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ぽかぽか春庭「万葉仮名くらげなすただよへる」

2024-02-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240224
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>春庭文字表記(4)万葉仮名くらげなすただよへる

 春庭アーカイブ。過去ログのなかから、日本語の文字表記について掘り起こしています。
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2008/06/22
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>虹をかける授業(29)万葉仮名くらげなすただよへる

 聖武天皇の紫香楽宮(しがらきのみや)跡から発掘された木簡。
 日本語の音節ひとつに漢字1字あてる万葉仮名で「奈迩波ツ尓(なにはつに)」「夜己能波(やこのは)」「由己(ゆご)」という文字が、木簡に書かれていました。

 古今和歌集仮名序に、紀貫之が引用した「難波津(なにはつ)に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」の一部とみられます。
 この歌の作者とされているのは、日本に漢字を伝えたという伝承がある王仁。
 大雀命(おほささきのみかど・後世につけられた名は仁徳天皇)が即位したとき、治世の繁栄を願った祝いの歌。

 冬ごもりをおえて咲き誇る花。年ごとに咲く花に、大王の繁栄を重ねた歌なので、王仁個人の歌というよりも、「みかどをそへたてまつれるうた」として、伝承されてきた和歌なのだと思います。

 もう一首。
 木簡の裏側には、「阿佐可夜(あさかや)」、下部には「流夜真(るやま)」と書かれていました。万葉集16巻に載っている、「安積香山(あさかやま)影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに」という歌が読みとれます。

 大和の国から九州へ東北へと勢力を広げたヤマトの大王。大王から陸奥国に派遣された葛城王をもてなす宴会で、昔、采女(うねめ)として大和朝廷に仕えていた女性が詠んだとされている歌です。
 地方の首長たちは、自分の娘や姉妹をヤマトの大王のもとに采女(うねめ=宮廷の女官)として差し出すことになっていました。采女のつとめを終えてふるさと陸奥の国へ戻っていた女性が、葛城王の前に召し出されて、歌を詠んだ。

 アサカヤ(マ)という日本語発音に「阿佐可夜(?)」という漢字が一字一音であてられています。万葉集成立以前に、広く「万葉仮名」が使われていたことがわかる、貴重な木簡です。

 万葉仮名の表記方法で記載されているもうひとつの書。
 古事記(成立712年)の冒頭。

「天地初發之時於高天原成神名天之御中主神【訓高下天云阿麻下效此】次高御産巣日神次神産巣日神 此三柱神者並獨神成坐而隱身也次國稚如浮脂而久羅下那洲多陀用幣流 ...」
と、太安万侶らは、記しました。

 「くらげ」ということばには、音節ひとつに漢字ひとつを「当て字」して「久羅下」と書き表し、「くらげなすただよへる=久羅下那洲多陀用幣流」と、音節文字の原型があらわれています。

 古事記本文は、漢字だけを用いて「変体漢文(日本風漢文)」で書かれていますが、古語や固有名詞のように漢文では表記できない部分は、一字一音表記で記す、すなわち音節文字の万葉仮名で記録するという表記スタイルを取っています。
 「花」は万葉仮名で書くと「波奈」,「クラゲ」は「久羅下」と書き表したのです。

 この表記方法を読み解いたのが、本居宣長です。(宣長の息子、本居春庭も国学者です。春庭が名前を借りています)

 2008/06/23
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>虹をかける授業(30)男もすなる日記にかかれた女手の草仮名

 この古事記万葉集の時代から200年ちょっとたったとき。紀貫之が、ひらがなの文章として、土佐日記を書きました。(成立935年)
 当時、男は漢字を書き、ひらがなは「女手」と呼ばれました。

 それで、紀貫之は「ひらがな表記」をするにあたって、わざわざ「男も書くという日記というものを、女も書いてみます」と、冒頭に記しました。教養ある男性は漢字漢文で文章を書くべきとされた時代に、あえて「女のふり」をして、ひらがな文を書いたのです。

 紀貫之は、漢文もお得意だったことでしょうが、こまかい情景の描写や気持ちの表現には、やはり頭に浮かんだ通りの文を、そのまま表記できるひらがなで書きつづってみたかったのでしょう。

 万葉仮名の表記方法で古事記や万葉集が記録されて以来、草仮名(ひらがな)が改良され、ひらがなの普及が、土佐日記を生み、源氏物語を生み枕草子を生んだのです。ひらがなは、漢字と組み合わせると自在に日本語を書き表せるからです。
 意味内容を持つ語は漢字訓読み、音読みを組み合わせて、文法的機能を表す助詞などはひらがなで、文法意識を持った文章が書き残せるようになっていました。

 音節文字ひらがなができ、さらに「いろは歌」の普及によって一般庶民の間にも文字が使われるようになり、中世近世の高い識字率を生みました。世界中で、近代教育普及以前に、日本ほど一般庶民が高い識字率を示していた国は、ほかにありません。

 漢字にもアルファベットにもできなかったことを、ひらがなが成し遂げたのです。
 これは、日本文化のおおいに誇るべき点です。日本日本文化の根幹に「仮名文字」があります。

 漢字をくずした形のひらがなができあがった。さて、もとの漢字、全部わかって、いますか。日本語学習者、漢字を覚えた後、ひらがなの元の漢字について質問してくる人がいますよ。
 クイズをしてみましょう。

 クイズ(1)「あ」の元になった漢字は「安」です。
 では、「え」の元の漢字は何でしょうか。
 え た は に も み な し ら む の元の漢字を推測してください。

 クイズ(2)「世」は、ひらがなの「せ」の元字です。
 では、 以 寸 不 仁 也 尤 奴 遠 部 与 ひらがなの何の元字?

 クイズ(3)カタカナは漢字の一部分をとって作られています。次の漢字は、どのカタカナの元字でしょうか。
 畿 散 川 奴 八 女 礼 乎 三 己

 さて、15点満点。何点でしたか。

 クイズの答えは、以下のひらがなカタカナの元漢字表を見て、みつけてください。

ひらがなの元漢字表(漢字の草書体から)
安 以 宇 衣 於
加 畿 久 計 己
左 之 寸 世 曽
太 知 川 天 止
奈 仁 奴 称 乃
波 比 不 部 保
末 美 武 女 毛
也 ・ 由 ・ 与
良 利 留 礼 呂
和 為 ・ 恵 遠

ウィキペディア ひらがな表
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Hiragana_origin.svg

カタカナの元漢字表(漢字の一部分をつかう)
阿 伊 宇 江 於
加 畿 久 ケ 己
散 之 須 世 曽
多 千 川 天 止
奈 二 奴 称 乃
八 比 不 部 保
末 三 牟 女 毛
也 ・由 ・与
良 利 流 礼 呂
和 井 ・恵 乎
(ウィキペディア カタカナ表)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A

<つづく>
コメント
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