20170128
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>季節のことば冬(2)消える季語、紙衣インバネス
伊勢正三の造語「なごり雪」が1974年にリリースされてから、2013年に「気象庁季節のことば」に採用されるまで40年もかかりました。一方、中村草田男の造語「万緑」は、1939(昭和14)年に「万緑の中や吾子の歯生え初むる」が発表されて以後、比較的早いうちに季語として認められたように思います。草田男が俳句雑誌「万緑」を主宰発行して俳句界に認知されたこともあるでしょうが、「流行歌の中の造語」と、伝統ある俳句のなかの造語、の違いで認知度が異なったような気もします。ボブ・ディランの歌詞を文学と認めるような先見の明のある人は、国語界にはいなかったとみえる。
ともあれ、松尾芭蕉が語ったこととして『去来抄』に書かれていることばに、「先師曰、季節のひとつも探し出したらんは、後世によき賜となり」であるからして、四季折々の己の感じ方をひとこと書き残しておき、「後世の賜」になるなら、ことばを商売道具として生きている者にとって、これほどうれしいことはないでしょう。
また、消えていくことばを惜しむのも、ひとつの道程。
歳時記の中に、自分が知らないことば、ことばとして知っていても、実際に見聞きしたことはない語などを見つけると、明け方に薄らいでゆく星の光のように、なにやら惜しい気にもなってきます。
歳時記冬の部から、消えゆく語をさらってみます。
・荒星(あらぼし)
冬の冴えた夜空に、いっそう寒さが増すように鋭く光る星。寒星(かんせい)ともいうが、荒星というと、その光はキーンと張り詰めるように天に輝く。
・インバネス
旅番組が好きでよく見ます。先日スコットランドを巡る旅番組の中にインバネスという町(ハイランド地方の中心都市)が出てきて、ああ、そうだ、インバネスコートはこの町で作られたということだったなあと思い出しました。
インバネスは、シャーロック・ホームズ愛用の衣装としてドイル小説の挿絵になり、世界に広まりました。日本では男性用和装コートとして明治から昭和前期に流行しましたが、太平洋戦争後はもうすたれた服と見なされていました。私も舞台や映画の中で見かけただけで、実際に自分の目でインバネスコートを見たことはありません。
・鎌鼬(かまいたち)
冬、突然皮膚が裂けたように切れ目ができ出血するが、痛みはない。これは、妖怪鎌鼬のしわざと見なされました。
冬の冷えた空気の中、皮膚表面が気化熱によって急激に冷やされるために、組織が変性して裂ける生理学的現象(あかぎれ)ということのようです。
現代の子どもには、水木しげる「ゲゲゲの鬼太郎」の中に登場する妖怪のひとつ。娘の知っているゲームの中には、両手が鎌になっているイタチが出てきて、けっこうかわいらしい姿なのだそうです。
どうやら鎌鼬は消えていく語ではなく、妖怪ブームの今の世には主役級のひとつらしい。
・紙衣(かみこ)
木綿衣料が出回るようになった江戸期以前、冬の衣料として紙衣は大事な防寒着でした。紙に柿渋を塗って天日に干し、よく揉んで柔らかくして着物に仕立てました。近世以降は、絹も木綿も買えない貧乏人の衣装、と見なされるようになりました。
今では柿渋を塗った衣料など来ている人はないと思いますが、紙の博物館の展示に、紙を衣料として新しい繊維製品を開発されている、という紹介がありました。
高浜虚子の句に
・繕うて古き紙衣を愛すかな
というのが歳時記の例句にありますが、明治の虚子のころでさえ、紙衣はもはや新しいものは作られぬ時代であったでしょう。
・消炭(けしずみ)
私が育った家の風呂は、薪を焚く五右衛門風呂でした。長女の姉は、母の手伝いをして料理が得意になりましたが、私は薪割りと風呂焚きが受け持ちの仕事。薪割りは得意の仕事でした。
もうひとつ風呂焚きの大事な仕事は、消炭作りです。薪がほどよく炭になったところで、火消し壺に入れておく。料理用に七輪に炭をおこすときは、消し炭をのせて新聞を少し燃やせば、すぐ消し炭は赤くおきてくる。そこに堅炭をのせる。
七輪は今も愛用者がいて、ネット販売でも売られているようですが、消し炭はさすがに売り物にはならないでしょう。
毎日風呂焚きをしては消し炭を作るのを「お手伝い」にしていた日々。日常生活から消えていくモノのひとつが消し炭ですが、あの頃のぬくもりの思い出は消したくないです。
