20230207
ぽかぽか春庭アーカイヴ(の)野上八重子「秀吉と利休」
2003年のアーカイブ「おい老い笈の小文」を掲載しています。
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at 2003 10/20 05:21 編集
春庭千日千冊 今日の一冊No.26(の)野上弥生子『秀吉と利休』
最初に読んだとき、もっとも印象に残ったのは、権力と芸術の相克でもなく、茶の道を究めようとする利休の苦悩でもなかった。一番強く記憶に刻まれたのは、「聚楽第の秀吉の寝室」の描写であった。
春庭千日千冊 今日の一冊No.26(の)野上弥生子『秀吉と利休』
最初に読んだとき、もっとも印象に残ったのは、権力と芸術の相克でもなく、茶の道を究めようとする利休の苦悩でもなかった。一番強く記憶に刻まれたのは、「聚楽第の秀吉の寝室」の描写であった。
『彼ら(耶蘇会の神父たち)は権威者の歓心をえて布教をさかんにするため、驚き珍重する調度、器物、衣料から、薬品、菓子、酒のあらゆる食べ物飲み物まで、遠く海のかなたから取りよせて思い切った贈物をした。
聚楽第の寝台も彼らの献上品である。彫刻と鍍金のおもおもしいマホガニ材のもので、竪七尺、横は五尺に及び、その幅にひとしい緋びろうどの長枕に、金糸、銀糸で竜紋を浮き織りにした紫緞子の布団が添っていた。』
聚楽第の寝台も彼らの献上品である。彫刻と鍍金のおもおもしいマホガニ材のもので、竪七尺、横は五尺に及び、その幅にひとしい緋びろうどの長枕に、金糸、銀糸で竜紋を浮き織りにした紫緞子の布団が添っていた。』
寝台のほか、室内の調度、椅子やテーブル、テーブルの上のギヤマンの瓶に入った葡萄酒。その描写力。「文の芸」というのは、こういうことを言うのだろうと感じた。どんな歴史家が麗々しく秀吉の権力の強さを並べ立てるより、弥生子の描写は、秀吉の権力のあり方を読者に伝えることに成功している、と感じた。
南蛮渡来の新御物をはじめとする各所からの到来宝物を並べ立て、金箔をきらめかせて田舎大名を威圧した桃山文化のあり方を生き生きと伝え、秀吉の力とはどのようなものであったかを、想像させた。
「秀吉の権力」を考えるとき、頭の中に必ずこの、きらびやかで華やかでそして空疎な寝室が浮かぶのである。
秀吉は女達のあしらい方がうまく、この寝台に朝までいることを許したのは正室おねだけであった、と弥生子は描写する。数多くの側室たちは、房事がすめば、自室に下がらねばならなかった。
秀吉亡き後、彼が一代で築いた権力を瓦解させることにつながる茶々との睦言も、この寝台でかわされたのであろうか。
野上弥生子は、「フンドーキン」という調味料会社社主令嬢として生まれ、何不自由なく成長。豊一郎と結婚後も、文学の研鑽を続けた。
99歳で亡くなるまで現役の作家として書き続けた野上弥生子にとって、晩年とは何歳ころからを言えばいいのだろうか。弥生子にとって晩年とは、90歳過ぎのことであり、70歳ころは、恋に燃える「命の盛り」であったのかもしれない。
弥生子の70歳代は、哲学者田辺元との恋愛で知られる。
南蛮渡来の新御物をはじめとする各所からの到来宝物を並べ立て、金箔をきらめかせて田舎大名を威圧した桃山文化のあり方を生き生きと伝え、秀吉の力とはどのようなものであったかを、想像させた。
「秀吉の権力」を考えるとき、頭の中に必ずこの、きらびやかで華やかでそして空疎な寝室が浮かぶのである。
秀吉は女達のあしらい方がうまく、この寝台に朝までいることを許したのは正室おねだけであった、と弥生子は描写する。数多くの側室たちは、房事がすめば、自室に下がらねばならなかった。
秀吉亡き後、彼が一代で築いた権力を瓦解させることにつながる茶々との睦言も、この寝台でかわされたのであろうか。
野上弥生子は、「フンドーキン」という調味料会社社主令嬢として生まれ、何不自由なく成長。豊一郎と結婚後も、文学の研鑽を続けた。
99歳で亡くなるまで現役の作家として書き続けた野上弥生子にとって、晩年とは何歳ころからを言えばいいのだろうか。弥生子にとって晩年とは、90歳過ぎのことであり、70歳ころは、恋に燃える「命の盛り」であったのかもしれない。
