天気 晴のち曇
明日、冷気が抜けると一転して春の気候が来るのだという。無論、一ヶ月先の気候が長く続いたら地球もお終いかと思うけれど、とにかく暖かくなるのは今の私には有難い。来年のことなど考えてはいないので、冷気による指先の症状が少しでも回復してくれれば・・靴が履けるようになりたい。
写真は、今頃はもう咲いていると思うマンサク。春を告げて先ず咲く花、なのでマンサク(満作)と言うとも。
供花の花束に入っていた一本の菜の花、仏壇とは別のカップへ入れて置いたら、蕾があっという間に咲いてきた。

今年は、昨日が旧暦の新年なのだという。春節は中国や東南アジアでは祝うようだが、なぜか日本では無視されている。節分など、節季の行事は残っているのに。ともかく景気の悪い日本へ観光客として来てくれる正月休みの中国人に感謝しなければならない。が、今の時期は東京に彼らが溢れかえることはないだろうけれど、コロナ禍明けの今年の花見時期は大変なことになりそうだ。
どこへも行かない(行けない)私には関係ないか。
コロナ禍前の桜の時期、写真を撮りに隅田川へ行ったことがある。2017年だったか、夫がまだ元気で、私もカメラ持って出かける元気があった。その頃、中国人観光客が凄まじい勢いで増えていて、彼らの大声と歩道を「占拠」しての行動に辟易とした。何で日本人が車道を歩かされるの・・と思ったが、中国語は喋れないので仕方ない。
日本人は「人の迷惑になるような行動はとらないこと」という常識が幼い頃から身についている。でも、中国人にかかわらず、西欧人にもそういうモラルは浸透していないということが、最近解ってきた。歩道を歩くのに向こうから来る人とぶつからないようにする、ということも、自分が不愉快だから避けるのであって、他人に迷惑だからするのではない。
列に割り込むのも、トラブルにならなければ「悪いこと」ではないらしい。
ゴミを道に捨てるのも、ゴミ箱の設置がないのが悪い、いずれ誰かが掃除するのだし。ゴミの分別?守らないと罰せられるの?そうじゃなければどうでも良いこと。彼らは「自分が中心」であって通りすがりの「家族でもない他人はどうでも良い」存在。
ということらしい。そんなことがだんだんに解ってきて、日本の今の「当たり前の常識的な行動」がどんどん破壊されていくようで怖い。
でも、あと何十年と生きる訳ではない私にはもう殆ど関係ない話。若者たちよ、日本人の常識は世界の常識とはなっていない、と思いつつ、日本の美しき現状を維持していってください。
福寿草も、今頃、公園に眩しく咲いているかもしれない。

出掛けないので、元々写真を中心のブログ、ネタが尽きていく。
何だか一日置きになってきた。過去の写真で過去の話を・・という手もあるけれど、生きている今を書かないと意味ない気もするし。「無理しないで」と、誰かが言いそう。無理はしていません、靴が履ければねえ・・
ふるさとは花菜畑と海と空 KUMI