<つづく>
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>季節のことば冬(2)消える季語、紙衣インバネス
伊勢正三の造語「なごり雪」が1974年にリリースされてから、2013年に「気象庁季節のことば」に採用されるまで40年もかかりました。一方、中村草田男の造語「万緑」は、1939(昭和14)年に「万緑の中や吾子の歯生え初むる」が発表されて以後、比較的早いうちに季語として認められたように思います。草田男が俳句雑誌「万緑」を主宰発行して俳句界に認知されたこともあるでしょうが、「流行歌の中の造語」と、伝統ある俳句のなかの造語、の違いで認知度が異なったような気もします。ボブ・ディランの歌詞を文学と認めるような先見の明のある人は、国語界にはいなかったとみえる。
ともあれ、松尾芭蕉が語ったこととして『去来抄』に書かれていることばに、「先師曰、季節のひとつも探し出したらんは、後世によき賜となり」であるからして、四季折々の己の感じ方をひとこと書き残しておき、「後世の賜」になるなら、ことばを商売道具として生きている者にとって、これほどうれしいことはないでしょう。
また、消えていくことばを惜しむのも、ひとつの道程。
歳時記の中に、自分が知らないことば、ことばとして知っていても、実際に見聞きしたことはない語などを見つけると、明け方に薄らいでゆく星の光のように、なにやら惜しい気にもなってきます。
歳時記冬の部から、消えゆく語をさらってみます。
・荒星(あらぼし)
冬の冴えた夜空に、いっそう寒さが増すように鋭く光る星。寒星(かんせい)ともいうが、荒星というと、その光はキーンと張り詰めるように天に輝く。
・インバネス
旅番組が好きでよく見ます。先日スコットランドを巡る旅番組の中にインバネスという町(ハイランド地方の中心都市)が出てきて、ああ、そうだ、インバネスコートはこの町で作られたということだったなあと思い出しました。
インバネスは、シャーロック・ホームズ愛用の衣装としてドイル小説の挿絵になり、世界に広まりました。日本では男性用和装コートとして明治から昭和前期に流行しましたが、太平洋戦争後はもうすたれた服と見なされていました。私も舞台や映画の中で見かけただけで、実際に自分の目でインバネスコートを見たことはありません。
・鎌鼬(かまいたち)
冬、突然皮膚が裂けたように切れ目ができ出血するが、痛みはない。これは、妖怪鎌鼬のしわざと見なされました。
冬の冷えた空気の中、皮膚表面が気化熱によって急激に冷やされるために、組織が変性して裂ける生理学的現象(あかぎれ)ということのようです。
現代の子どもには、水木しげる「ゲゲゲの鬼太郎」の中に登場する妖怪のひとつ。娘の知っているゲームの中には、両手が鎌になっているイタチが出てきて、けっこうかわいらしい姿なのだそうです。
どうやら鎌鼬は消えていく語ではなく、妖怪ブームの今の世には主役級のひとつらしい。
・紙衣(かみこ)
木綿衣料が出回るようになった江戸期以前、冬の衣料として紙衣は大事な防寒着でした。紙に柿渋を塗って天日に干し、よく揉んで柔らかくして着物に仕立てました。近世以降は、絹も木綿も買えない貧乏人の衣装、と見なされるようになりました。
今では柿渋を塗った衣料など来ている人はないと思いますが、紙の博物館の展示に、紙を衣料として新しい繊維製品を開発されている、という紹介がありました。
高浜虚子の句に
・繕うて古き紙衣を愛すかな
というのが歳時記の例句にありますが、明治の虚子のころでさえ、紙衣はもはや新しいものは作られぬ時代であったでしょう。
・消炭(けしずみ)
私が育った家の風呂は、薪を焚く五右衛門風呂でした。長女の姉は、母の手伝いをして料理が得意になりましたが、私は薪割りと風呂焚きが受け持ちの仕事。薪割りは得意の仕事でした。
もうひとつ風呂焚きの大事な仕事は、消炭作りです。薪がほどよく炭になったところで、火消し壺に入れておく。料理用に七輪に炭をおこすときは、消し炭をのせて新聞を少し燃やせば、すぐ消し炭は赤くおきてくる。そこに堅炭をのせる。
七輪は今も愛用者がいて、ネット販売でも売られているようですが、消し炭はさすがに売り物にはならないでしょう。
毎日風呂焚きをしては消し炭を作るのを「お手伝い」にしていた日々。日常生活から消えていくモノのひとつが消し炭ですが、あの頃のぬくもりの思い出は消したくないです。
<つづく>