天気 晴
2月へ突入。陰暦2月は別名「梅見月」とも言う。現在では3月になるだろうか。写真は、ここへ入った年の2月に公園で。入所が10月だから、夫の四十九日を過ぎたこの時期はまだ、「寡婦暮らし」を暫く楽しむ覚悟だったかもしれない。コロナ禍の始まるまであと少し。
今日、昼前に救急車がやってきた。救急車は珍しくもない介護老人ホーム。私の部屋からよく見下ろせる。あまりいい気分ではない。
でも、4階の人は朝食の時に皆、変りなかったようだし、廊下もあまり騒がしくない。他の階の人だろうと思っていたら・・
すぐに近い部屋のKさんが部屋で転倒して、頭を戸棚の角にぶつけて血だらけになったのだという。足が少し不自由だが私よりも元気な90歳過ぎの方。転倒して足腰が立たなくなった訳ではないらしい。救急車のストレッチャーが来なかったのであまり大きな音はしなかったのだ。多分、車椅子で降りたのだろう。
結果、夕方には怪我の手当も終わり帰ってきた。頭を打ったので検査したのだろうが脳は無事だったのだ。大事をとって救急車を呼んだのも、血の量が多かったからかも。90歳を過ぎていて、家では息子夫婦と暮らしていたというから、彼女くらい元気ならここへ来る必要もないような・・。週末には決まって1泊で近くの自宅(息子の家?)へ戻る。春には帰宅する、と言っているけれど、とケアマネさんに確認したら「家族はねえ、あまり・・」と言葉を濁した。
入所の理由は何なのだろう? あまり緊急性もなさそうだし。
ここは介護付有料老人ホームなので、最期の看取りまでしてくれる。つまり、とくに治療の必要な大きな病気もなく「老衰状態」であれば、ここで天寿を全う出来る。何人も、そういう人が居た。去年末亡くなった100歳のTさんのように、寝込んだのは確か1週間もなかった。認知症でもなかったし、それこそ天寿全う。
私は病気だらけなのでそこまでは無理、と覚悟している。とにかく、そんな最期のことまで考えず、病気を抱えての独居生活に心身とも自信がなくなり、コロナ禍から逃げるようにここへ入居してしまった。長かったコロナ禍の月日を思うと、正解だった。
入所している人に色々聴いた訳ではないけれど、ここへ入るきっかけは、一番解りやすい理由が「認知症」だろう。もう、在宅では面倒を見る人が居なくなった独居老人。女性が圧倒的に多い。ご主人が入居させることもあるようだ。2人とも認知症の夫婦が居る。もう、二人の居宅生活を介護していた家族には悲劇ですよ。経済的に難しかったら、町ではどんな暮らしになっていたのだろう?奥さんは今、病気入院中。ご主人は同じ階だが元気で、でもさっきのことも忘れる人なので、奥さんを探してウロウロする日が多い。入院中ですよ、と言われて、その時は納得するが、翌日は忘れている。
そして、10人余りの男性入所者の殆どが、奥さんに先立たれて独居生活が成り立たず・・という理由のようだ。知っている範囲では、教師だったりゼネコン会社の管理職だったり、年金はたっぷりあるから、その年金だけでここの支払いが出来る。今は居なくなったが、男同志での世間話で「うちの会社は・・」などと現役時代の話を飽きもせず・・という人たちも居た。こういう所で過去の自慢話はうんざりする。
それと、女性の戸籍調べ好き。「あなた、昭和二桁?私よりも10歳も若いのねえ、お孫さんは? うちはひ孫が・・」などという家系お披露目の好きな人もうんざり。私は、自分の年齢は絶対に言わない。「若いわねえ」と言われるのはキモチ悪い。相手の耳が遠かったりすると、大声で、戸籍の内容を何十人にも暴露されることになるから。この施設の平均年齢は90歳を越えている。70代の人も居るものの、90歳過ぎが圧倒的に多いのだ。
元気で長生きしたかったら、認知症にならないことと、自力歩行の努力をすること。私のように病気だらけにならないこと。ただ年齢を積み重ねても、人生、面白くはありません。
二月来る遠き地の地震(なゐ)遠ざかり KUMI