弥生子の70歳代は、哲学者田辺元との恋愛で知られる。
「こんな愛人同士といふものが、かつて日本に存在したであろか」と手紙を交わし合う、作家野上弥生子と哲学者田辺元はともに70歳。両者とも70代ころの老いらくの恋は、1962年に77歳で田辺が亡くなるまで精神的なつながりを保って、愛は深く強く続いたのである。
田辺はハイデッガー研究者、「死の哲学」の構築をめざす。一方、野上は長編大作「迷路」を完成したころ。互いの日常生活を気遣い、思策と創作に強い影響を与え合った両者は、愛情によって繋がり、往復書簡300余通を交わした。
晩年の田辺元との恋について、大部の日記に詳述されているというので、「老後の楽しみ読書リスト」にいれてある。
むろん、私の「老後の楽しみ」は、ワイドショウゴシップや、人の日記をワイドショウ的に読むことだけではない。晩年の過ごし方を、野上弥生子に見習うべく、先達の日記は大切に読まねば。
芸術と権力。権力者と芸術家「西行vs実朝&後鳥羽上皇」「世阿弥vs足利義満」などなど、歴史上、両者はときに和合協力し、ときに反発拮抗してきた。
長く権力の座にあった者とその側近の関わり合いのうち、秀吉と利休の関係ほど、その破局が謎めいたままのものはないだろう。様々な憶測や歴史上の解釈を生み、結局、なぜ二人の仲が壊れたのかは、はっきりとは分らない。今東光『お吟さま』井上靖『本覚坊遺文』澤田ふじ子『利休啾々』など、この主題をめぐる作品もさまざまな角度から描かれている。野上弥生子『秀吉と利休』もそのひとつ。
秀吉は、若い頃相思相愛で結婚したおね(北政所)との間には子がなせなかった。権力者となってから側室にした茶々(淀殿)との間にようやく秀頼がめぐまれると、関白から太閤へと引退したはずなのに、権力にしがみついた。関白職をゆずった甥ではなく、我が子に権力の座を継がせたかったからである。いったんは跡継ぎに決めた甥、秀次の一族郎党を容赦なく斬首した。朝鮮への無謀な出兵、利休への賜死、と悲劇が続く。
秀吉の老いらくの恋は、歴史上では無惨な結果となった。
老いらくの恋は、晩年を美しくもし、晩節を汚す結果ともなる。
私は、野上弥生子を見習って「美しい晩年の恋」をめざしてがんばります。10/12に「晩年の恋に1票!」と言ってあるので、今回2票目です。晩年の恋にもう1票!
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2010/02/04
「権力者の晩年」が描かれているドラマ、今年私が熱心に見ているのは浅田次郎原作の『蒼穹の昴』です。日中共同制作ドラマで、清朝末期の権力者西大后(慈禧太后)を演じているのは田中祐子です。主人公は若い状元(科挙試験一位合格者)の梁文秀(モデルのひとりは梁啓超)とその弟分の春児。文秀は清朝第11代皇帝光緒帝(西大后の妹の子)に仕え、改革派として働きます。春児は京劇役者修行をこなし、宦官として西大后の宮廷に仕えます。
田中祐子のセリフの中国語は吹き替えですが、なかなか堂々とした大后ぶりで、権力者の孤独と苦悩をよく表現していると思います。これまで中国の映画で描かれていた西大后はやたらに権力乱用と残虐ぶりが強調されており、中国香港合作映画『西大后、続西大后』でも、史実とは異なる残虐ぶり(皇帝の寵愛を受けたライバルの手足を切る、など)を描いているのだそうです。権謀詐術渦巻く末期清朝で、外圧に耐えて国を維持しようとした政治家として西大后を史実に近く描くドラマを見るのは、中国人にとっても初めてなのではないかと思います。
日中共同製作のドラマの作られ方に興味を持ち、2月2日にBS放送されたメイキングも見ました。浙江省横店というところにできた映画村(京都の太秦みたいな)に、紫禁城の実物大セットが組まれ、ロケが行われているということで、ドラマの中の紫禁城の壮麗な美術を見るだけでも『蒼穹の昴』全25回を見る価値ありです。
私が紫禁城(北京故宮)を見学したのは1994年に中国へ赴任したときだけで、2007年2009年には行きませんでしたが、1994年以来中国史に興味を持ち、いろいろ学んできたので、次に故宮へ行ったら、前回とはまた違う見方ができるのかもしれません。
西大后が作らせた美術工芸品などのうち、円明園にあったうちのあらかたはイギリス軍の焼き討ちにあって略奪され、一部は大英博物館へ、一部はサンローランコレクションとして競売されるなど、散逸しました。西大后の墓は荒らされて空っぽ。故宮に残された宝物は蒋介石が軍艦に乗せて台湾へ運び出してしまいました。台湾へ行ったおり、台北故宮博物館で遺物を見ましたが、ガイドさんによると「ここに残っているのはほとんどレプリカで、本物は宋美麗がアメリカへ持っていってしまった」というのですが、さて今、西大后の集めた品々はどうなっているものやら。
西大后がもっとも愛好した芸術は京劇でした。京劇の衣装や小道具類なども贅を尽くしたものであったでしょうが、日本の大名家に能衣装が伝来の宝物として残されたのとは異なり、辛亥革命、日中戦争、国共内戦、文化大革命と続いた嵐のなか、散逸してしまっていることでしょう。
足利義満と世阿弥、豊臣秀吉と利休のような「権力と芸術」の相克のドラマが西大后と京劇の間には生まれなかったのか、生まれてもそれを伝える人がいなかったのか。西大后の通訳女官を務めた後、アメリカ人と結婚した女性による「西大后の宮廷生活」を伝える本は出されていますが、「西大后と京劇」というような研究もこれからの中国に出てくることを期待します。
清朝最大の権力者にして中国史上「中国三大悪女」とされた西大后。田中祐子演じる西大后で『蒼穹の昴』を楽しみに見ていくことにしましょう。
今日は立春。東京にも雪が降ったあとの寒気のなかの立春です。きのうの節分では、「節分福招き、いわしのかわりにチーズケーキ」というなんだかよくわからないメニューでしたが、娘が焼いたチーズケーキ、大好きなデザート、おいしかったです。恵方巻きの流行にはのりませんでした。
年初のダイエット決意はどうなったかって?心にはとどめているのです。とどめながらのチーズケーキ。西大后のテーブルにのる満漢全席ほどじゃないからだいじょうぶ。
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20230209
田辺はハイデッガー研究者、「死の哲学」の構築をめざす。一方、野上は長編大作「迷路」を完成したころ。互いの日常生活を気遣い、思策と創作に強い影響を与え合った両者は、愛情によって繋がり、往復書簡300余通を交わした。
晩年の田辺元との恋について、大部の日記に詳述されているというので、「老後の楽しみ読書リスト」にいれてある。
むろん、私の「老後の楽しみ」は、ワイドショウゴシップや、人の日記をワイドショウ的に読むことだけではない。晩年の過ごし方を、野上弥生子に見習うべく、先達の日記は大切に読まねば。
芸術と権力。権力者と芸術家「西行vs実朝&後鳥羽上皇」「世阿弥vs足利義満」などなど、歴史上、両者はときに和合協力し、ときに反発拮抗してきた。
長く権力の座にあった者とその側近の関わり合いのうち、秀吉と利休の関係ほど、その破局が謎めいたままのものはないだろう。様々な憶測や歴史上の解釈を生み、結局、なぜ二人の仲が壊れたのかは、はっきりとは分らない。今東光『お吟さま』井上靖『本覚坊遺文』澤田ふじ子『利休啾々』など、この主題をめぐる作品もさまざまな角度から描かれている。野上弥生子『秀吉と利休』もそのひとつ。
秀吉は、若い頃相思相愛で結婚したおね(北政所)との間には子がなせなかった。権力者となってから側室にした茶々(淀殿)との間にようやく秀頼がめぐまれると、関白から太閤へと引退したはずなのに、権力にしがみついた。関白職をゆずった甥ではなく、我が子に権力の座を継がせたかったからである。いったんは跡継ぎに決めた甥、秀次の一族郎党を容赦なく斬首した。朝鮮への無謀な出兵、利休への賜死、と悲劇が続く。
秀吉の老いらくの恋は、歴史上では無惨な結果となった。
老いらくの恋は、晩年を美しくもし、晩節を汚す結果ともなる。
私は、野上弥生子を見習って「美しい晩年の恋」をめざしてがんばります。10/12に「晩年の恋に1票!」と言ってあるので、今回2票目です。晩年の恋にもう1票!
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2010/02/04
「権力者の晩年」が描かれているドラマ、今年私が熱心に見ているのは浅田次郎原作の『蒼穹の昴』です。日中共同制作ドラマで、清朝末期の権力者西大后(慈禧太后)を演じているのは田中祐子です。主人公は若い状元(科挙試験一位合格者)の梁文秀(モデルのひとりは梁啓超)とその弟分の春児。文秀は清朝第11代皇帝光緒帝(西大后の妹の子)に仕え、改革派として働きます。春児は京劇役者修行をこなし、宦官として西大后の宮廷に仕えます。
田中祐子のセリフの中国語は吹き替えですが、なかなか堂々とした大后ぶりで、権力者の孤独と苦悩をよく表現していると思います。これまで中国の映画で描かれていた西大后はやたらに権力乱用と残虐ぶりが強調されており、中国香港合作映画『西大后、続西大后』でも、史実とは異なる残虐ぶり(皇帝の寵愛を受けたライバルの手足を切る、など)を描いているのだそうです。権謀詐術渦巻く末期清朝で、外圧に耐えて国を維持しようとした政治家として西大后を史実に近く描くドラマを見るのは、中国人にとっても初めてなのではないかと思います。
日中共同製作のドラマの作られ方に興味を持ち、2月2日にBS放送されたメイキングも見ました。浙江省横店というところにできた映画村(京都の太秦みたいな)に、紫禁城の実物大セットが組まれ、ロケが行われているということで、ドラマの中の紫禁城の壮麗な美術を見るだけでも『蒼穹の昴』全25回を見る価値ありです。
私が紫禁城(北京故宮)を見学したのは1994年に中国へ赴任したときだけで、2007年2009年には行きませんでしたが、1994年以来中国史に興味を持ち、いろいろ学んできたので、次に故宮へ行ったら、前回とはまた違う見方ができるのかもしれません。
西大后が作らせた美術工芸品などのうち、円明園にあったうちのあらかたはイギリス軍の焼き討ちにあって略奪され、一部は大英博物館へ、一部はサンローランコレクションとして競売されるなど、散逸しました。西大后の墓は荒らされて空っぽ。故宮に残された宝物は蒋介石が軍艦に乗せて台湾へ運び出してしまいました。台湾へ行ったおり、台北故宮博物館で遺物を見ましたが、ガイドさんによると「ここに残っているのはほとんどレプリカで、本物は宋美麗がアメリカへ持っていってしまった」というのですが、さて今、西大后の集めた品々はどうなっているものやら。
西大后がもっとも愛好した芸術は京劇でした。京劇の衣装や小道具類なども贅を尽くしたものであったでしょうが、日本の大名家に能衣装が伝来の宝物として残されたのとは異なり、辛亥革命、日中戦争、国共内戦、文化大革命と続いた嵐のなか、散逸してしまっていることでしょう。
足利義満と世阿弥、豊臣秀吉と利休のような「権力と芸術」の相克のドラマが西大后と京劇の間には生まれなかったのか、生まれてもそれを伝える人がいなかったのか。西大后の通訳女官を務めた後、アメリカ人と結婚した女性による「西大后の宮廷生活」を伝える本は出されていますが、「西大后と京劇」というような研究もこれからの中国に出てくることを期待します。
清朝最大の権力者にして中国史上「中国三大悪女」とされた西大后。田中祐子演じる西大后で『蒼穹の昴』を楽しみに見ていくことにしましょう。
今日は立春。東京にも雪が降ったあとの寒気のなかの立春です。きのうの節分では、「節分福招き、いわしのかわりにチーズケーキ」というなんだかよくわからないメニューでしたが、娘が焼いたチーズケーキ、大好きなデザート、おいしかったです。恵方巻きの流行にはのりませんでした。
年初のダイエット決意はどうなったかって?心にはとどめているのです。とどめながらのチーズケーキ。西大后のテーブルにのる満漢全席ほどじゃないからだいじょうぶ。
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20230209
今日の東京。予報通り、朝の雨から雪に変わり、猫の額庭もうっすら雪化粧。久しぶりの雪です。
今日予定されていた日本語学校の校外学習「マヨネーズ工場見学」も交通の混乱を考え、中止が決定されました。学生も職員も「臨時休校」。
せっかくの平日の休みなのに、なにもしないでぐうたらしているうちに、午後には雪はとけてしまいました。
<つづく>
<つづく>