20190226
ぽかぽか春庭アーカイブ(み)三島由紀夫
2003年のアーカイヴです。at 2003 10/30 21:29 編集
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春庭千日千冊 今日の一冊No.36(み)三島由紀夫『仮面の告白』
三島由紀夫が名家の女性との結婚を決めたとき、それは本当に三島にとって自分らしく生きることだったのだろうか、と心配になった。三島は結婚後もさまざまな男性との交際を続け、最後は楯の会の美少年と共に死ぬことを選んだ。
三島は『仮面の告白』を発表した後も、仮面をかぶり続けた。「三島のあの告白はよくできたフィクションであって、あれは文学上の虚構ですよ」と述べる批評家もいて、三島もその評を利用した節がある。三島は自分を「男性的な男性」へと肉体改造し、高名な画家の娘と結婚した。
もし、三島の生きたころが、現代と同じようにセクシャリティの多様性やトランスジェンダーに対して理解ある時代であったなら、三島の文学と死は、異なる結果を迎えたかもしれない。
彼の死や生い立ちや思想的な面から、また文学的社会的な状況からさまざまな解釈が加えられてきた。全共闘との対話や、天皇制に対する考え方や、日本の美意識に対する思想、あらゆることがらが、彼を死へといざなったのだと思う。
今のようなジェンダーに対する考え方の変化に対して一番論じて欲しい文学者は、三島だったと思うのだ。現在のジェンダー論が、女性学や社会学の方面からの論より以上に、サブカルチャーからのツッコミによって社会に浸透してきたことを考えると、文学の立場から物言える人のジェンダー論を三島に聞いてみたかったと思う。
三島由起夫が市ヶ谷の自衛隊に突入したというニュースを聞いてすぐ、私はカコちゃんといっしょに野次馬に出かけていった。
しかし、市ヶ谷自衛隊の中に入れるわけもなく、ワイワイしているだけで、何がどうなっているのか、わからなかった。三島が演説している、というので野次馬に行ったのに、何もわからず、つまらないからすぐ帰った。
市ヶ谷河田町のフジテレビ前を歩きながら、三島の小説について話した。カコチャンは高校生のとき『金閣寺』を読んだ、と言った。「妊娠した女の腹を踏むんだよ、許せないよ」と言っていた。
大学病院の隣の寮へ戻り、カコチャンの部屋でテレビニュースをつけたら、三島は割腹自殺した、ということがわかった。三島が女の腹を踏んだわけではないのに、カコチャンは「赤ちゃんがいる女のおなかを踏んだりするから割腹自殺になるんだよ」と、わけのわからない批評をしていた。
私は『仮面の告白』を読んだ話をした。「おわい屋」を悲劇的だと感じてあこがれたんだって、わけわかんないよね、セバスチャンとかって絵見て、矢が体にいっぱい刺さっているので、興奮するんだって、ますますワケわかんないよね。三島といっしょに楯の会の少年が割腹したんだって、もっともっとわかんない。
カコチャンはすでに恋人を持っていたから、男と女の恋愛については、私よりずっと詳しかった。そのカコチャンも「仮面の告白の主人公は男が好きなんだって。どうして男が男を好きになるんだろう、ぜんぜんわかんない」と理解できないようだった。
私は「男と男」も「男と女」もわからなかった。私にわかったのは、私はカコチャンが好きだけど、カコチャンはタロさんが好きだということだった。
at 2003 10/30 21:29 編集 市ヶ谷河田町の病院で
大学病院の隣の職員寮に入寮したとき、4人部屋だった。すぐに私には共同生活ができないとわかった。3人の同室者に気をつかいながら暮らしていると息がつまりそうで、一ヶ月で寮を出て下宿へ移った。
4人部屋は3人で使うことになった。「あんたが出ていって、部屋が広く使えるからよかった」と言った同室者のひとりは、病院の屋上から飛び降りて死んだ。自殺のしらせに衝撃は受けたが、高橋和己が死んだ時より悲しくはなかった。
高橋和己が死んで半年後に内科検査室の勤務をやめた。大学病院の仕事は好きだったけれど、「カコチャンがやめてしまったから」だった。カコチャンがやめたあと、病院検査室で働くことがつまらなくなって私は何のあてもなく、退職してしまった。
