ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

神奈川県山北町、河村城址公園です!!

2016-02-27 21:02:54 | 城跡・館跡・陣屋跡
窯村城跡は、山北町役場の南西約1kmのところ

浅間山の西側尾根上に広がった山城です

国道246号線の南側に公園入口があります

寺が目印です


河村城址入口の石碑です、石碑の脇を登って行くと駐車場が有ります

河村城址歴史公園案内図です

本城郭へ向かいましょう

沢沿いの登城路をすすみます

山北町水源森林づくりの説明版です

茶臼郭側に進みます(階段を上ると本城郭下に出ます)



モミの巨木が有ります

茶臼郭と本城郭との分岐点です

階段を上がると

茶臼郭です

茶臼郭
  本城郭から北に伸びる尾根は二本の堀切によって小郭と茶臼郭に区切られている、北側に位置する茶臼郭は
 本城郭より約10m低く東西約20m南北約80mを計る緩やかな斜面で、東西両側に帯郭が見られる、絵図
 によっては、小郭を茶臼郭としているものもあるが、新編相模国風土記稿の河村城古図では、小郭の北側に茶
 臼郭を配している。                              山北町

帯郭でしょうか

小郭越しに本城郭です

小郭との間の堀底です

戻って本城郭へ向かいます

茶臼郭と小郭の間の畝掘りです

堀底の池は「お姫井戸」です

お姫井戸
  小郭と茶臼郭の間の堀切では、畝掘りが確認されており、東端の畝間には出水がある。新編相模国風土記稿 
 の絵図にはこの位置に井戸の記載があり、往時は井戸として使用していたと考えられるが、発掘調査では井戸
 の遺構は確認できなかった。しかし、河村城落城の時に城主の姫が井戸に身を投じたという衣話が今でも伝え
 られている。                                 山北町

振り返って、茶臼郭と井戸の関係が分かります

本城郭と小郭の間の畝掘りです

本城郭への上りです

本城郭虎口です

本城郭入口です、柵が造られています

本城郭です

北側に神社が有ります

大きな河村城址碑が有ります

裏面です
   保延中大住波多野郷に鎮守府将軍藤原秀郷の後裔に出でたる波多野遠義というものあり、其の子孫州内に
  繁行して予執しも等姓なりそして其の支奮の足柄上郡に居る者に河村松田大友菖蒲沼田栢山柳川等の諸氏あ
  り、就中河村氏最も  る世にこの諸氏を構して河村党という元弘の役新田義貞の北条氏を討する 河村党
  は相率井新田氏の軍に参加して功あり河村党と新田氏との関係あるは寶に之に本づく正平弐年春新田義興同
  義治の武蔵に於いて再擧あるや河村党又之に参加せしが戦破るるに及び義興義治を迎えて河村城に居らしむ
  柳此河村城は河村氏累代の居城にして南は酒匂川に臨み北は皆瀬川を続うし加之地執高爽にして四願扉と指
  掌すべく極めて要勝の堅城たり河村氏の二将を此城に迎ふるや義数を糾合して鋭意以て賊軍に當りしかば賊
  軍は策の施すべきなく空しく手を拱きて持久の講するに至りぬ然るに不幸南風競はず籠城一年有半にして二
  将は城を去るに及び城兵も 尋て退散せしものの如し惜哉之  けて其の消息を知るを得ず又の後大森氏の
  属城たりしも明應中北條氏の有に帰し幾もなく廣城となり今は油々として  茂りをみるの 願みるる河村
  党が新田氏を擁して此城に在掾りしより星霜 に五百四十餘年当時忠臣烈士の義旗に にたる名蹟も久しく
  世人に忘れられて之を訪ふ者 希なりき川村青年団は御即位奉祝の祈念事業として村内有志と相謀り吏に保
  勝会を組織して碑を城趾に樹て之を世に不朽をせんとし友人長坂郵太郎君を介して余に文を徴せらる今や世
    李龡惟利これ争う此時にあたり川村青年団員諸君の此挙ある洵に世道人心を襅益するもの からずと謂
  うべし余深く之を感じ乃不文を以て敢て辞せず に此文を草す
     昭和4年4月

神社の祠です

本城郭から、三角形の小郭と茶臼郭を見下ろします

畝掘りの様子です

長くなりましたので、続きは又明日
コメント
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