嶽山箒根神社は、那須塩原市役所の西南西約20kmの山の中にあります
東北自動車道の矢板インターチェンジから県道30号線を北上します
矢板市から那須塩原市に入って間もなく、唐滝沢の左岸沿いの林道を西へ
月山を目指します、標高約900mの神社に到着です
鳥居が有ります
説明版が有ります
本社の創立は、遠く明らかではないが祟神天皇の御代に豊城入彦命を東国に治めさせた時、各地の従
わぬ者を征伐して、善政をとった。
祭神は大己貴命、事代主命、伊弉冊命であり、その後豊城入彦命の曾孫、御諸別命が当嶽山に豊城入
彦命を合祭し、命の曾孫、宇津野別命が神主となり、当地に住んでいたので、地名を宇津野と名づけた
天武天皇の白鳳8年(679年)山元良章は修験者小角と共に登山し、木像を祀った。
延歴年間(782~805年)神位従五位を授けられた、寛治五年(1091年)源義家が奥羽地方
を討伐あい戦勝した時、本社に神田と金銅を宝物としてさしあげた。
長承年間(1132~1134年)宇津野鳩ヶ森城主、尾張守資家は、社殿を建て社領200石を寄
付した、これにより本城の祈願所となった。
天文2年(1533年)11月大田原城主の備前守資清と戦い、鳩ヶ森城は落城し、天文12年(1
543年)大田原城主の土地となる。本社もこの祈願所となり、山城守丹治綱清は、社領70石を寄付
した。
その後社殿は、城主が修理して栄えさせた。嘉永3年(1850年)飛騨守富清は、社領35石を寄
付した。文久2年(1862年)社殿を新たに建てた。(現在の社殿)大正5年10月同所高清水神社
八雲神社・荻神社を合祀して、箒根神社を村社嶽山箒根神社と改称した。例大祭11月23・24日の
2日間梵天祭、子ども獅子舞も奉納される。
神橋です
塩原市巨木保護条例7条による登録巨木29号、幹回り3、74mです
参道にはまだまだ大きなスギが並んでいます
28号登録の幹回りは、3.58mです
奥ノ院社殿前の階段です
嶽山箒根神社奥の院本殿です
向かって左側熊野山神社です
右側日光山神社です
案内板です
嶽山箒根神社奥の院
祭神
日光山神社(左殿) 大己貴命 他
本 殿 豊城入彦命
熊野山神社(右殿) 伊邪那岐命 他
創立は定かではないが、祟神天皇の御代につかわした豊城入彦命が名づけたと言い伝えられている。
元慶元年(877)嶽山箒根神社従五位下の神位宣告があり、天慶三年(938)藤原秀郷が朝敵
(平将門)追悼に成功したので、社殿を造営したとゆう。
その後、長承年間には鳩が森城の祈願所、天文十二年(1543)には大田原城の祈願所となり、
明治維新前までは毎年太田原城主の代参がありました。
今でも毎年11月の大祭には、梵天祭とともに関東一円より参拝者が訪れ賑わっている。
平成四年五月一日 塩原町文化財指定
塩原町教育委員会
社殿の直ぐ右手に大杉が有ります
栃木県内スギでは5番目の太さです
塩原町指定文化財石碑です
栃木名木百選です
説明版です
町指定天然記念物 嶽山箒根神社の大杉
所 在 地 塩原町大字宇津野1699
指定年月日 昭和十三年十月二十三日
嶽山の行者、山本良章が神社の守護樹として四方に植えたものである。現在残るのはこの一本のみ
です、箒の如き形状、枝すべて上方に向く、太さ目通り8.7メートル、樹高21.2メートル、枝
下9.1メートル、枝張り10.1メートル、樹齢約千年。
塩原町教育委員会
社殿前からの那須塩原市の眺めです
大杉の東側からの眺めです
東下、参道の北側広場のスギです、4,75mですので、大杉の次に太いようです