カコちゃんが東京から故郷の町へ戻ったのは、恋人と同棲するためだった。カコチャンの恋人タロさんは、カコチャンの出身地の大学で学ぶ医学生。カコチャンはタロさんと暮らしたいと「同棲時代」を実践したのだった。しかし、タロさんの親に「医学生と臨床検査技師では格が違う」と、結婚の許しがもらえない、という悩みを聞いた後、カコチャンの消息は途絶えた。
トランスジェンダーということば。私が知ったのは、虎井まさ衛さんの本が最初に出版された前後だったと思う。現在では、テレビドラマ『金八先生』のテーマになり、上戸彩が「女性の身体を持っているが、心は男性」である主人公を演じたことで、広く知られるようになった。
虎井まさ衛さんを知る前、トランスジェンダーという言葉が市民権を得る前から、私は、虎井さんのような生き方の人に関心を持ってきた。仮面をつけて生きることを拒否し、自分らしく生きたいと願う人に共通する姿勢に共感できたからだ。
雑民党の東郷健が選挙に出てテレビで演説するときは、熱心にその主張を聞いたし、テレビ深夜番組にカルーセル麻紀が出演するのも応援した。三輪明宏がまだ自分自身のセクシャリティを明らかにせず、丸山明宏という名で「よいとまけの唄」を歌っている時代から、彼の不思議な魅力はいったいどこから生まれるのか、と思っていた。
おすぎとピーコが登場したとき、「ふたごのゲイ」という特長もあり、彼女たち(?)の自己主張が小気味よかった。それまではテレビの中で「キワモノ」「イロモノ」扱いされ、正に対する負、陽に対する陰のイメージを持たされていたゲイの人たちのイメージを塗り替え、「ひとつの生き方」として認められたような気持ちがしてうれしかった。
ウェブ世界では、リアル社会よりオープンにジェンダーやセクシャリティの問題が語られている。昔に比べれば、若い人たちが自分自身のジェンダー問題について様々な情報を得る機会が多くなった。
トランスジェンダーの方々、臆することなく社会の好奇な視線に負けることなく「本当の私らしさ」を追求してほしいと思う。
若い人はもちろんだが、若くない人も、残り少ない自分の人生を「私らしく」生きていかなければ、生きている甲斐がない。「私は私。私らしくあれ!」
at 2003 10/30 21:29 編集
三島由紀夫は、『仮面の告白』で、絵本の中のジャンヌ・ダルクが美少年ではなく、男装の麗人であったことにがっかりしたと書いた。元祖戦闘美少女ジャンヌダルク、少女でいいんです。ジャンヌダルクは何度も映画化されていますが、ミラ・ジョボヴィッチの迫真の演技が印象に残っている。三島は美少年が好きであったけれど、私はボーイッシュ少女が好き。
ジェンダーとセクシャリティに対し、社会は50年前40年前とは違う反応を示すようになった。パートナー選びも自由。ヨーロッパでは同性との法的なパートナーシップを認める国も出てきた。
男と女も、女と女も、男と男も、どんな組み合わせであれ、ベストパートナーといっしょにいられる人は幸福だろう。そして「私らしさ」を失うことなく、「自分は自分」として生きて行けたらそれにまさることはない。
男であれ女であれ、男性の心を持った身体上の女性も、女性の心を持った男性も、自分らしく人生をまっとうしたい。男と女、女と女、男と男、どのような組み合わせであれ、好きな人を見つけて欲しい。
「私らしさ」を大切にできたらいいですね。
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2010/02/20
熱戦続く冬季オリンピック。高橋選手の銅メダル、よかったです。フィギュアファンの我が家、ショートもフリーも出場全選手の演技を見ました。フィギュアのほかは、ハイライトシーンだけとか主要選手だけを見るのですが、フィギュアスケートはペアも男子女子、アイスダンス、各国全出場選手の演技を観戦予定。
開会式も全部みました。北京のオリンピック人海戦術マスゲームオンパレードの派手な開会式パフォーマンスに比べると、「エコ」がテーマのひとつらしいこぢんまりした質実な印象だったけれど、その中で「カナダらしい」と感じたことのひとつは、先住民族のダンス以上に、ハレルヤを歌ったkdラングの歌声でした。ラングはグラミー賞受賞歴を持つシンガーソングライターであり、ベジタリアンレズビアンとしての自分自身を貫いて生きている人です。女性として生まれて、女性が女性を愛情の対象として欲する同性愛者であることを1992年に公表し、その後もカナダでは人気の歌手でありつづけています。
