苗ヶ島地区は、前橋市役所の北東13kmのところ
県道102号線沿い右手に金剛寺があります
参道の周り各所に
駐車場が有ります

参道入り口です、西側の県道に面しています

山門を入ると左に「おびんづる様」です

案内板です

石殿です

文化財標柱です

参道は石塔にぶつかって左に曲がっています

長く伸びています

前橋市苗ヶ島町の七つ石の一つで「蚕種石」です
すぐ先の左手に



前橋市指定重要文化財 金剛寺の六地蔵の石幢です

文化財説明版です
前橋市指定重要文化財 金剛寺の石幢
指定年月日 昭和53年4月1日
石幢は石塔の一種で、6角または8角の幢身に屋蓋・請花・宝珠を
のせた形をしており、幢身と屋蓋の間に龕部を置いた石灯籠に似た形
状を持つものもあります。本石幢は安山岩製で、双輪を欠損するもの
の、龕部には六地蔵が刻まれています。角柱型の幢身には輪廻車孔を
もち、「奉建立六道能化逆修寶清禅定也 永正参年丙寅3月18日敬
白」(1506年)と刻まれています。六地蔵石幢は室町期から戦国
期にかけて多く作られました。これは戦乱の世にあって、人々の苦悩
を救うとされる地蔵信仰の高まりとともに、輪廻車を廻して来世の極
楽浄土を願う人々の祈りを映したものと言えるでしょう。


前橋市指定重要文化財 石殿(開山円義上人の墓)
指定年月日 昭和54年4月1日
石殿とは、家屋などの形状をとる石造物で、木造の建造物を模して
作られました。初期の石殿は身部を刳り抜かないものが多く、粕川町
月田の近戸神社の六地蔵石殿に類例があります。その後内部を刳り抜
いたものが作られるようになり、内部に石仏や神札を納めるようにな
りました。16世紀に入ると石祠や墓石などとして石殿の造立が隆盛
を迎えて以降、江戸時代にかけて造立され、その形状も神社建築を模
したものや家型のものなど様々です。「開山円義上人の墓」は、現在
の場所に金剛寺を建立したとされる「権大僧都法印円義上人」の名が
刻まれ、元和9年(1623)の年号が記されています。また、「お
びんづる様」は、除病の功徳があるとされる、おびんづる様の像が安
置されていた場所に建てられていたことから、この名が付けられまし
た。

間もなく本堂です

右手に鐘楼です

鐘楼の足元には、前橋市指定重要文化財 金剛寺の赤城塔です
指定年月日 昭和53年4月1日
双輪を欠損するものの、保存状態のよい宝塔です。室町時代の作と考え
られます。像高1m ・像幅56cmです。

左手に前橋市指定重要文化財 金剛寺の石像五層塔
指定年月日 昭和60年2月12日
二階建て以上の仏塔を多層塔と呼び、桐生市山上の多層塔は、県内の石
造多層塔として最も古い例です。鎌倉時代以降広く造られましたが、保存
状態が良好なものは少なく、本例は貴重な資料と考えられます。

前橋市指定重要文化財 金剛寺の宝篋印塔です
指定年月日 昭和60年2月12日
宝篋印塔は墓や供養のための石塔の一種で、もともとは「宝篋印陀羅巳
経」を納めるための塔です。本例は享保11年(1726年)のもので、
丁寧なつくりの宝篋印塔です。

本堂前の文化財説明版です


此処にも石殿があります

本堂西側の駐車場の所にも石殿があります

本堂東側に前橋市指定天然記念物 金剛寺のナツメです
(南側の道路から)
指定年月日 平成13年3月21日
ナツメは中国原産の落葉高木で、指定時の樹高は9,4m、目通り
周囲130mです。推定樹齢は200~300年と考えられます。

近付けないので望遠レンズで撮りました
では、次へ行きましょう

県道102号線沿い右手に金剛寺があります
参道の周り各所に


参道入り口です、西側の県道に面しています


山門を入ると左に「おびんづる様」です


案内板です


石殿です


文化財標柱です


参道は石塔にぶつかって左に曲がっています


長く伸びています


前橋市苗ヶ島町の七つ石の一つで「蚕種石」です

すぐ先の左手に




前橋市指定重要文化財 金剛寺の六地蔵の石幢です


文化財説明版です
前橋市指定重要文化財 金剛寺の石幢
指定年月日 昭和53年4月1日
石幢は石塔の一種で、6角または8角の幢身に屋蓋・請花・宝珠を
のせた形をしており、幢身と屋蓋の間に龕部を置いた石灯籠に似た形
状を持つものもあります。本石幢は安山岩製で、双輪を欠損するもの
の、龕部には六地蔵が刻まれています。角柱型の幢身には輪廻車孔を
もち、「奉建立六道能化逆修寶清禅定也 永正参年丙寅3月18日敬
白」(1506年)と刻まれています。六地蔵石幢は室町期から戦国
期にかけて多く作られました。これは戦乱の世にあって、人々の苦悩
を救うとされる地蔵信仰の高まりとともに、輪廻車を廻して来世の極
楽浄土を願う人々の祈りを映したものと言えるでしょう。


前橋市指定重要文化財 石殿(開山円義上人の墓)
指定年月日 昭和54年4月1日
石殿とは、家屋などの形状をとる石造物で、木造の建造物を模して
作られました。初期の石殿は身部を刳り抜かないものが多く、粕川町
月田の近戸神社の六地蔵石殿に類例があります。その後内部を刳り抜
いたものが作られるようになり、内部に石仏や神札を納めるようにな
りました。16世紀に入ると石祠や墓石などとして石殿の造立が隆盛
を迎えて以降、江戸時代にかけて造立され、その形状も神社建築を模
したものや家型のものなど様々です。「開山円義上人の墓」は、現在
の場所に金剛寺を建立したとされる「権大僧都法印円義上人」の名が
刻まれ、元和9年(1623)の年号が記されています。また、「お
びんづる様」は、除病の功徳があるとされる、おびんづる様の像が安
置されていた場所に建てられていたことから、この名が付けられまし
た。

間もなく本堂です


右手に鐘楼です


鐘楼の足元には、前橋市指定重要文化財 金剛寺の赤城塔です

指定年月日 昭和53年4月1日
双輪を欠損するものの、保存状態のよい宝塔です。室町時代の作と考え
られます。像高1m ・像幅56cmです。

左手に前橋市指定重要文化財 金剛寺の石像五層塔
指定年月日 昭和60年2月12日
二階建て以上の仏塔を多層塔と呼び、桐生市山上の多層塔は、県内の石
造多層塔として最も古い例です。鎌倉時代以降広く造られましたが、保存
状態が良好なものは少なく、本例は貴重な資料と考えられます。

前橋市指定重要文化財 金剛寺の宝篋印塔です

指定年月日 昭和60年2月12日
宝篋印塔は墓や供養のための石塔の一種で、もともとは「宝篋印陀羅巳
経」を納めるための塔です。本例は享保11年(1726年)のもので、
丁寧なつくりの宝篋印塔です。

本堂前の文化財説明版です


此処にも石殿があります


本堂西側の駐車場の所にも石殿があります


本堂東側に前橋市指定天然記念物 金剛寺のナツメです

指定年月日 平成13年3月21日
ナツメは中国原産の落葉高木で、指定時の樹高は9,4m、目通り
周囲130mです。推定樹齢は200~300年と考えられます。

近付けないので望遠レンズで撮りました

では、次へ行きましょう

