滝泉神社は、吉岡町役場の北西約2kmのところ
新しく出来たばかりの県道25号線吉岡バイパスの西側すぐにあります
神社社殿前に駐車場が有ります
南側の神社入口から鳥居杉を見ます
向かって右のスギです
向かって左のスギです、参道両側に鳥居の様に立っています
古木 滝泉神社の鳥居杉の標柱です
社殿側からです
右のスギは頂部が亡くなっています、中間部も治療の跡が大きくあります
左のスギです
根元に治療の跡が残ります
社殿へ向かいましょう
参道脇に大きなケヤキが有ります
鳥居です
拝殿です
本殿は覆い屋の中です
本殿裏側に袂石が有ります
説明版です
滝泉神社と袂石
滝泉神社は、「上野国神名帳」に記載された「正五位泉矢明神」で有るという。野田村は稲作が盛ん
で、上手に水口神として泉矢明神を祀り、下手に稲の守護神として稲荷大明神が祀られていた。元和二
年(1616)野田村は、上野田村と下野田村に分かれたが、その後泉矢明神は滝泉神社と改称され上
野田村の鎮守となった。
滝泉神社の参道に四・五百年を経たと思われる一対の老杉がある。元禄十一年(1702)に白河家
より正一位の神階を受けた時からこの杉を鳥居杉と呼んでいる。天明二年(1782)別当泰超の代に
築地をもって神域を囲わせた。
この袂石は、昔村人の前に一人の翁が顕れて袂より小石を撮り出し「この石は村人の諸々の願いを叶
えよう」と言って消え去ったという、石は年毎に大きくなって終には巨石となり、諸々の願いに霊験を
顕したので村人はこの石を袂石と呼び、村祭りの度毎に注連を張り代えて崇敬している。
平成六年三月三十一日 吉岡町教育委員会
では、次へ行きましょう
新しく出来たばかりの県道25号線吉岡バイパスの西側すぐにあります
神社社殿前に駐車場が有ります
南側の神社入口から鳥居杉を見ます
向かって右のスギです
向かって左のスギです、参道両側に鳥居の様に立っています
古木 滝泉神社の鳥居杉の標柱です
社殿側からです
右のスギは頂部が亡くなっています、中間部も治療の跡が大きくあります
左のスギです
根元に治療の跡が残ります
社殿へ向かいましょう
参道脇に大きなケヤキが有ります
鳥居です
拝殿です
本殿は覆い屋の中です
本殿裏側に袂石が有ります
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滝泉神社と袂石
滝泉神社は、「上野国神名帳」に記載された「正五位泉矢明神」で有るという。野田村は稲作が盛ん
で、上手に水口神として泉矢明神を祀り、下手に稲の守護神として稲荷大明神が祀られていた。元和二
年(1616)野田村は、上野田村と下野田村に分かれたが、その後泉矢明神は滝泉神社と改称され上
野田村の鎮守となった。
滝泉神社の参道に四・五百年を経たと思われる一対の老杉がある。元禄十一年(1702)に白河家
より正一位の神階を受けた時からこの杉を鳥居杉と呼んでいる。天明二年(1782)別当泰超の代に
築地をもって神域を囲わせた。
この袂石は、昔村人の前に一人の翁が顕れて袂より小石を撮り出し「この石は村人の諸々の願いを叶
えよう」と言って消え去ったという、石は年毎に大きくなって終には巨石となり、諸々の願いに霊験を
顕したので村人はこの石を袂石と呼び、村祭りの度毎に注連を張り代えて崇敬している。
平成六年三月三十一日 吉岡町教育委員会
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