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ぽかぽか春庭「東京ガイドたてもの園と後楽園」

2014-03-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/3/20
ぽかぽか春庭にっぽにあにっぽん語教師日誌>ありがとうさよなら(3)東京ガイドたてもの園と後楽園

 チェコの留学生ルカ君は、日本留学中は「茶道部」に入部し、大勢の日本人の友達ができた社交家です。2月21日は、茶道部の学生と会う約束なので、その間ご両親はホテルで待機している予定と言うスケジュールを聞きました。
 せっかく日本に来たのに、ホテルにいるだけではつまらないだろうから、私がお二人といっしょにいましょう、という約束ができました。午前中は、江戸東京たてもの園で日本の古い建築を見学、午後は、ご両親に大学を見せて、ルカ君は茶道部のサークル仲間との交流会。ご両親は、私がホテルの近辺を案内する、というスケジュールです。

 朝、10時に待ち合わせ。ルカ君のお父さんは電気関係の仕事をしてきたエンジニアで、東芝や日立などの電気会社がチェコで仕事をしたときに関連会社で働いた経験があります。21日は、日本の古い建物に興味があるというご一家を江戸東京たてもの園に連れて行きました。

 西ゾーン中央ゾーンで、江戸時代に建てられた農家、明治の大富豪三井八郎右衛門邸、来日したドイツ人建築家デ・ラランデ邸、日本の政治家高橋是清邸を見ました。

高橋是清邸前のルカ一家


 226事件の背景をルカ君に質問されたのですが、私の英語力では、事件の概略は説明できても、昭和戦前の時代背景をうまくまとめて説明できませんでした。「う~ん、あとで日本の近代史を読んでください」と終わりにしました。ルカ君の専門は「国際関係研究」です。

 次に東ゾーンで、昭和の町並みと銭湯を案内。共同風呂の説明は、なんとなくわかってもらえましたが、たぶん、ご夫妻の頭の中では、温泉と同じになっていると思います。

 小金井公園の梅林も見てもらいました。夫妻は京都でいろいろなお寺を見たとき、もっともびっくりしたのは、冬なのに花が咲いているのを見たことだと言います。写真に撮った花を見たら、山茶花でした。カメリア(椿)の一種だと説明したのですが、チェコでは冬に花咲くのは見たことがなく、すべての花が枯れるのが冬という季節だ、というのです。
 梅もたいへん喜んで写真を撮っていました。

 次に、大学へ行きました。ヨハンさんは、息子が留学した大学を見ることができて、大いに満足していました。
 大学の食堂でランチをとり、ルカ君は茶道部の仲間と会うためにサークル部室へ。私はご夫妻を連れて後楽園へ行ってみることにしました。

 ルカ君は当初、「神奈川に日本の庭園とたてものが美しいところがあると友人に聞いたが、そこにはどう行くのだろう」と質問してきました。たぶん、三溪園のことかと思いましたが、三溪園に行くには、大学見学と両方を一日でまわるのは無理。そこで、江戸東京たてもの園と後楽園というコースにしたのです。

 後楽園でも梅が咲き始めていました。あいにくと、池の改修工事中で、池まわりの景色は普段よりは綺麗じゃなかったけれど、梅林をまわって、日本庭園のひとつを紹介できたので、喜んでもらえました。

 後楽園の四阿に「水戸御老公の衣装を着て写真を撮ろう」というコーナーがあったので、御老公のちゃんちゃんこや着物を着てパチリ。



 最後は、後楽園から文京シビックセンターへ。23階の展望室から東京のビル群を眺めて、19日に新宿、20日に浅草へ行ってきたというので、「あそこが新宿、あちらが浅草」と、眺めました。東京スカイツリーもよく見えました。

 お二人をホテルまで連れていき、「ふたりは無事、ホテルに帰りました」と、まだ茶道部部室にいるルカ君に電話しました。
 ルカ君は、「私が茶道部の交流会に参加している間、ふたりをどうしようかと思っていたけれど、先生に案内してもらって、とてもよかった」と喜んでいました。

 ルカ君は、「先生がチェコに来る日、私たちは歓迎します」と言ってくれたのだけれど、「たぶん、10年後くらい」と答えました。

 今回、留学生のご両親を案内したことは、私にとっても初めての経験でした。日本語を学習中の学生と出かけるときは、日本語と英語を混ぜながらなんとかコミュニケーションをとることができますが、日本語も英語も離せないご夫妻とすごすのは初めてのことだったのです。おふたりが、私の拙いガイドを喜んでくださったことが、私にとっては大きな収穫でした。

 次に会うのはいつになることかわかりませんが、ご夫妻が東京でいっしょに過ごした2日間を、アルバムをめくりながら思い返す日があるのだと思うと、私もとてもうれしい。
 たぶん、私は、「誰かの思い出の中に残る私」を求めていたのだろうと思います。「ルカ君一家の思い出の中に残る私」を作ってくれて、ルカ君、ありがとう。

<つづく>
コメント (2)
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