20230204
ぽかぽか春庭アーカイヴ(な)夏目漱石
2003年春庭「おい老い笈の小文」再録です。
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at 2003 10/18 09:48 編集
春庭千日千冊 今日の一冊No.23(な)夏目漱石『それから』
「それから」のラストシーン。三千代を失い、兄から勘当された代助は、「焦げる焦げる」と歩きながら口の中で云った。
「焦げる、焦げる」のセリフだけが印象に残り、東京のどこ、というトポスはまったく覚えてなかった。
「代助は自分の頭が焼けつきるまで電車に乗って行こうと決心した」という場面の、電車に乗り込む駅が「飯田橋」であったことに、今日気がついた。
私は週に3回飯田橋駅で、焦げもせず、東西線南北線有楽町線を乗り換えている。代助の頭の上から真直に射下ろし、「焦げる焦げる」と言わしめたた太陽が、私の頭を焦がすことはない。地下鉄ですから。
at 2003 10/18 09:48 編集 老後は留学生に!
10月15日は、新渡戸稲造の忌日であった。新五千円札の樋口一葉忌日11月23日一葉忌や、現千円札漱石の忌日12月9日漱石忌は歳時記にのっているが、新渡戸忌とか、稲造忌が季語として使われた句があるだろうか。新渡戸はアメリカのジョンホプキンス大学に留学、メリー・P・エルキントン嬢(後の萬里子夫人)と結婚、逝去の地もカナダのビクトリアと、外国関係が多いから季語にするとバタ臭いイメージの句が作れるかも。
明治の留学生は、エリート中のエリートであったが、外国へのなじみ方は、人それぞれ。
夫人を外国で得た新渡戸、ドイツで恋愛したけど、出世にじゃまな恋人は捨ててきた鴎外(エリスのモデルになった女性が、鴎外を追って日本までやってきたが、追い払った)。
一方、漱石は留学先のロンドンで神経衰弱気味になり、下宿に引きこもっていた。
新千円札の野口英世夫人もアメリカ人。新渡戸稲造や野口英世に比べて漱石が外国になじめなかったのは、鏡子夫人に頭が上がらなかったという「国産夫人中心主義」だったから?
「歴史の語り部」澤地久枝の項で、澤地が67歳でアメリカの大学に留学した話を紹介した。
留学するなど、一部の選ばれた人にしか許されなかった中高年世代。退職後の過ごし方として、「海外留学」という、若い頃にあこがれだった夢を実現する人も多い。
澤地の母校、早稲田大学のエクステンションセンターにも、海外留学をめざす中高年のための英語教室がある。
難しい英語論文はどんどん読めたけれど、会話が通じなくて困ったという漱石の時代とは違い、今は中高年も気軽に「Let's study in foreign !」海外留学してみませんか?
=========
2010/02/01
「年金暮らしをより豊かに」という暮らし方のひとつの方法として、海外ロングステイという方法があります。日本の年金を受けて、海外の物価が安い地域で暮らす、というもの。日本人年金生活者を歓迎してくれる町も海外に増えているとか。
ずっと暮らすには躊躇があるという方にも、1年か2年の留学という方法なら、いいんじゃないかしら。
たとえば、英語語学留学にしても、イギリス、アメリカ、カナダという定番ではなく、地中海の島、マルタ島、アフリカのケニアなど、英語で生活できる国の大学はおすすめです。
春庭千日千冊 今日の一冊No.23(な)夏目漱石『それから』
「それから」のラストシーン。三千代を失い、兄から勘当された代助は、「焦げる焦げる」と歩きながら口の中で云った。
「焦げる、焦げる」のセリフだけが印象に残り、東京のどこ、というトポスはまったく覚えてなかった。
「代助は自分の頭が焼けつきるまで電車に乗って行こうと決心した」という場面の、電車に乗り込む駅が「飯田橋」であったことに、今日気がついた。
私は週に3回飯田橋駅で、焦げもせず、東西線南北線有楽町線を乗り換えている。代助の頭の上から真直に射下ろし、「焦げる焦げる」と言わしめたた太陽が、私の頭を焦がすことはない。地下鉄ですから。
at 2003 10/18 09:48 編集 老後は留学生に!
10月15日は、新渡戸稲造の忌日であった。新五千円札の樋口一葉忌日11月23日一葉忌や、現千円札漱石の忌日12月9日漱石忌は歳時記にのっているが、新渡戸忌とか、稲造忌が季語として使われた句があるだろうか。新渡戸はアメリカのジョンホプキンス大学に留学、メリー・P・エルキントン嬢(後の萬里子夫人)と結婚、逝去の地もカナダのビクトリアと、外国関係が多いから季語にするとバタ臭いイメージの句が作れるかも。
明治の留学生は、エリート中のエリートであったが、外国へのなじみ方は、人それぞれ。
夫人を外国で得た新渡戸、ドイツで恋愛したけど、出世にじゃまな恋人は捨ててきた鴎外(エリスのモデルになった女性が、鴎外を追って日本までやってきたが、追い払った)。
一方、漱石は留学先のロンドンで神経衰弱気味になり、下宿に引きこもっていた。
新千円札の野口英世夫人もアメリカ人。新渡戸稲造や野口英世に比べて漱石が外国になじめなかったのは、鏡子夫人に頭が上がらなかったという「国産夫人中心主義」だったから?
「歴史の語り部」澤地久枝の項で、澤地が67歳でアメリカの大学に留学した話を紹介した。
留学するなど、一部の選ばれた人にしか許されなかった中高年世代。退職後の過ごし方として、「海外留学」という、若い頃にあこがれだった夢を実現する人も多い。
澤地の母校、早稲田大学のエクステンションセンターにも、海外留学をめざす中高年のための英語教室がある。
難しい英語論文はどんどん読めたけれど、会話が通じなくて困ったという漱石の時代とは違い、今は中高年も気軽に「Let's study in foreign !」海外留学してみませんか?
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2010/02/01
「年金暮らしをより豊かに」という暮らし方のひとつの方法として、海外ロングステイという方法があります。日本の年金を受けて、海外の物価が安い地域で暮らす、というもの。日本人年金生活者を歓迎してくれる町も海外に増えているとか。
ずっと暮らすには躊躇があるという方にも、1年か2年の留学という方法なら、いいんじゃないかしら。
たとえば、英語語学留学にしても、イギリス、アメリカ、カナダという定番ではなく、地中海の島、マルタ島、アフリカのケニアなど、英語で生活できる国の大学はおすすめです。
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20230205
年金では暮らしていけず、働き続けてきましたが、限界がきています。體は元気だけれど。やる気が、、、、。
<つづく>