにちなむそうです。

 1923年の関東大震災で、居留地時代から横浜に住んできた西洋人の家は、ほとんどが倒壊、または火災で消失してしまいました。そんな中、山手町45番に住んでいたR.C・バウデンは、倒壊した材木の中から使用できるものを選んで、新しく家を建て直しました。バウデンはオーストラリア人貿易商として、活躍したそうですが、館が完成してまもなく母国へ帰ってしまいました。そのため、正確な竣工年や設計者施工者が誰であったかなどの記録が失われてしまっています。
 震災前の古い木材が再利用されていた、ということも、横浜市が復元のために行った解体作業の過程で判明したということでした。



 オーストラリアにバウデンの孫夫妻が住んでいて、このブラフ18番館に来訪したことがあるということなので、もしかしたらオーストラリアに、設計図などの記録が残されているのかもしれません。




  
食堂

 戦後は、現カトリック横浜司教区の所有となり、教会の司祭館として使われてきました。イタリア山に復元後は、「横浜外国人の暮らし」を再現する展示となっており、横浜に集まっていた「西洋家具職人」たちが制作した「横浜家具」のテーブルと椅子、箪笥などが室内に配置されています。
 復元された横浜家具

 赤い屋根に緑の窓。横浜に「異人さん」たちが住んで西洋の生活スタイルを見せていた頃、それを近隣で見ていた人にとって、どれほどの驚きであり、魅力的な光景に思えたことでしょうか。風に窓の白いカーテンがゆらめく。そんな光景を遠くから見ただけで、自分たちとは異質な世界に胸ときめいた人もいたのではないかと思います。

 世界は近くなり、飛行機に乗ればあっというまに世界中のどこにでも行ける時代になった現代ですが、「自分とは異なる世界へのあこがれ」を持ち、「どこかここではない場所」を夢見ることができた人たちは、それだけでもしあわせだったのではないかと思います。

<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする