20230223
ぽかぽか春庭アーカイヴ(ほ)星新一『ボッコちゃん』
2003年のアーカイヴです。
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春庭千日千冊 今日の一冊No.34(ほ)星新一『ボッコちゃん』
星新一(本名:星親一)のショートショートは、一度はまると、熱にうかされたようにあるいは依存症のように次から次へと読みたくなる。短いお話のなかに、広大な宇宙や深遠な人間心理がぎゅっとつまっています。昔は読解教材として適切なものが少なかったこともあり、よく日本語読解の材料にとりあげました。
「教科書の中の日本語作品は面白くない」と思っている留学生も、星新一のショートショートなら、「この先どうストーリーが展開するのか」と、楽しみながら読むことができ、90分の授業のなかで起承転結味わいながら読解できますから、ショートショートはいちばん読みやすい読解教材なのです。
なかでも、「ボッコちゃん」は、中級レベルの学生に人気の作品でした。それほど難しい表現はなく、一文一文、初級文法を理解していれば読みこなせる文章でありながら、「この先どうなるのか、読み続けたい」という気持ちを留学生読者にも持たせてくれるストーリー展開、オチの秀逸さ、どれをとっても、作品のおもしろさを味わうことができます。「ボッコちゃん」のほか、「殺し屋ですのよ」「おーい、出てこい」などもよく読解授業で取り上げました。
星新一は、父や祖父の伝記を書いており、星新一が星薬科大学の創立者である星一の息子であることはよく知られています。星一は、星製薬の創始者として明治から昭和にかけて製薬王と呼ばれた人です。小金井良精(解剖学者)と喜美子(森鴎外の妹、随筆家)の次女せいと結婚して生まれたのが星新一。明治の文豪森鴎外を大伯父に持ち、父は製薬界のドン。
お金持ちの家庭にはよくあることとはいえ、星一は新一が生まれる前、新一には異母兄にあたる子供を庶子として別の女性との間にもうけていました。出澤家へ養子にだしていた出澤三太です。三太は俳人として活躍しました(筆名:珊太郎)。
1950年に東京大学農学部農芸化学科大学院博士課程前期(修士課程)を修了するときの星新一の修士論文は「アスペルギルス属のカビの液内培養によるアミラーゼ生産に関する研究」であったそうです。1951年には父の星一が急死したために、経営悪化していた星製薬の社長を務めるも、すでに救う手だても尽きていて会社は人手に渡りました。実業家としては「最初から経営失敗」だった星新一ですが、星一のアイディアマンの才能と、母方から受け継いだ文才とを併せ持つ「SFショートショートの神」が誕生しました。
最相葉月による星新一の伝記『星新一 一○○一話をつくった人』(新潮社2007年)も出て、留学生による星新一研究も増えることでしょう。これまでの「日本文学研究」では、SFやショートショートを取り上げる人は少なかった。「純文学」への研究熱に比べれば、SFは「文学主流」とは見なされてこなかったからです。でも、現代では「大衆文学」「純文学」なんていう分類ではなく、「日本語言語文化作品として読むに値するか否か」で作品評価をする時代です。星新一は十分に評価に絶える日本語作品を残したと思います。
私が担当している「国費留学生クラス」は、世界各国で選ばれた学生が「日本国文科省奨学金給費生」として来日して日本語を学び、国家を背負う研究者として大学院にすすみます。理系の場合はほとんどが国立大学へ配置されます。文系の学生の中には、専門により、少数は早慶上智など私立の大学院へ進む学生もいます。
2009年10月から2010年2月まで担当した初級クラスのなかに、珍しいことに4月から理系私立大学へすすむ学生が混じっていました。星薬科大学大学院に進学するマレーシアからの留学生です。多民族国家マレーシアの中の中国系。家庭では客家語(はっかご:中国語の南方方言のひとつ)を話し、マレーシアの公用語のひとつ英語で学校教育を受けてきて、日本語も熱心に受講していました。非常に優秀で、癌の新薬開発をめざすそうです。
初級の文法教科書を猛スピードの授業でつっこむために、星新一のショートショートなど紹介している余裕はありませんでしたが、新薬開発の研究の合間に、星新一の小説を楽しむ余裕がでるといいなあ、と思っています。
