写真は昨日行った実家の菩提寺。写っているのは親戚の子。法事の終わったあと、これが最後かも、と思ってカメラに収めた。
昨日は長兄の妻の四十九日と納骨で、実家の菩提寺のある房総半島のど真ん中へ。義姉は享年90歳。兄は80歳だったから、まずまずの寿命と言えるだろう。長くは患っていなかった。
父の実家・・本家が近くにあり、墓域は本家と分家の区画が広くとられている。
私の祖父母に始まり、その長男の伯父、次男の父、そしてその子たちの墓が並んでいる。父母の墓には、2年前に未婚で亡くなった姉も入ってもらった。
長兄の家は娘二人だから、墓はこれで終わる。
なので、もう、墓参に行くこともないかもしれないし、時間をかけて房総半島のど真ん中まで行くことはもうない。とにかく、東京を縦断して乗り換え乗り換えで行く場所なので日帰りの距離とはいえだんだん辛くなってくる。
そんな思いで、墓参の最後かも・・と、実家の墓所のすべてに別れを告げた。
お寺は真言宗、紀州根来寺を本山とするもので、房総半島に多い成田山新勝寺系とは違う。今は若い住職が独で守っている。昔は家族で清む住職一家と父は親しくしていたようだが・・
お寺の歴史は古い。724年創建、という。おまけに、こんな話も残っている。
ネットから
豊臣秀吉禁制の古文書を所蔵されています。
禁制の古文書は、天正18年(1590年)発布の文書で、36×48.5cm(B3サイズ位)の紙に、乱暴狼藉放火は厳罰に処すると書いてあります。
・幕末には、旧幕府軍の歩兵隊の撒兵隊が寄宿中に、官軍の攻撃を受けています。
境内の林には百ともいわれる古い地蔵尊が並ぶ。お彼岸にはお札を貼ってお参りするのだそうだ。
兄姉がどんどん居なくなり、唯一残っている3歳上の姉もこれが最後かも、と思っていたようで、2人とも、子供の頃の思い出がどんどん出てくる。我が家は海のそば、隣村の本家は山を越えた村。バスはないから山道を越え畑を通り、母と歩いてきたのだ。姉に言わせると「小さいとき、あんたはお母さんに負ぶわれたのよ、私は歩かされて」という恨みにもなる道。1時間半はかかったかもしれない。本家まであと少し・・という長い坂道は今は車で一瞬にして過ぎてしまう。
そんな菩提寺への往復で、昨日はぐったり。
十二月八日海より黒き雲 KUMI
昨日は長兄の妻の四十九日と納骨で、実家の菩提寺のある房総半島のど真ん中へ。義姉は享年90歳。兄は80歳だったから、まずまずの寿命と言えるだろう。長くは患っていなかった。
父の実家・・本家が近くにあり、墓域は本家と分家の区画が広くとられている。
私の祖父母に始まり、その長男の伯父、次男の父、そしてその子たちの墓が並んでいる。父母の墓には、2年前に未婚で亡くなった姉も入ってもらった。
長兄の家は娘二人だから、墓はこれで終わる。
なので、もう、墓参に行くこともないかもしれないし、時間をかけて房総半島のど真ん中まで行くことはもうない。とにかく、東京を縦断して乗り換え乗り換えで行く場所なので日帰りの距離とはいえだんだん辛くなってくる。
そんな思いで、墓参の最後かも・・と、実家の墓所のすべてに別れを告げた。
お寺は真言宗、紀州根来寺を本山とするもので、房総半島に多い成田山新勝寺系とは違う。今は若い住職が独で守っている。昔は家族で清む住職一家と父は親しくしていたようだが・・
お寺の歴史は古い。724年創建、という。おまけに、こんな話も残っている。
ネットから
豊臣秀吉禁制の古文書を所蔵されています。
禁制の古文書は、天正18年(1590年)発布の文書で、36×48.5cm(B3サイズ位)の紙に、乱暴狼藉放火は厳罰に処すると書いてあります。
・幕末には、旧幕府軍の歩兵隊の撒兵隊が寄宿中に、官軍の攻撃を受けています。
境内の林には百ともいわれる古い地蔵尊が並ぶ。お彼岸にはお札を貼ってお参りするのだそうだ。
兄姉がどんどん居なくなり、唯一残っている3歳上の姉もこれが最後かも、と思っていたようで、2人とも、子供の頃の思い出がどんどん出てくる。我が家は海のそば、隣村の本家は山を越えた村。バスはないから山道を越え畑を通り、母と歩いてきたのだ。姉に言わせると「小さいとき、あんたはお母さんに負ぶわれたのよ、私は歩かされて」という恨みにもなる道。1時間半はかかったかもしれない。本家まであと少し・・という長い坂道は今は車で一瞬にして過ぎてしまう。
そんな菩提寺への往復で、昨日はぐったり。
十二月八日海より黒き雲 KUMI