写真は、6日に夫の遺骨とともに帰宅した日の夕富士。この秋最高の美しさの夕富士だった。親しい人たちとささやかなお清めをしたあと、外を見て皆で歓声をあげた。
もう、今日が初七日。当地では火葬場の都合もあって亡くなってから告別式まで数日を置くことは珍しくないから、我が家はまだ早い方だったかもしれない。なので初七日の法要も同日に行ってしまう。
ブログ再開は早い、と思いつつ、このままでは俳句の作り方すら忘れそうなので夫に断って「自分の暮らし」を元に戻していこう、と決意した。
(ブログを休んでからの怒涛のような日々については、書いたら大変な労力が必要、それに、まだ文章にする気分にもなれません。ですので省略します。今後のブログの中で必要なら書くこともあるかと思います)
寡婦、とは古い言い回しだが、字にしてみると悪くはない。
さて、告別式はごくごく親しい、夫の指名した者たちだけでとりおこなった。昨日は、その他の友人や私の身内への事後連絡だけで終わってしまった感がある。何しろ天候不順の一ヶ月半を看取りに費やしたので、私の体調はかなり低下している。無理なく、せねばならないことをしていこうと思う。
今日の午前中は、四十九日の納骨のことで霊園へ電話したり、というだけで疲れてしまった。午後は、近所の銀行へちょっとした手続きに行き、初七日の焼香にあっちゃんが仕事帰りに寄ってくれて。二人で珈琲を飲み、少しだけのんびりとした時間を過ごした。
焦らずゆっくり、その他の手続を少しづつ片付けながら、自分の時間を撮り戻そう。
気づいたら、はや今日は立冬だった。
遠富士を輝かせ冬来たりけり KUMI
もう、今日が初七日。当地では火葬場の都合もあって亡くなってから告別式まで数日を置くことは珍しくないから、我が家はまだ早い方だったかもしれない。なので初七日の法要も同日に行ってしまう。
ブログ再開は早い、と思いつつ、このままでは俳句の作り方すら忘れそうなので夫に断って「自分の暮らし」を元に戻していこう、と決意した。
(ブログを休んでからの怒涛のような日々については、書いたら大変な労力が必要、それに、まだ文章にする気分にもなれません。ですので省略します。今後のブログの中で必要なら書くこともあるかと思います)
寡婦、とは古い言い回しだが、字にしてみると悪くはない。
さて、告別式はごくごく親しい、夫の指名した者たちだけでとりおこなった。昨日は、その他の友人や私の身内への事後連絡だけで終わってしまった感がある。何しろ天候不順の一ヶ月半を看取りに費やしたので、私の体調はかなり低下している。無理なく、せねばならないことをしていこうと思う。
今日の午前中は、四十九日の納骨のことで霊園へ電話したり、というだけで疲れてしまった。午後は、近所の銀行へちょっとした手続きに行き、初七日の焼香にあっちゃんが仕事帰りに寄ってくれて。二人で珈琲を飲み、少しだけのんびりとした時間を過ごした。
焦らずゆっくり、その他の手続を少しづつ片付けながら、自分の時間を撮り戻そう。
気づいたら、はや今日は立冬だった。
遠富士を輝かせ冬来たりけり KUMI