では、次へ行きましょう
東北自動車道の矢板インターチェンジから県道30号線を北上します
矢板市から那須塩原市に入って間もなく、唐滝沢の左岸沿いの林道を西へ
月山を目指します、標高約900mの神社に到着です
鳥居が有ります
説明版が有ります
本社の創立は、遠く明らかではないが祟神天皇の御代に豊城入彦命を東国に治めさせた時、各地の従
わぬ者を征伐して、善政をとった。
祭神は大己貴命、事代主命、伊弉冊命であり、その後豊城入彦命の曾孫、御諸別命が当嶽山に豊城入
彦命を合祭し、命の曾孫、宇津野別命が神主となり、当地に住んでいたので、地名を宇津野と名づけた
天武天皇の白鳳8年(679年)山元良章は修験者小角と共に登山し、木像を祀った。
延歴年間(782~805年)神位従五位を授けられた、寛治五年(1091年)源義家が奥羽地方
を討伐あい戦勝した時、本社に神田と金銅を宝物としてさしあげた。
長承年間(1132~1134年)宇津野鳩ヶ森城主、尾張守資家は、社殿を建て社領200石を寄
付した、これにより本城の祈願所となった。
天文2年(1533年)11月大田原城主の備前守資清と戦い、鳩ヶ森城は落城し、天文12年(1
543年)大田原城主の土地となる。本社もこの祈願所となり、山城守丹治綱清は、社領70石を寄付
した。
その後社殿は、城主が修理して栄えさせた。嘉永3年(1850年)飛騨守富清は、社領35石を寄
付した。文久2年(1862年)社殿を新たに建てた。(現在の社殿)大正5年10月同所高清水神社
八雲神社・荻神社を合祀して、箒根神社を村社嶽山箒根神社と改称した。例大祭11月23・24日の
2日間梵天祭、子ども獅子舞も奉納される。
神橋です
塩原市巨木保護条例7条による登録巨木29号、幹回り3、74mです
参道にはまだまだ大きなスギが並んでいます
28号登録の幹回りは、3.58mです
奥ノ院社殿前の階段です
嶽山箒根神社奥の院本殿です
向かって左側熊野山神社です
右側日光山神社です
案内板です
嶽山箒根神社奥の院
祭神
日光山神社(左殿) 大己貴命 他
本 殿 豊城入彦命
熊野山神社(右殿) 伊邪那岐命 他
創立は定かではないが、祟神天皇の御代につかわした豊城入彦命が名づけたと言い伝えられている。
元慶元年(877)嶽山箒根神社従五位下の神位宣告があり、天慶三年(938)藤原秀郷が朝敵
(平将門)追悼に成功したので、社殿を造営したとゆう。
その後、長承年間には鳩が森城の祈願所、天文十二年(1543)には大田原城の祈願所となり、
明治維新前までは毎年太田原城主の代参がありました。
今でも毎年11月の大祭には、梵天祭とともに関東一円より参拝者が訪れ賑わっている。
平成四年五月一日 塩原町文化財指定
塩原町教育委員会
社殿の直ぐ右手に大杉が有ります
栃木県内スギでは5番目の太さです
塩原町指定文化財石碑です
栃木名木百選です
説明版です
町指定天然記念物 嶽山箒根神社の大杉
所 在 地 塩原町大字宇津野1699
指定年月日 昭和十三年十月二十三日
嶽山の行者、山本良章が神社の守護樹として四方に植えたものである。現在残るのはこの一本のみ
です、箒の如き形状、枝すべて上方に向く、太さ目通り8.7メートル、樹高21.2メートル、枝
下9.1メートル、枝張り10.1メートル、樹齢約千年。
塩原町教育委員会
社殿前からの那須塩原市の眺めです
大杉の東側からの眺めです
東下、参道の北側広場のスギです、4,75mですので、大杉の次に太いようです
では、次へ行きましょう