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ぽかぽか春庭「西江雅之『花のある遠景』」

2023-02-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230207
ぽかぽか春庭アーカイヴ(に)西江雅之『花のある遠景』

 2003年の春庭コラム「おい老い笈の小文」再録です。
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at 2003 10/19 06:58 編集
春庭千日千冊 今日の一冊No.24(に)西江雅之『花のある遠景』
 私が夫とケニアを歩き回っていた1979年、同じころにナイロビを歩き回っていた人が西江雅之。
 このときはすれ違いばかりで会うことがなかったのだが、私が「子持ち勤労学生」として二度目の大学生活を送ったとき、学部と大学院で西江先生に言語学を教わることができた。大好きな西江先生。著作はもちろん全部読みました。

 『花のある遠景』、初出は1975年。ナイロビの下町の女たち男たちを、生き生きと描いている。
 『ことばを追って』『異郷の景色』『旅人からの便り』『風まかせ』など、先生は風にまかせて世界中神出鬼没。七つの海をかけめぐるパイレーツさながらである。
 ことばの達人西江雅之は、今日もきっと世界中を駆けめぐっているだろう。

 夫が「偽学生」または「子持ち勤労学生のつきそい」として、いっしょに西江先生の授業を聞きに行っていたころのある日、西江雅之編纂「スワヒリ語辞典」を学校に持っていって、「先生、ご署名をいただきたいのですが」と、お願いしたことがあった。

 先生、ほかの著書にはごきげんでサインしてくれたのに、『スワヒリ語辞典』にサインしながら渋い顔。「これね、海賊版が出回っていて、このあんたの辞書も海賊版だから、こちらには印税一銭も入ってこないの!」
 カリブ海の小島でクレオール言語の研究をした西江先生、カリビアンパイレーツも海賊出版もお嫌いであった。

at 2003 10/19 06:58 編集 ナイロビ--東アフリカの裏町
 毎度若者に「また、あのときの話かよ」と、飽き飽きされても、中高年は青春時代を振り返り、思い出話にふけりたい。
 若者よ!寛恕として「思い出話」を聞きなさい。君たちもいずれは中高年。

 鴎外にとってのドイツ、稲造にとってのアメリカが「青春の地」だったとすると、私の青春の地は、ケニアである。
 1979年7月末の夜、ナイロビに到着。翌朝、まず両替をしようと町に出たら、たちまち迷子になってしまった。そのとき道案内をしてくれた日本人を「親切な人」と勘違いして、2年後に結婚することになった。

 しかし、「外国で親切な人が、家庭でも親切であるとは限らない」ということは、すぐに判明した。
 「ナイロビで迷子になって愛を拾った。今では愛が迷子になってる」という、娘が私のために作ったキャッチコピーを、学生に披露すると大受けだった。
 教師のいいところは、毎年学生が変わるので、同じ思い出話を毎年繰り返しても大丈夫なところ。たまに、同じ話を同じクラスで繰り返して顰蹙を買うこともあるけれど。
 毎年変わる学生に、毎年おなじ自己紹介「ナイロビで迷子になって、、、」を繰り返している。

 ナイロビの下町を、国境の町ナマンガを、海岸の町モンバサを、 後に夫となる人と(その時はそうなるとは思わず)共に歩き回った。サバンナの地平線に沈む夕日を黙って二人で眺めていた時間は、現在「愛が迷子」の状態であるにせよ、私には貴重な思い出だ。
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2010/02/02 
西江先生の公式HP http://gama84ki.hp.infoseek.co.jp/
 大学を定年退職なさったあとも、飄々と風任せにあちこち出没しているらしい西江先生、以前、本屋でばったり出会ったこともあったのだけれど。どこかでバッタリ出会うのを楽しみにしています。

 今朝の東京は久しぶりの雪景色。昨日の昼から降り出した雨がみぞれにやがて雪にかわり、昨晩仕事から帰宅する時は、ぼたぼたと大きな牡丹雪の中でした。道路の上の雪は、雨の上に降ったのでつもっていませんが、芝生の上などには積もって朝も残っていたので、南の国から来た留学生達は白い世界に大喜びしていることでしょう。
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2010/02/02
春庭千日千冊 今日の一冊No.25 (ぬ)沼正三『家畜人ヤプー』
  未だに沼の正体がだれであったか、論争が続いている。沼の代理人として表に出ていた新潮社の校閲部所属の天野哲夫が「私が正真正銘の沼」と名乗り出ても、否定説も根強く、江戸の浮世絵師東洲齋写楽と並んで、今後も「本当はこの人」という説が続いていくことだろう。
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20190205
 西江雅之先生、2015年に亡くなりました。77歳。
 ほんとうにユニークで自由人の先生。よく授業中にお話に出てきた息子さんアレンさんは、チェコのサッカーチームでご活躍だそうです。西江先生も高校生のころ体操競技で優勝なさった方ですから、運動神経を息子さんに残されたのですね。膨大な書籍も残されて、それは明治大学の図書館がまとめて引き取ったとか。

 「親切な日本人だと、ナイロビで勘違いして結婚してしまった人」は、昨年骨折して入院2ヶ月後も、仕事の行きかえりにはタクシー利用、という生活を送っていましたが、ようよう足も元に戻ったようで、相変わらずの「トーさんは倒産しそう」の暮らしを続けています。
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20230207
ナイロビでは親切だったけど、結婚ごはそうではなかった日本人。タカ氏は週3回の腎臓透析を受ける身となり、今の目標は、透析患者の平均余命を超える長生き。食事療法守っています。
私も持病とともに細々と生きてきましたが、最近心折れるできごとが続き、打たれ弱さを実感しています。年中弱いけれど、弱さ抱えて生きていくのが、私。2月末の母の命日までに元気とりもとしたくはあるけれど。

<つづく>
コメント (2)
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