天気 曇
写真は、国立市朝顔市のもの。15年も前のもの。
20年以上、毎年通っていたので懐かしい。コロナ禍以後開催していなかったが、今年はどうなのだろう?といっても、ここに暮していては鉢を育てることも出来ない。
昨日の予報では夜半には大雨のはずが、何事もなかったようだ。朝、ベランダ側の戸を開いたら、いつもは熱風が入ってきたのに、なんと、涼しい風が入ってきた。雨で少しは空気が冷えたのだろう。
毎晩、寝る前にYouTubeの整体師の動画を参考にして、10分ほど腰痛防止などの簡単なストレッチをしている。最近、ついでに、認知症専門医の発信も見ることがあり、昨日は「絶対に、を言う人は危険」というような短い話だったので、思わず覗いてしまった。
アルツハイマー型の認知症になりそうな人は「絶対に私は人に騙されない」「絶対に間違いない」などと、物事の強調に「絶対」を頻繁に使うようになるのだという。
認知症については、「実地」で観測して色々解ったが、この「絶対」は認識していなかった。私はあまり言っていないと思うけど・・「思うけど・・絶対に、なんてこの世にはあり得ないのだから、言っていないと思う」という程度で、あまり自信がない。
認知症へのプロセスは色々ある。
※財布が見当たらない→誰かに盗まれたようだ→〇さんに盗まれた
※朝食に何を食べたか思い出せない→朝食、食べていない→(夜になって)今日は何も食べていない
※今、何月だっけ?→今日は何日の何曜日?→今、何時?(時計の読み方を忘れた)
※小銭を使っての買い物が面倒→1000円札を使ってお釣りを貰う→ますます小銭の使い方が解らなくなる→小銭ばかりが異常に溜まる
まあ、例を挙げたらキリがない。
今は食事を共にしなくなり、挨拶程度で話さなくなったSさん、そういえば自信を持って「絶対」をよく言っていた。
「夜中に、(ラウンジで)碁を打ってた人が来て、トイレを貸してくれ、って言うの」
「夜中?碁は夜中にはしていないと思うけど・・夜中に碁を打ってたら、夜勤の職員が部屋へ帰るように言うでしょ」
「あなた、夜中まで起きてないでしょ。絶対に間違いないわよ、碁を打つ音が聞こえてたし私の部屋へ来たのだから」
「でも、トイレはエレベーター横にあるし・・」
「絶対に間違いないの!」
といった調子で。彼女の部屋へ入るのは、碁を打つ人だったり、冷蔵庫の中をあさっていった職員だったり小学生だったり色々。否定されるのが大嫌いな理屈っぽい元教師なので、対応に困った。
「夢を見たのでは?」
「夢じゃありませんよ、現実よ、絶対に。この目で見ているのだから」
「事実だったら怖い話。職員に伝えた方がいいのでは?」
「職員もグルなのよ、絶対」とかいうことになり、疲れる。
今は食事のテーブルが別になり、私のストレスはなくなった。彼女、今はどうなっているのだろう?多分、被害妄想はもう卒業して次の段階へ進んでいるのかもしれない。周りの人たちとあまり話さないようだ。多分、時計は読めなくなっている。
これからも、絶対、を言う人には気をつけよう。というか、連れ合いや実家の親が言い出したら、アルツハイマーの予備軍、と思った方が良いようだ。
もう痩せる余地なきまでに夏痩せて KUMI