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ぽかぽか春庭「丸谷才一『年の残り』」

2023-02-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20230225
ぽかぽか春庭アーカイヴ>(ま)丸谷才一『年の残り』

 2003年のアーカイヴです。
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at 2003 10/29 06:17 編集
春庭千日千冊 今日の一冊No.35(ま)丸谷才一『年の残り』

 丸谷才一が『年の残り』で芥川賞を受賞した1968年。私は、この小説中の登場人物でいえば、高校一年生の後藤正也の年齢に近かった。正也は、自分の大伯母と若い頃見合いをしたことのある69歳の医師上原から、若い頃描いた絵を見せられる。
 このころ読んだとしたら、少女の私には、旧友を自殺という手段で失った上原の悲しみも、自身の男性能力のおとろえや画才不足の自覚から猟銃で自殺した洋菓子店の大旦那の苦しみも、よくわからなかったろう。

 私がこの本を読んだのは、1976年第2刷の文庫本である。私は中学校の国語教師となっていたが、それでもやはり、よくはわからなかった。
 父親から継いだ和菓子店を洋菓子店に変え、一代で商売を大きくした多比良が、「芸者と夜をすごしたあと、事後の肢体をスケッチする」という楽しみを失うことで、自殺に至るとは、どういうことなのか、それほど重大なことなのか、わからなかった。
 ようやく、老いていく上原の悲しみも、生きる気力を失う多比良の苦しみも、わかる年齢になった。男性の中にはその1点の元気さを生き甲斐としている人もいることがわかってきた。

 最初に読んだ頃の私に理解できたのは、「自分のスケッチ作品がロダンからの間接的な影響下にあることに気づかされ、確実にロダンの才能には及ばない画才しかないことをつきつけられたこと」が、多比良が死を選ぶ原因になったのだろうということだけ。
 「事後、女性肢体を描く、と期待することが、ことに及ぶ興奮材料となり、生きていく元気の源だった」と、老院長が解説するのを読んでも、画才のないのを悲観するのはわかるけど、性的能力の衰えが、生きる活力を失わせるほど重要なものであるという感覚はわからなかった。(このころは私もウブでしたね!)

 母を失った後、「生きる意味」もわからなくなり、父にいわれるままに中学校教師になったものの、自分の資質が教師に向かない性質であったことを自覚する毎日。
 ネクラでオタクな引きこもりでした。「母の作品を集めて句集を出版する」という目標によって、ようやく「あと追い自殺」を思いとどまったけれど、教師の仕事もうまくいかず、生きる希望はなかった。

 中学校で受け持った演劇部の仕事だけが、かろうじて私を生につなぎとめていた。
 演劇の身体訓練を中学生に教えるため、自分でもモダンバレエのレッスンを受け、発声練習のために「視覚障害者のための朗読奉仕員養成講座」を受講した。以来、ダンスと朗読ボランティアは四半世紀続けている。
 中学校は3年で退職した。母校にもどり、大学院の研究生として演劇学、芸能人類学を学ぶことにした。舞踊評論家市川雅に師事して、ダンスを見ることに熱中した。

 民族芸能学、演劇人類学のフィールドワークの地として、パプアニューギニアに行きたかったが、結局、渡航先がケニアになった。
 ケニアで民族ダンスを練習したけれど、教師として能力がなかったのと同じように、民族文化研究者としても何の能力もないことが判明しただけで、帰国。

 ケニアですごした中の唯一の自慢は、テレビドラマのエキストラとして出演したこと。当時大人気だった『熱中時代』という水谷豊主演ドラマのスペシャル篇ロケがケニアで行われ、浅野ゆう子の友だち役としていっしょにテレビに映ったのだ。
 その頃20歳前後で、アイドル歌手としても女優としても中途半端だった浅野ゆう子が、今や押しも押されもせぬ実力派女優になり、活躍している。

 私はケニアから帰国したあとも、自分の方向性を見つけることができず、「アフリカ縦断旅行へ出発する」という目標を作り上げた。旅回り一座の役者、予備校の試験採点係りなど、旅行費用を稼ぐ日々が続く。
 ようやく資金が貯まり、ランドローバーを買って船でフランスの港へと送り出した。ジブラルタル海峡を越えてアフリカへ。モロッコからナイロビまでランドローバーで縦断後、ナイロビで出会ったふたりそろって、記念の地で結婚届けを出す、という計画だった。

 しかし、出発前に「できちゃった婚」をするはめになり、アフリカ縦断はキャンセル。結局それ以来、私がアフリカの地を再訪するチャンスはこなかった。
 なんでそんな結果になったか。そのころ「その1点」は、おおいに元気でありました!
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2010/02/18
  春庭も現在は意気消沈の毎日ではあります。鉄の胃袋の消化力は衰え、髪は白髪、目はショボショボ、糖分炭水化物は控えよと命じられてもオセンベナッツチョコを娘に隠れて食べて叱られ、年を取るのは悲しいこととぼやきながら、スピードスケートの銀銅メダルにきゃーきゃー騒ぎ、カーリングにメジャー計測で勝ったとはらはらし、フィギュアのイケメンスケーターにうっとりし、まあ、そんな「年の残り」の日々です。
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20230225
 フィギュアスケートのリンクサイドチケット。羽生結弦が出場する回などはまず取れなかった。これまで、世界選手権も日本選手権も、我が家がチケット入手できたのは、女子ショート女子フリーなど。男子はユヅ君が出場していれば、無理だった。
 ところが羽生のプロ転向で、世界選手権さいたまアリーナの席がサクサクと入手できたるようになりました。3月22日女子ショートとペア。3月25日男子フリーとアイスダンス。26日エキシビジョン。どれかひとつ抽選に当たればいいと申し込みをしていたら、3つとも席がとれました。

 そのかわり、東京ドームで行われる羽生結弦単独公演アイスショウ「 GIFT 」は、3月26日ドーム3万枚が完売。我が家は、3万人の当選者になれなかったのです。だから同じ26日の世界選手権エキシビジョンを見ることにしたのですが、この日のたまありエキシビにくるのは「ゆづ君見売られず残念賞」の人ばかりでしょう。え~ん、見たかったよう、GIFT!

 浅田真央は、プロ転向後「これまでチケット高すぎてアイスショウを生で見ることがなかった層」を対象として、手ごろな値段の小規模な会場でのアイスショウを続けています。娘と江戸川区の会場まで見に行ったときはすぐ目の前で真央ちゃんが見られる席がとれました。
 3月18日も真央ちゃんアイスショウを見ます。3月はこうして「氷の祭典」を楽しむ月になります。

 4月からは、「氷よりも冷たい世間」に生きる日々ですが。

<つづく>
コメント
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