
20230722
ぽかぽか春庭アート散歩>2023アート散歩夏(5)印象派の光展 in 松岡美術館
7月5日水曜日、松岡美術館を観覧。所蔵作品の中の「印象派」を展示した第5室第6室が目玉で、展示の絵は『館蔵フランス近代絵画』という図録に載っている「いつもの館蔵絵画とって出し」の展示です。松岡美術館は、ぐるっとパスを買ったときにはたいてい訪れてきた美術館なので、たぶん、「館蔵フランス近代絵画」も、何度か見ているはずですが、よい絵は何度見てもいいし、なんといっても、ぐるっとパスを最初に買っておけば、何館みて回っても、2500円ですから。第1~4室は常設展示。
会期:2023年6月20日ー10月9日
松岡美術館の口上
印象派の画家たちが活躍した19世紀後半のパリは、ナポレオン三世の下、オスマン男爵が取り組んだ大規模な都市改造により道路拡張やガス燈の設置、また鉄道網が形成されるなど、市民生活が大きく変わった時代でした。その変化に呼応するように、伝統が王道とされた絵画の世界も変貌していきます。先駆けとなったのがマネでした。彼は約束事にとらわれない手法で、パリの新しい生活風景を描き出し、絵画に革新をもたらします。印象派の画家たちは彼を慕い、逆境の中で共に学び合いながら新たな表現を模索し、光溢れる絵画を作り出しました。
当館の創設者 松岡清次郎が事業家として生きた20世紀もまた、産業技術の革新により人々の暮らしぶりが目まぐるしく変わり続けた時代でした。清次郎は貿易を手始めに、冷蔵倉庫業、ホテル、教育事業、不動産賃貸業といった人々の生活に関わる事業を数々手がけ、人々の暮らしに目を向けていました。なかでも、大正12(1923)年に創業し本年創立100周年をむかえた松岡冷蔵は、日本の食品コールドチェーンのパイオニア的な存在であり、日本の台所を支えています。清次郎が印象派の絵画に惹かれたのは、画家たちの生活への眼差しや現状を見据え新たな表現を生み出そうとする心意気にシンパシーを感じたからなのかもしれません。新たな芸術を追い求めた画家たちの作品に清次郎が感じ取った理想の美を見つけていただければ幸いです。
松岡美術館は、創設者松岡清次郎がメインの事業である冷蔵倉庫業の創立から100年ということで、入り口に大きな清次郎胸像がありました。前回2022年8月にきた時も展示してあったと思うのに、まったく見た記憶がありませんでした。横目でスルーしたらしい。
清次郎90歳の姿。作者は伊東傀(1918-2009)。この像を作るためにポーズをとっている写真というのが館員ブログに出ていたのは「好好爺」のイメージもあるのに、彫刻のほうは「政治的に正しい言語」でいうと「貫禄ある資産家」、貧乏人のひがみ語でいうと「でっぷり太った金満家」
ま、金持ちになると美術品集めをしたくなり、それを公共のために美術館として開示するのは、金持ち趣味の中でもいい方だと思います。少なくともカジノで何百億スッタなんてのよりはよい。
彫刻が「金満家」のイメージになったことは、伊東の表現力だと思うのですが、清次郎はこの「あとあと残るであろう自分の胸像」を、これでよし、として展示することにしたのでしょうから、貧乏人のひがみ語で論評することもないのですが。
ぐるっとパスで入れて、館内撮影自由、という私が美術館に望むことが両方ある松岡美術館、好きです。(第2室近代彫刻の部屋のみ撮影不可。著作権切れていない彫刻家作品があるからだと思います)
さて、今回の特集「印象派の光」展は、38点が2室に展示され、よい作品が並んでいましたが、残念なことがひとつ。展覧会のチラシのルノワールの「リュシアン・ドーデの肖像」は、展示替え後半8月15日からの公開であること。展覧会への注文として、「チラシやポスターに使うメインビジュアル作品は、全会期展示にすべきだ」と出入口の受付嬢に言いました。そんなおばはんのことばは責任者まで伝わらないかもしれないけれど、ひとつの意見として、腹にふくるることないように言いました。私の腹がふくらんでいるのはただの脂肪のかたまりだけど。この少女像のほかのルノワールは1点のみの展示で「モネ、ルノワール」と展覧会タイトルに銘打ってあるのに、1点のみって、さびしい。

モネは3点、ピサロ3点、シスレー1点。シニャック1点。ブータン、ギヨマン、モレ、モーフラ、ロワゾ―、クロッス、プティジャン、マルタン、リュス、ヴァルタが展示されていました。印象派とポストインプレッションを、ほどよく集めていると思います。プティジャンの「ニンフの居る風景」、など、はじめて見る絵もあって、楽しく観覧。
モネ「サン=タドレスの断屋 」1867

モネ「ノルマンディの田舎道」1868

ブータン「海-水先案内人」1884

ルノワール「ローヌの腕に飛び込むソーヌ」1915

ピサロ「羊飼いの女」1887頃(グワッシュ)

ピサロ「丸太作りの植木鉢と花」1876

ピサロ「カル―ゼル橋の午後」1903

シスレー「麦畑から見たモレ」1886

モレ「ラ・ド・サン、フィニステール県」1911

シニャック「オレンジを摘んだ船マルセイユ」1923

展示されていなかったルノワールの作品のポスターと私。ヴァルタ「黄色い背景と大きな花瓶」と私


2階4室の陶磁器の部屋も華麗な柿右衛門や古伊万里などがすばらしい色と形を見せていましたし、平日は観覧者が多くなく、落ち着いてすごせる美術館です。
松岡清次郎が憩いの場にしたという自宅の庭がそのまま残っています。
松岡清次郎が手に入れる前、白金のこの土地は渋沢栄一から廃嫡された篤二が、政略結婚の嫁から逃げ出して相愛の芸者とふたり逼塞した陋屋のあった場所なんですと。この千坪の土地、どんな家があったのかはわからないけれど、きっと瀟洒な趣深い家だったのだろうな。実業から離れ趣味に徹して生涯をすごした篤二。篤二の次にこの土地を手に入れた松岡清次郎も多趣味の人だったという。
さて、「金のかからない多趣味」を楽しむ私も、「よそ様の庭眺めるのもタダ」と思いながら庭をながめました。

<つづく>