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ぽかぽか春庭「横浜・エリスマン邸」

2014-03-06 00:00:01 | エッセイ、コラム


2014/03/05
ぽかぽか春庭@アート散歩>横浜鎌倉洋館散歩(4)エリスマン邸


 エリスマン邸は、スイス人F・エリスマン(Fritz Errismann:1867~1940)の私邸として1926(大正15)年に建てられました。
 エリスマンは1967年、スイスチューリヒに生まれ、1888(明治21)年、21歳のとき来日。シルクタウンとして生糸貿易の拠点だった横浜の生糸貿易商社「シーベル・ヘグナー商会」横浜支配人格として働きました。
 1940(昭和15)年に亡くなり、山手の外国人墓地に埋葬されました。

 チェコ生まれの建築家アントニン・レイモンド(Antonin Raymond, 1888 - 1976)設計で、洋館と和館が併設されていました。和館は妻となった日本人女性が使用し、洋館はエリスマンの居間や客間として使用されていた、ということです。

 エリスマンが亡くなったあと、すぐに人手に渡ってしまったのか、40年間は家族が暮らしていたのか、調べていませんが、和館洋館の建っていた土地は1982(昭和57)年にマンション分譲会社の手に渡り、マンション建設が始められました。和館は解体。洋館は近隣の人々の保存運動によって、解体後すべての建築部材が横浜市に寄贈されました。



 1988(昭和63)年に、現在の地に移築復元されました。
 エリスマン邸は横浜市が「解体された洋館の部材」を使って復元建築を行った最初の建物で、その後、洋館移築復元が続き、横浜の新名所となっています。




 このことは、建物見物趣味の者にとってたいへんありがたいことなのですが、欲を言うなら。
 新築当時の資料を元に復元されているので、復元建築物はどこもぴっかぴかなのです。建物ファンは、100年前の建物は百年分古びたようすで目にしたいのが本音。移築復元とわかっていても、あまりに新築然としているより、ちょっとペンキなんぞ禿げていたほうが趣のある洋館ぽい気がするのです。勝手な思いであることはわかっているのですが。

 久しくだれも住んでいない、古びた洋館、というだけでなんだか物語ができそうです。古い和館と洋館が並びたち、和館には老婦人がひっそりと住んでいます。洋館はかって老婦人の夫が貿易商として活躍していたときのそのままにしておかれ、ときに婦人は足音もひそやかに夫の書斎、寝室をめぐります。かっては夫が招いた客とともに談笑し、ときにダンスに興じた居間。老婦人はそっとカーテンを腕にとらえてステップを踏んでみる。
 夫が亡くなってから、もう40年もの年月が過ぎ去った。やがてこの身も夫のもとへいくであろうけれど、ついに来るその日までは、夫の使ったタイプライターも、夫のパイプケースも、そのままにしておきたい、、、、

 なんてね。妄想しながら見学し、そっか、新築当時に復元されたとはいっても、それからすでに25年は経っているのだなあと計算してみる。法隆寺が建てられてから1300年経っているのに比べれば25年というのは、建物の寿命からいけばまだまだ若造なのだろうけれど。

<つづく>
コメント (2)
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