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ぽかぽか春庭「辺見庸『もの食う人々』」

2023-02-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230221
ぽかぽか春庭アーカイヴ(へ)辺見庸『もの食う人々』

 2003年のアーカイヴです。
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at 2003 10/27 06:55 編集
春庭千日千冊 今日の一冊No.33(へ)辺見庸『もの食う人々』
 
 辺見庸。一番好きな男性作家のひとり。講演があれば聞きに行きたいし、テレビに出ていればチャンネルをあわせる。ミーハーファンである。

 ただし、彼の小説は好きじゃない。『自動起床装置』『赤い橋の下のぬるい水』などの文体に少しも感応しない。「ぬるい水」に関して言うなら、発情期のオス犬が、我が家の雌犬の匂いが染みついている私のズボンに飛びついておシッコをひっかけた10歳のときに、「ひゃぁ、おシッコだぁ」と思ったのと同じ感覚。エロスもタナトスもありゃしない。
 おシッコ漏らす話ならば、石田衣良『娼年』の中に出てくる、「おシッコをがまんしていて、がまんしきれずにお漏らしをするのが官能の極致」という70代の女性が出てきて、人と人が関わりあうことのヒリヒリした思いに満ちていた。

 辺見の小説にはあまりピンとこないのだけれど、エッセイ、ノンフィクションの文体には「ビビビッ」と「感じる」のである。男の色気にうっとりするのである。
 保健所が捕獲した犬を屠殺する話だったり、中で死刑が行われている最中かもしれない刑務所の塀の周りをぐるぐる歩き回る話だったり、そんな話を読んで、「ああ、こういう人にひっついていっしょに刑務所の周りをぐるぐる歩き続けたい」と、思ったりする私はいったい、、、、?

 「もの食う人々」も、書かれていることは、放射能を浴びた野菜やきのこを食べるしかない人々や、餓えに苦しむ人々が出てきて、泣きたい気持ちになる内容である。しかし、内容の悲惨さに涙しながら、辺見の文体にうっとりしてしまうのだ。いけませんねぇ。

 講演会も聞きに行った。講演の内容は、「死刑廃止運動に関連して」だったりしたが、ミーハーファンは、話の中味が死刑だろうが犬の屠殺だろうが、顔を見ているだけでうれしいのだった。
 講演会の帰りにラーメン屋によったら、相席になったオバサンが辺見の本を読んでいる。ご同輩!と嬉しくなって、声をかけてみた。

 彼女も辺見ファン。「ええ、なんかよく分らないけど、好きなんですよね」と言う。う~ん、ライバルは多いようだ。
 ライバルに負けずにがんばるぞ!って、何をがんばるんだか。いや、だから、灰になるまで、がんばります。

at 2003 10/27 06:55 編集 灰になるまで燃え尽きたい
 老人ホームで、70歳過ぎの女性入居者が、70代80代の二人の男性を相手に、一回300円で関係を持ち、片方の男性が嫉妬のあまり、もう片方を刺す、という事件があった。
 女性にとって、300円が欲しいのではなかったろう、自分が「恋しい相手」として認められ、その存在を欲求される、そういう自分自身でありたかったのだろう、と想像する。

 大岡越前(だったかな?)が、母親に尋ねた。「女は、いったいいくつまで閨房を共にしたいと思うものでしょうか」母御は黙って火鉢の灰をかきまぜ、大岡は「ははぁ、女性は灰になるまで現役か」と、悟ったという話。さよう、骨になり灰になるまで、女は燃え尽きたいのである。

 私など、酸素不足不完全燃焼のまま、一酸化中毒死しそうである。もっと光りを(by goete)、もっと酸素を!(by haruniwa)。新鮮な空気と光と水を!私だって光合成したい。あれ?光合成に使うのは酸素ではなく、二酸化炭素だったっけな。
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2010/02/16
 2004年に病に倒れて以来、脳梗塞や癌と闘っている辺見庸。
  今年ようやく『自分への審問』を読みました。いつまでも私の「闘う良心」であってほしいです。私はどうもグズグズで、自分の半径3m以内のことどもにかかずらわっているだけで精一杯。もっと広く深く世の中を見たくもあるけれど、せいぜい「上村愛子にメダル取らせてあげたかった」と、人様のがんばりを消費して楽しむ程度でございます。
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20230221
働かなければくらしていけない高齢者生活もながくなりました。
夫も腎臓透析患者身体障害者1級生活を続けています。
寒い日々ですが、たぶん我が家に春は遠い。

<つづく>
コメント
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