世界のなかでもカナダは、同性愛者や性同一障害者などにもっとも寛容な国のひとつであることを世界に印象づけました。マイノリティが生きやすい国というのは、マジョリティにとっても生きやすい国。開会式会場の外では、莫大な予算の必要なオリンピック開催に反対するデモも大きく報道されていました。しかし、いっさいの反対運動報道が押し込められた北京オリンピックよりは、「我が国は反対運動も自由」という印象を与えることができました。
2010/02/21
私の「姉の夫のいとこ」という人が、性同一障害によって悩み続け、ついに女性から男性に身体を変え、裁判所に申し出て戸籍上の性別も変えました。現在では男性として人生をすごしています。幼い頃のスカートを履いていたころの印象が残るだけで、成人してからは会っていないので、現在は男性として生活していると言われても想像がつかないですが、自分の心を取り戻して生きているのだろうと思います。
職場の知り合いのひとりは、アメリカで法的に男性同士のパートナーシップ(男性と女性の結婚と同等の法的な立場を得る)を結び、左の薬指には「結婚指輪」をしています。彼は「男性」のアイデンティティを持っており、「男性として男性を愛するセクシャリティ」を持って生きている。職場では公表されていないけれど、私は彼の結婚に祝意を伝えました。みな、それぞれの人生を生きられるようになったことは、喜ばしいと思っています。
私自身のジェンダー&セクシャリティについて言えば、身体的にはヘテロ志向であり、女性というジェンダー&セクシャリティを受け入れ、社会的には母親という役割を引き受けて過ごしてきた。でも、精神的には、「ボーイッシュな女性があこがれ」
1966年に好きだったのはやっちゃんで、1970年に好きだったのはカコちゃんで、2007年と2009年における私の「ボーイッシュな少女大好き」の女の子は、中国の朋友シャンユエ15歳でした。
三島由紀夫が名家の女性との結婚を決めたとき、それは本当に三島にとって自分らしく生きることだったのだろうか、と心配になった。三島は結婚後もさまざまな男性との交際を続け、最後は楯の会の美少年と共に死ぬことを選んだ。
三島は『仮面の告白』を発表した後も、仮面をかぶり続けた。「三島のあの告白はよくできたフィクションであって、あれは文学上の虚構ですよ」と述べる批評家もいて、三島もその評を利用した節がある。三島は自分を「男性的な男性」へと肉体改造し、高名な画家の娘と結婚した。
もし、三島の生きたころが、現代と同じようにセクシャリティの多様性やトランスジェンダーに対して理解ある時代であったなら、三島の文学と死は、異なる結果を迎えたかもしれない。
彼の死や生い立ちや思想的な面から、また文学的社会的な状況からさまざまな解釈が加えられてきた。全共闘との対話や、天皇制に対する考え方や、日本の美意識に対する思想、あらゆることがらが、彼を死へといざなったのだと思う。
今のようなジェンダーに対する考え方の変化に対して一番論じて欲しい文学者は、三島だったと思うのだ。現在のジェンダー論が、女性学や社会学の方面からの論より以上に、サブカルチャーからのツッコミによって社会に浸透してきたことを考えると、文学の立場から物言える人のジェンダー論を三島に聞いてみたかったと思う。
三島由起夫が市ヶ谷の自衛隊に突入したというニュースを聞いてすぐ、私はカコちゃんといっしょに野次馬に出かけていった。
しかし、市ヶ谷自衛隊の中に入れるわけもなく、ワイワイしているだけで、何がどうなっているのか、わからなかった。三島が演説している、というので野次馬に行ったのに、何もわからず、つまらないからすぐ帰った。
市ヶ谷河田町のフジテレビ前を歩きながら、三島の小説について話した。カコチャンは高校生のとき『金閣寺』を読んだ、と言った。「妊娠した女の腹を踏むんだよ、許せないよ」と言っていた。
大学病院の隣の寮へ戻り、カコチャンの部屋でテレビニュースをつけたら、三島は割腹自殺した、ということがわかった。三島が女の腹を踏んだわけではないのに、カコチャンは「赤ちゃんがいる女のおなかを踏んだりするから割腹自殺になるんだよ」と、わけのわからない批評をしていた。
私は『仮面の告白』を読んだ話をした。「おわい屋」を悲劇的だと感じてあこがれたんだって、わけわかんないよね、セバスチャンとかって絵見て、矢が体にいっぱい刺さっているので、興奮するんだって、ますますワケわかんないよね。三島といっしょに楯の会の少年が割腹したんだって、もっともっとわかんない。
