ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

群馬県太田市、本町東光寺の銀杏とケヤキ・ムクノキ群です!!

2017-10-24 04:41:39 | 巨樹・大木
東光寺は、太田市役所の北北西約1kmのところ

太田市の市街地にあって、金山へ登る県道の東側です

参道入り口に駐車スペースが有ります


参道から本堂をみました

参道の右側に東光寺の説明版が有ります
   醫王山真如院 東光寺
     寺院名 醫王山 真如院 東光寺
     宗  派 高野山真言宗
     本  尊 薬師如来
     脇  仏 不動明王 千手観音 他
     石  仏 聖観音 不動明王 地蔵菩薩 持国天 多聞天(毘沙門天)十二支守本尊 他
     開  山 法印真清により文応元年(1260年 人皇90代亀山天皇)
     講     不動講
     文化財 太田市保存樹木指定(平成6年7月29日)
     墓  碑 新田義興公墓碑
     歴  史  新田大炊助源政氏公祈願所として文応元年(1260年人皇90代
            亀山天皇)7月25日礎石を置く。その後、正平年間に新田左近衛
            將監従四位上源義興公の遺骨を埋葬。弟の義宗は新田四朗義一とし
            て新田城を守護することになる。新田四朗義一は隠名岡新三郎義氏
            といい、時にあるいは岡本と称し、足利氏の詮議から逃れ、その子
            孫が住職になる、と岡家墓史には記録されている。第11代法印良
            榮当山法流の開山となる。明治7年2月栃木県第一大学区第42番
            中学校区、新田郡太田町外八ヶ村結社第32番小学有為学校お当山
            に開校。初代校長は新美得一、出席生徒数150名であった。平成
            11年諸堂宇新築整備。現在に至る。
     伝  説  新田義貞の子息、義興の秘話が伝えられている。義貞死後も弟の義宗
            と共に宗良親王を奉じ挙兵、転戦するが、正平13年(1358年)10
            月10日、武州矢口の渡において、よりどころとしていた竹沢右京亮、江
            戸遠江守に欺かれ自害して果てる。義宗が竹沢らの手に取り囲まれ、一命
            危うき祈り、その魂は鬼神となってこれを助け、雷電を巻き起し敵方をこ
            とごとく苦しめた。義興の死体は「新田に持ち来たりたる」とsれている。
            その場所が太田の東光寺であり、無縫塔が岡家墓所内にある、東光寺より
            の法名は「大源院宗雲天徳正榮大居士」。高野山蓮華院より受けたる法名
            は「松誉貞心命双公修大居士」。また、義興の霊を鎮めるため、矢口のほ
            とりに社を建て新田大明神と号す。鬼神義興の話は、芝居にもなり、知る
            人ぞ知る。「義興」の名は、新田家を「興す」という意味から、天皇より
            授かる。義興の墓といわれる証明は、当時義興が使用した秋田城之介より
            伝来の日扇槻板作の物が、近年まで東光寺に残されているという。しかし、
            23代吾妻恭深住職の時、東光寺改築の際、その日扇を破り寺院の欄間に
            使用すると「新田勤王史」に記されている。
     薬師如来 人々の病をいやし、苦悩を救う仏様。薬師瑠璃光如来、大医王仏ともよばれる。
            「薬師」は文字通り「医薬の先生」という意味で、病気を治す功徳のある仏
            である。瑠璃は、七宝のひとつとされ、瑠璃光とは、宝石のような美しい青 
            色、緑色の輝きを意味する。もし人が身体に様々な障害があったり、種々の
            病苦に苦しんでいたならば、薬師如来の名号を聞くことによって、障害は消
            え去り、病気も平癒すると説かれている。またもろもろの感覚器官を完備さ
            せ衆生を解脱へ導く働きがある。聖徳太子が父用明天皇の病気平癒を祈って
            薬師三尊像を奈良法隆寺に安置、薬師寺の薬師三尊像は、天武天皇が皇后の
            眼病平癒を祈願して造立したものである。眼病には「め」の字を書いた絵を
            納めるとよいとされ、薬師(やくし)と歯(し)を関係させ、歯の痛みをや
            わらげる仏様として民衆に愛されている。
     不動明王 太田不動尊として古来より信仰を集めている。燃えさかる炎を背後に、目をいか
            らし、歯をむきだし、全身で怒りを表現している不動明王の姿は、私達の弱
            い心を叱りつけると共に、身に降りかかてくる災難や病気などを断ち切って
            くれる力を十分に示している。弘法大師によれば、不動明王は大日如来の教
            令輪身であるとされ、穏やかな姿をもってしては救い難い衆生に対して、大
            日如来が、忿怒の姿(不動明王)に変え、衆生を力強く導いて煩悩を断ち切
            り、苦難から救ってくれることを意味している。また、火を焚いて仏に祈る
            「護摩祈祷」の本尊として人々に親しまれている。東光寺も新田家の祈願所
            として、新田政氏(新田五代)より新田義貞、その子新田義興・義宗らが、
            戦乱の世の調伏を不動明王に祈願して戦に出たのである。
     十二支本尊 古人が十二支の個性に対して守り本尊を示してkれている。
            子年の念持仏・・・千手観音菩薩
            丑年の念持仏・・・虚空蔵菩薩
            寅年の念持仏・・・虚空蔵菩薩
            卯年の念持仏・・・文殊菩薩
            辰年の念持仏・・・普賢菩薩
            巳年の念持仏・・・普賢菩薩
            午年の念持仏・・・勢至菩薩
            未年の念持仏・・・大日如来
            申年の念持仏・・・大日如来
            酉年の念持仏・・・不動明王
            戌年の念持仏・・・阿弥陀如来
            亥年の念持仏・・・阿弥陀如来            




弘法大師さまです

本堂です




山門をはいって右手(東側)に銀杏の大木が在ります

西側にはケヤキの大木です


墓地南端のケヤキです



本堂西側墓地の中や道路際のブロック塀の脇にムクノキやケヤキの大木が並びます

奥から二本目が一番太い目通り幹周り52mのムクノ木のようです


では、次へ行きましょう




   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする