20230706
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩梅雨(6)近代美術館常設展示
夫とでかけた近代美術館のガウディ展ですが、おもったより会場が混雑していたので、途中で退場しました。夫は176cmなので人の頭越しにでも展示を見ることができますが、150cmの私、ちょっと混んでいると人の中に埋もれてしまって展示を見ることができません。観覧者が減るであろう16時に再入場することにして、夫は4階の「眺めのいい部屋」で休憩。私は常設展を見て回りました。
季節ごとに常設展示の入れ替えがある近代美術館ですが、前回「重要美術品の秘密展」に来た時とそれほど日にちが経っていないので、展示は変わっていないかと思いました。それほど美術が好きでない夫は休憩を選んだのですが、前回は春の展示で今回は夏の展示に入れ替えがあった時期だったのか、新展示がかなりありました。特に3階の日本画展示室は女性画家特集が企画され、見たいと思っていた伊藤小坡 の作品も展示されていました。
伊藤小坡「春宵」1942

上村松園「静」1944

中国との開戦以来、日本人画家も戦争に動員され、近代美術館の中に藤田嗣治と小磯良平の大きな戦争画も展示されていました。
上村松園にも、戦争に向かう世論を鼓舞する絵の要望があったろうけれど、1944年という太平洋戦争敗色濃い時期に松園が描いたのは、静御前がきりっとした表情で頼朝政子の前で踊り出そうとする姿。軍部には「銃後の女子の覚悟を示す」とかの言い訳がつけられたことでしょうが、そんな背景はなしでも無心に絵を見れば、静御前の心が伝わってきます。
池田蕉園(1886-1917)「かえり路」1915年 (新収蔵品)

上村松園らの次の世代に当たる片岡球子(1905-2008)、なんといっても100歳を超えても現役画家として絵筆をとり、103歳で急性心不全で亡くなるまで活躍なさったことを思うと、73歳などまだまだひよっこと思います。
片岡球子「ポーズ21」2003(98歳の作品。1983年から一人の女性をモデルに20年間描き続けたシリーズ作)

志村ふくみ(1924-)「七夕(紬織)」1960

堀柳女(1897-1984)「瀞」1957

彫刻に対して、人形は長く「芸術」とは認められてこなかった分野です。私は彫刻よりも鹿児島寿三(1898-1982 )四谷シモン(1944-)与勇輝(1937)などの人形のほうが好きです。
今回の常設展では、久しぶりに藤牧義夫(1911-1935)の「赤陽」の展示もあり、長谷川利行(1891-1940)の「鉄工所の裏」は初めて見るも見ることができて、充実した常設展でした。
藤牧義夫「赤陽」1933 「しねま」1933


藤牧義夫「鐵」1933

長谷川利行「鉄工所の裏」1931

松本竣介 (1912-1948)「黒い花」1940

藤牧と長谷川は戦前に亡くなっています。松本は戦意高揚のポスターを描いたこともあるとされていますが、藤田嗣治小磯良平らのように積極的に戦地に赴いて戦争画を描くような軍部協力をしていない。むろん、戦争協力のあるなしで画家の作品を語ることはできないが、なんとなく私が好む画家の傾向があることに気づきました。
靉光(1907-1946)もそのひとり。戦争画を描く事を当局より迫られ「わしにゃあ、戦争画は描けん。どがあしたら、ええんかい」と言ったというエピソードが知られています。戦争を描かない画家は容赦なく徴兵され、戦地で赤痢にかかって戦病死。作品の多くは広島原爆によって消失。「自画像」を近代美術館へ寄贈した井上長三郎は、新人画会、池袋モンパルナスの画家としてで靉光と関わり、自画像を託されたのでしょう。広島ではないところにあったゆえ、作品が残りました。
靉光「自画像」1944

岡本太郎は、従軍画家としてでなく、ただの陸軍二等兵として31歳で補充兵応召。中国で捕虜生活ののちに帰国。高齢で徴兵されたのは、従軍画家にならなかったためでしょう。
岡本太郎「コルトポアン」1935 作品が戦災で焼失したため1954年に再制作。

なんとなく好き嫌いがあるのは、それぞれの好みゆえでしかたないことですが、何人かの画家を比べて見て、好きな画家には「従軍画家として戦地で戦争画を描く」という経歴がない、という共通点に今回気づきました。なんか、腑に落ちた。
<つづく>