KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

寒の空

2024年01月09日 | 俳句
天気 晴

写真は、今頃の公園でよく見かけた光景。凧は揚がっているように見えるが、実は大木の梢にひっかかっている。低い木だったら管理事務所で長い棒みたいな道具で凧を下ろせるのだけれど・・
公園へ行った最後の頃の写真。
同じ頃の寒の空。わが家から撮ったもの。ケーブルに乗っての送電線の点検。

で、どの高さかというと、下の写真の左の小さな鉄塔が上の写真の鉄塔になる。点検しているのは、大きな方の鉄塔の送電線。


富士山がよく見えていいですねえ・・などと言えるスケールではない。次の鉄塔までケーブルを下りられない訳で。寒中の風に晒されて・・、本当に電力会社の作業する方たちには感謝感謝。今回の地震だって、一番大変なのは電力会社の復旧工事ではないだろうか。

乾燥注意報が出ているので空気がピリピリしているような。ともかくドライアイ注意信号、パソコンスマホは少しお休みした。ついでにテレビもお休み・・といきたいけれど、最近は活字を読み続けると眠くなるので困る。夜は、ついついテレビへ目がいってしまう。昨日も今日も、スマホで新聞記事を読みながらソファで居眠りしてしまった。長時間の居眠りは認知症の初期症状につながる、と重々承知。もう、なるようにしかならない。

影絵など指にて遊ぶ日向ぼこ   KUMI

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温まる

2024年01月07日 | 俳句
天気 晴

純白の、ペーパーフラワーみたいな寒牡丹。昨日の写真の続きで、赤い花もある。

災害地は、雪になってきたという。まだ電気も暖房用燃料も行き届かない所があるのだろうと思うと、こちらの心まで寒くなる。って、私が一緒に悩んだって何の役にも立たないこと。せめて少しの寄付でも考えておこう。

私も何とか寒さを回避して体を温めなくては。
何しろ、手足の末端に血を通わせる努力は色々しているけれど、ゆっくり眠るには体を温めなくては・・寝る前に入浴、とはいかないので、「飲んで温まる」ことにしている。今は、この二つ。夜、大体8時過ぎくらいにテレビを見ながら。珈琲は8時過ぎたら睡眠妨害になるので飲まないことにしている。



ポリフェノール摂取のために買ってあるがあまり食べないチョコレートは、細かく砕いて熱湯を注いで掻き回すだけ。食べるにはちょっと甘さがなくて・・というチョコ、3~4枚で200ccくらいのお湯で良いだろうか。多分、甘さが足りなくて・・という人も多いココアになる。私は珈琲に砂糖を入れない派なので、ココアも甘くなくて大丈夫。ココアにすると体の温まるのが不思議だ。

甘酒は、実は去年初めて利用してびっくりした。もっと早く知っていれば・・と悔しかった。一流菓子メーカー製。
フリーズドライになっていて、お湯を注げば甘酒になる。生姜入りでとっても美味しい。冬の吟行で向島百花園へ行くと茶店でいつも飲んでいた。その味とそう変わらない。ここに暮していると、珈琲を豆から・・は出来ないし、お茶も葉っぱから・・はとても面倒。辛うじてお湯だけは沸かせる、という暮らしなので、フリーズドライがこんなに美味しいとは思わなかった。ちなみに、お茶は施設で出してくれるのがほうじ茶ばかり。煎茶を淹れてくれるのはおやつの時だけ。必要ならティーバッグで済ませるしかないのがちょっと寂しい。
「酒は飲めないの?」と当然の疑問を持つ人も居るかもしれない。別に禁止されている訳ではないが、食堂での食事時間は無論飲めない。自室内なら自由だ。私も入所した年は時々ミニビール(125cc)を買ったこともあったけれど、免疫療法を始めてからは、なぜか全くアルコールに興味がなくなった。もう十分に飲んだからいい・・という感じだ。
夫に付き合って飲みましたからねえ、酒飲みの女房は素面ばかりではやっていけません。

沖縄の塩ひとつまみ薺粥  KUMI
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寒入り

2024年01月06日 | 俳句
天気 晴

寒牡丹の写真は、わりと新しい。夫が亡くなったあとの正月明けの写真かもしれない。隣の駅前の都立庭園で展示される。地植えしている、上野寛永寺のものとは違ってちょっと迫力のない数本だけ。庭園が狭いので仕方なし。それでも、寒牡丹の華やかさをすぐ近い場所で観られるので(駅前だし通院先のすぐ近くだったし)毎年のように行っていた。

寒入り、とはいえ午後には15℃になるという陽気で、日本海側は大雨という妙な天気になってしまった。風はないし暖かいかも・・と少し散歩してみる気になった。すぐ近所の学習塾の葉牡丹、プランターに幾つも色違いで育てていて、毎年楽しませてもらっている。


でも、今年は何とも回りの葉っぱが拡がり過ぎていて、締まりのない葉牡丹になっていた。暖冬で白菜やキャベツの「巻き」が悪い、という話を聴いたから、同じことなのだろう。
おまけに、並木にはまだ散り尽くせない枯葉もあって・・

実は、今日は暖かいので足指の「レイノー現象」は出ないかな、と思って昼食後、少し歩く気になった。が、陽の当たる道から日蔭に入ってしばらく歩いていると、足先がじんじんと痺れてきた。朝は霜の降りたくらいに冷えたので、午後になっても日蔭は冷え切ったままなのだ。だんだん違和感が強くなってくるので、坐って日向ぼっこの出来る所まで行くのは諦めて帰ってきた。
たった1600歩歩いただけ。
目眩・息切れがあっても、今日なら3000歩は歩けたと思うにのに・・残念。足の指に感覚のないまま歩くのも怖い。躓いたら最後だ。
帰宅して見ると、職員と少し話をしエレベーターに乗ったあとでも、指先は白いままで痺れていた。

私みたいな症状の出る患者は、被災者にも居るかもしれない。そう思うと気の毒でならない。血行が悪くなり凍傷になってしまうかも・・
私はとても避難所暮らしなど出来そうにない。ここで被災したらその必要なないけれど、停電などの万一を考えて「使い捨てカイロ」をたくさん買い置きしている。万一の時でも、人さまには譲りません、自分が一番大事。(最近、ヤなバアサンになりましたので)

遠富士の変わらぬ姿寒に入る  KUMI
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能登の思い出

2024年01月05日 | 俳句
天気 晴

写真は今朝の朝焼け。

一昨日の夜と昨夜と二晩連続で、2時間ドラマを見てしまった。2時間ドラマは疲れるので、この数年は見ないことにしてきた。でも、松本清張の原作、たまにはいいか・・と。何しろベッドに腰を下ろしてテレビを見ているのだから、見ながら寝る準備をして、コマーシャルの間に洗顔・・自分に甘くなってきた。
つまらなかったらやめるのも自由。
地震のニュースから少しは離れても許されるだろう、と。

能登半島は新婚旅行の地で、そのあと、30年ほど前にはGW後半にドライブ旅行で行った地。和倉温泉と輪島に泊まった。輪島は、ゆっくり歩いた地なので朝市通りには思い出がある。輪島塗の実演をしていたのが、もしかして火事で丸裸になっていた4階建てのビルかもしれない。「一生もの」と思って煮物椀にもなる大き目の椀を買い、お雑煮用に愛用していた。あーちゃんに譲った。
海に近い川沿いの古い旅館に泊まった。それもあとかたなく燃え尽くしたようだ。本当は写真がアルバムには残っていたのだが・・デジカメの前なのでアルバムはすべて破棄してしまい、何もない。

珠洲も通ったし、能登町も通った。古い町並の残っている所が多くて、カーナビのない時代だったから、町へ入ると道を間違えてウロウロしたことが何度も。その都度、運転手とナビゲーターになっていた私とで喧嘩になったものだ。そんな風に半島を一周したことになる。海に山が迫っている地形なので、半島の周回道路が寸断されてしまい、救助もなかなか進まないようだ。

日にちの経つほどに被害の明らかになっていくのが大地震。当時の古い町並が残っていたら、確かに瓦が重くて家は地震に耐えきれなかったかもしれない。それでも、今までの大地震には耐えてきたのだろう。震度6では無理だったのだ。
被災されたすべての方にお見舞い申し上げます。

生きてゐることが幸せ初詣  KUMI
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生きている幸運

2024年01月03日 | 俳句
天気 曇がち

写真は、昭和最後の元日、夫と初詣に行った最後の年にモノレールから撮った多摩川。とても良い天気で、さほど寒くもなくて、良い年を過ごせそう・・と思ったものだ。でも、正月明けの検査で夫はもう病魔が進んでいて、その初詣の時の元気さが最後となった。人で溢れていた高幡不動尊の山門。久々に懐かしく写真を眺めた。


元日は能登大地震の映像をいやというほど見ることになり。夕方から寝るまで東日本大震災を思い出していた。

昨日二日は、あーちゃん一家が来てくれて、前日に昼食を注文しておいたら、私と同じものを一食分用意してくれた。正月の特別メニューでちらし寿司があって、結構美味しかった。
そして・・何だか早く夕食が終って部屋へ帰り、テレビを付けたら珍しくNHKになっていて、羽田空港の滑走路に火の玉が。結局、飛行機の衝突から炎上までをリアルタイムで見ることになってしまった。

炎が、客室の窓に移っていくのを見て、乗客の居るのか居ないのかも解らないので何だか現実感がなかった。途中、千歳発のジャンボで満席だった、と情報が伝えられたときは、本当に心臓が騒ぎ始めて怖くなったのでテレビを消そう・・と思ったら、乗客は全員避難済、という情報が入った。「良かった~」と一人で叫んで拍手してしまった。
日本人は沈着冷静ですよ、今の時期だから外国人も居たかもしれないが。

ということで、二日続きの大惨事を見せつけられるばかりで。
生きている自分がとても運の良い幸せ者に思えてきた。こんな高齢者を高い医療費負担で命繋いでくれることに感謝して、体調が辛くても頑張らなくては。

そういえば、ショックがもう一つ。年末、関西の大物お笑いタレントが亡くなった。「老衰のため亡くなりました」と。別にファンだった訳ではないショックは・・え?確か私と同じ年齢では?それなのに老衰なの? 
私は、同じ年齢のタレントとか有名人はなぜか記憶していることが多い。テレビなどで見て、自分と比較出来るからだ。同年なのに若さを保っているわねえ・・と羨ましい人も居るし、あらま、シワの増えたこと、でもなんというお元気な・・などと勝手に眺めている。そんな彼女・彼らに万一があったら老衰、って、何かの病気で衰えたのだと思いたい。

ここは、最期まで看取る介護施設。なので「老衰」で亡くなる人は解る。食堂に来なくなったなあ、と思ったら部屋で寝込んでいて、1週間と経ずに永遠に眠ってしまう。入所者には何も知らされないが、喪服の家族なんかが出入りしていたりで、すぐに解る。大体、95歳過ぎている。先日の方は100歳だった。
老衰でない人は何かの持病持ちなので大抵は入院先で亡くなる。私のように病気治療しながらでは、とても100歳まで元気でなんか居られない。だから、82歳で老衰なんて、最近は聞いたことがないし考えられない。彼も高齢者施設に居たらしいけれど、何も病気はなかったの? ま、詳細は知らないけれど。
でも、老衰、は何だか腑に落ちない。
食堂でいつも一緒に食べる人たちと「私たちみんな老衰しているのねえ」と笑いながら顔を見合わせてしまった。全員80代。

いずれにせよ、平和な日本で自然災害にも遭わずに生きているのは、幸運なのかもしれない。正月早々、縁起でもない話だが、正月早々震災も事故も・・の年なので。

命終の話早や出る三日かな  KUMI
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