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20230223
「教科書の中の日本語作品は面白くない」と思っている留学生も、星新一のショートショートなら、「この先どうストーリーが展開するのか」と、楽しみながら読むことができ、90分の授業のなかで起承転結味わいながら読解できますから、ショートショートはいちばん読みやすい読解教材なのです。
なかでも、「ボッコちゃん」は、中級レベルの学生に人気の作品でした。それほど難しい表現はなく、一文一文、初級文法を理解していれば読みこなせる文章でありながら、「この先どうなるのか、読み続けたい」という気持ちを留学生読者にも持たせてくれるストーリー展開、オチの秀逸さ、どれをとっても、作品のおもしろさを味わうことができます。「ボッコちゃん」のほか、「殺し屋ですのよ」「おーい、出てこい」などもよく読解授業で取り上げました。
星新一は、父や祖父の伝記を書いており、星新一が星薬科大学の創立者である星一の息子であることはよく知られています。星一は、星製薬の創始者として明治から昭和にかけて製薬王と呼ばれた人です。小金井良精(解剖学者)と喜美子(森鴎外の妹、随筆家)の次女せいと結婚して生まれたのが星新一。明治の文豪森鴎外を大伯父に持ち、父は製薬界のドン。
お金持ちの家庭にはよくあることとはいえ、星一は新一が生まれる前、新一には異母兄にあたる子供を庶子として別の女性との間にもうけていました。出澤家へ養子にだしていた出澤三太です。三太は俳人として活躍しました(筆名:珊太郎)。
1950年に東京大学農学部農芸化学科大学院博士課程前期(修士課程)を修了するときの星新一の修士論文は「アスペルギルス属のカビの液内培養によるアミラーゼ生産に関する研究」であったそうです。1951年には父の星一が急死したために、経営悪化していた星製薬の社長を務めるも、すでに救う手だても尽きていて会社は人手に渡りました。実業家としては「最初から経営失敗」だった星新一ですが、星一のアイディアマンの才能と、母方から受け継いだ文才とを併せ持つ「SFショートショートの神」が誕生しました。
最相葉月による星新一の伝記『星新一 一○○一話をつくった人』(新潮社2007年)も出て、留学生による星新一研究も増えることでしょう。これまでの「日本文学研究」では、SFやショートショートを取り上げる人は少なかった。「純文学」への研究熱に比べれば、SFは「文学主流」とは見なされてこなかったからです。でも、現代では「大衆文学」「純文学」なんていう分類ではなく、「日本語言語文化作品として読むに値するか否か」で作品評価をする時代です。星新一は十分に評価に絶える日本語作品を残したと思います。
私が担当している「国費留学生クラス」は、世界各国で選ばれた学生が「日本国文科省奨学金給費生」として来日して日本語を学び、国家を背負う研究者として大学院にすすみます。理系の場合はほとんどが国立大学へ配置されます。文系の学生の中には、専門により、少数は早慶上智など私立の大学院へ進む学生もいます。
2009年10月から2010年2月まで担当した初級クラスのなかに、珍しいことに4月から理系私立大学へすすむ学生が混じっていました。星薬科大学大学院に進学するマレーシアからの留学生です。多民族国家マレーシアの中の中国系。家庭では客家語(はっかご:中国語の南方方言のひとつ)を話し、マレーシアの公用語のひとつ英語で学校教育を受けてきて、日本語も熱心に受講していました。非常に優秀で、癌の新薬開発をめざすそうです。
初級の文法教科書を猛スピードの授業でつっこむために、星新一のショートショートなど紹介している余裕はありませんでしたが、新薬開発の研究の合間に、星新一の小説を楽しむ余裕がでるといいなあ、と思っています。
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20230223
医学の進歩著しい昨今です。私の持病、夫の療養もいつかよい方向に向くと信じて体調管理頑張ります。
ips細胞もドンドン進歩して治療が発達しているというテレビ番組をみて、年とれば病気になるのは仕方がないけれど、誰もが安心して病院へ行ける社会であってほしいと願っています。金持ちだけが良い医療を受けられるのではなく。
<つづく>