カコチャンはすでに恋人を持っていたから、男と女の恋愛については、私よりずっと詳しかった。そのカコチャンも「仮面の告白の主人公は男が好きなんだって。どうして男が男を好きになるんだろう、ぜんぜんわかんない」と理解できないようだった。
私は「男と男」も「男と女」もわからなかった。私にわかったのは、私はカコチャンが好きだけど、カコチャンはタロさんが好きだということだった。
at 2003 10/30 21:29 編集 市ヶ谷河田町の病院で
大学病院の隣の職員寮に入寮したとき、4人部屋だった。すぐに私には共同生活ができないとわかった。3人の同室者に気をつかいながら暮らしていると息がつまりそうで、一ヶ月で寮を出て下宿へ移った。
4人部屋は3人で使うことになった。「あんたが出ていって、部屋が広く使えるからよかった」と言った同室者のひとりは、病院の屋上から飛び降りて死んだ。自殺のしらせに衝撃は受けたが、高橋和己が死んだ時より悲しくはなかった。
高橋和己が死んで半年後に内科検査室の勤務をやめた。大学病院の仕事は好きだったけれど、「カコチャンがやめてしまったから」だった。カコチャンがやめたあと、病院検査室で働くことがつまらなくなって私は何のあてもなく、退職してしまった。
カコちゃんが東京から故郷の町へ戻ったのは、恋人と同棲するためだった。カコチャンの恋人タロさんは、カコチャンの出身地の大学で学ぶ医学生。カコチャンはタロさんと暮らしたいと「同棲時代」を実践したのだった。しかし、タロさんの親に「医学生と臨床検査技師では格が違う」と、結婚の許しがもらえない、という悩みを聞いた後、カコチャンの消息は途絶えた。
トランスジェンダーということば。私が知ったのは、虎井まさ衛さんの本が最初に出版された前後だったと思う。現在では、テレビドラマ『金八先生』のテーマになり、上戸彩が「女性の身体を持っているが、心は男性」である主人公を演じたことで、広く知られるようになった。
虎井まさ衛さんを知る前、トランスジェンダーという言葉が市民権を得る前から、私は、虎井さんのような生き方の人に関心を持ってきた。仮面をつけて生きることを拒否し、自分らしく生きたいと願う人に共通する姿勢に共感できたからだ。
雑民党の東郷健が選挙に出てテレビで演説するときは、熱心にその主張を聞いたし、テレビ深夜番組にカルーセル麻紀が出演するのも応援した。三輪明宏がまだ自分自身のセクシャリティを明らかにせず、丸山明宏という名で「よいとまけの唄」を歌っている時代から、彼の不思議な魅力はいったいどこから生まれるのか、と思っていた。
おすぎとピーコが登場したとき、「ふたごのゲイ」という特長もあり、彼女たち(?)の自己主張が小気味よかった。それまではテレビの中で「キワモノ」「イロモノ」扱いされ、正に対する負、陽に対する陰のイメージを持たされていたゲイの人たちのイメージを塗り替え、「ひとつの生き方」として認められたような気持ちがしてうれしかった。
ウェブ世界では、リアル社会よりオープンにジェンダーやセクシャリティの問題が語られている。昔に比べれば、若い人たちが自分自身のジェンダー問題について様々な情報を得る機会が多くなった。
トランスジェンダーの方々、臆することなく社会の好奇な視線に負けることなく「本当の私らしさ」を追求してほしいと思う。
若い人はもちろんだが、若くない人も、残り少ない自分の人生を「私らしく」生きていかなければ、生きている甲斐がない。「私は私。私らしくあれ!」
at 2003 10/30 21:29 編集
三島由紀夫は、『仮面の告白』で、絵本の中のジャンヌ・ダルクが美少年ではなく、男装の麗人であったことにがっかりしたと書いた。元祖戦闘美少女ジャンヌダルク、少女でいいんです。ジャンヌダルクは何度も映画化されていますが、ミラ・ジョボヴィッチの迫真の演技が印象に残っている。三島は美少年が好きであったけれど、私はボーイッシュ少女が好き。
ジェンダーとセクシャリティに対し、社会は50年前40年前とは違う反応を示すようになった。パートナー選びも自由。ヨーロッパでは同性との法的なパートナーシップを認める国も出てきた。
男と女も、女と女も、男と男も、どんな組み合わせであれ、ベストパートナーといっしょにいられる人は幸福だろう。そして「私らしさ」を失うことなく、「自分は自分」として生きて行けたらそれにまさることはない。
