天気 曇
テレビの映像が、朝からやたら河津桜満開の風景ばかり。半月早く咲いてしまったので、伊豆方面は今週末、大変な混雑になるかも。写真は公園の花ミモザと河津桜。5年前の3月に入ってからのもの。でも、今年の異常陽気ではもう咲いてしまったかも。
今日も部屋に籠るしかなく。足指の痛みは良くも悪くもならないが、腫れている甲が気になる。ともかく靴が履けないので、何とか室内履きにしている夏用の草履で外へ出るしか・・と考えている。駅前くらいまでなら、草履で歩けそうだ。そんな訳で明け方、痛みで目が覚めてしまう。鎮痛剤が切れるのだ。で、憧れていた「年寄の早起き」が出来ている。目が覚めて鎮痛剤を飲み、時計を見ると5時近い。昨日はそれから眠ったが、今朝は痛くて「二度寝」はとても出来そうにないので起きてしまった。まる5時間はノンストップで熟睡しているから、大丈夫か・・って、目標は熟睡時間6時間なのに、悔しい。
早起きしてお散歩・・が、私の夢だった。夫も幸いなことに朝は遅かったが、亡くなる前の年の夏、私が冗談半分に「早起きして公園を歩いてきたら」と言ったら、それを実践した。もっとも、長続きはしなかった。同年齢の階下のご主人と会えるので同行していたらしい。
ジイサン2人、公園で何をしていたかといえば、ベンチでタバコを吸っていたらしい。公園内は禁煙ではなかったが、子供連れにはとても嫌われていたから、早朝なら肩身の狭い思いをしないで済んだのだ。「お前も来ないか。ラジオ体操もしているよ」いえいえ、ワタシは寝ていたい。それに、朝食は誰が作るの?
ここで早起きしても何もないから、富士山を眺めて(今日は見えず)洗濯機に洗濯物を入れるくらい。7時20分頃に食堂へ行く。作ってもらった味噌汁は美味しい、でも具が少な過ぎ。
こんな空は一日見えなかった。暫く青空を見ていないような。
最近、MCI、という病気を初めて耳にした。何の病気かと思ったら・・認知症の前段階のごく軽症の状態を言うのだそうだ。つまり、健康と認知症の間のこと。その時期に認知症だと判明すれば、新薬・レカネバムの使用対象になるらしい。その、治療対象になるかどうか、の判断が難しいようだ。検査費用も投薬もかなり高価なので、保険診療対象ではあってもその見極めが・・ということのようで。
以下、専門医の話。
ごくごく初期の認知症は、なかなか察知出来ないらしい。「最近、もの忘れがひどくて」と言う人は認知症には全く関係ない、MCIの人は、その、忘れたことを忘れている。つまり「財布を何処かへ置き忘れたようだ」と探しまわるのは正常な人。見あたらない財布を「財布がなくなっている」と言うのが症状の初期段階。財布の保管場所から自分で何処かへ動かした、という空間認識がなくなっているのが認知症の初期症状なのだそうだ。そんなことが一回や二回あっても、周囲の人は「また物忘れ」と思う程度なのだ。普通に暮らしてはいけるので、家族でもなかなか気づきにくい。
「昼食のおかず、何だったっけ?」と言うのは正常。
「食べていない」となったら、もう、初期段階を過ぎているかもしれない。
時間が解らなくなる人のことは私もここによく書いたが、毎週決まっている予定日時(たとえば〇曜日はカラオケ同好会)のような、当たり前のことを忘れたら危険信号。女性の場合、いちばん解るのはお金の計算が面倒で、小銭入れが異常に膨らんでくることだそうだ。千円札を出せば買える、というところまでは正常に認識しているのだ。
いずれにしても、小さなことに異常を感じたら医師に相談しないと、早い発見でなければ治療が難しいらしい。
前の部屋の人、たまに、食事して1時間半くらいで私の部屋をトントン。開けると「食事はまだ行かなくていいの?」「まだ少し早いわよ、部屋でテレビでも見ていれば呼びに来てくれるから」と、いつもの会話。最近は少なくなった。
そこで「さっき食べたばかりでしょ」と言ったり「今は〇時だから食事までは〇時間早いですよ」などと言っても、過去は消しゴムで消したように消えているのだし、時計は読めないし、意味がない。(最初の頃は私もよく解らなかったが、今は随分勉強した)
いつも、食堂で同じテーブルの人と話すのは「明日は我が身、と思わなくちゃ」ということ。軽度の認知症の人なら、私は最近は話すのも疲れなくなった。
花ミモザ抱き上げて嬰児(やや)機嫌よく KUMI