男であれ女であれ、男性の心を持った身体上の女性も、女性の心を持った男性も、自分らしく人生をまっとうしたい。男と女、女と女、男と男、どのような組み合わせであれ、好きな人を見つけて欲しい。
「私らしさ」を大切にできたらいいですね。
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2010/02/20
熱戦続く冬季オリンピック。高橋選手の銅メダル、よかったです。フィギュアファンの我が家、ショートもフリーも出場全選手の演技を見ました。フィギュアのほかは、ハイライトシーンだけとか主要選手だけを見るのですが、フィギュアスケートはペアも男子女子、アイスダンス、各国全出場選手の演技を観戦予定。
開会式も全部みました。北京のオリンピック人海戦術マスゲームオンパレードの派手な開会式パフォーマンスに比べると、「エコ」がテーマのひとつらしいこぢんまりした質実な印象だったけれど、その中で「カナダらしい」と感じたことのひとつは、先住民族のダンス以上に、ハレルヤを歌ったkdラングの歌声でした。ラングはグラミー賞受賞歴を持つシンガーソングライターであり、ベジタリアンレズビアンとしての自分自身を貫いて生きている人です。女性として生まれて、女性が女性を愛情の対象として欲する同性愛者であることを1992年に公表し、その後もカナダでは人気の歌手でありつづけています。
世界のなかでもカナダは、同性愛者や性同一障害者などにもっとも寛容な国のひとつであることを世界に印象づけました。マイノリティが生きやすい国というのは、マジョリティにとっても生きやすい国。開会式会場の外では、莫大な予算の必要なオリンピック開催に反対するデモも大きく報道されていました。しかし、いっさいの反対運動報道が押し込められた北京オリンピックよりは、「我が国は反対運動も自由」という印象を与えることができました。
2010/02/21
私の「姉の夫のいとこ」という人が、性同一障害によって悩み続け、ついに女性から男性に身体を変え、裁判所に申し出て戸籍上の性別も変えました。現在では男性として人生をすごしています。幼い頃のスカートを履いていたころの印象が残るだけで、成人してからは会っていないので、現在は男性として生活していると言われても想像がつかないですが、自分の心を取り戻して生きているのだろうと思います。
職場の知り合いのひとりは、アメリカで法的に男性同士のパートナーシップ(男性と女性の結婚と同等の法的な立場を得る)を結び、左の薬指には「結婚指輪」をしています。彼は「男性」のアイデンティティを持っており、「男性として男性を愛するセクシャリティ」を持って生きている。職場では公表されていないけれど、私は彼の結婚に祝意を伝えました。みな、それぞれの人生を生きられるようになったことは、喜ばしいと思っています。
私自身のジェンダー&セクシャリティについて言えば、身体的にはヘテロ志向であり、女性というジェンダー&セクシャリティを受け入れ、社会的には母親という役割を引き受けて過ごしてきた。でも、精神的には、「ボーイッシュな女性があこがれ」
1966年に好きだったのはやっちゃんで、1970年に好きだったのはカコちゃんで、2007年と2009年における私の「ボーイッシュな少女大好き」の女の子は、中国の朋友シャンユエ15歳でした。
2010年のボーイッシュガールNO.1は、スピードスケートの高木美帆選手15歳です。美帆ちゃん、35位だったけど、よくがんばったよ。これからも応援しています。
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20230226
世界の潮流にぐんと遅れをとっている日本。同性婚を法的に認めるか否かでも、政治家周辺の中にいまだに「気持ち悪い」とか「憲法は結婚について同性婚を認めていない」とか述べて、政治生命にかかわっているありさま。
高校時代ボーイッシュ少女だったやっちゃんは、今は69歳の「じいさんっぽいバーさん」です。春庭とやっちゃん、ふたりして「じーさんみたいなバーさん」になって、今は電話でおしゃべりしています。
まあ、古希すぎれば年齢どうでもよくなるし、じーさんみたいなバーさんもバーさんみたいなジーさんもみんな同じ。ジェンダーどれもアリ。
<つづく>