堀口地区は、太田市役所の南西約6kmのところ
国道407号線から354号線を西へ
県道276号線を南へ進むと左(東)側に浄蔵寺が在ります
南側山門前に
駐車場が有ります
二度目の訪問です、前回(2015年6月2日投稿分)は、
緑の柱状態で幹じたいを見ることが出来ませんでしたので、
葉の落ちた冬に訪問しました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/onpu.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/b1/81f6838c6c4bec9047c08c51752a504e.jpg)
大きな案内版があります![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/arrow_l.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/96/7fdf8c0aef295e94aebfac4a3c2a4cb8.jpg)
参道からの入り口は駐車場になっています![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/9e/078a7288aa494c59713746b6b82d3646.jpg)
山門です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/f0/669f0be71a4cc4a5d420ccf3c4c9bc39.jpg)
説明版です
浄蔵寺
所在地 太田市堀口町223番地
浄蔵寺は、駒形山宝珠院といい、高野山真言宗に属し本尊は地蔵菩薩
である。寺の創建は、鎌倉時代新田氏の開基と伝えられるが詳らかでな
い。開山(中興)を慶順といい、寺地4町9反余を有する密教寺院とし
て檀徒の信仰を集め、法灯、堂舎がよく護持されてきた。
明治7年本堂を利用して「惟勤学校」が開設され、学制初期の地域初
等教育に貢献した。本堂は、棟札に「宝暦5年(1755)当寺11世
専秀隆勝が、8世弘賢以来四十有余年にわたる先住の遺志を継承し、檀
家の協賛を得て、堂宇の建立を果たした」とあり、建築は、当村中村平
右衛門朝久、安養寺村橋本半右衛門相久らが携わっている。以後、安政
3年(1856)16世漂栄のとき、茅葺を本瓦に葺替え、明治38年
(1906)19世義隋祐範の代に、屋根葺替が行なわれ、その後小修
理が加えられ現在にいたっている。
当村鎮守賀茂宮の南に、新田の一族堀口氏の館跡があり、美濃守貞満
の建立と伝える真言宗正覚寺があったが、早川治水の築堤によりその寺
域っを失ない、昭和43年浄蔵寺と合併、当寺に墓所を写し不動堂を建
立した。
浄蔵寺の西方一帯低地を「字ザラメキ」といい、かつて利根川の流路
であった。ここから鎌倉時代中期の板碑が出土しており、そのうち文永
11年(1274)の銘文に、大檀那沙弥西願をはじめ、源・藤原・菅
原・高麗姓などの結衆の名が見られ、浄蔵寺および新田・堀口氏にかか
わる史料として重視されたが、現存せず拓本を残すのみである。
寺伝に、元弘3年(1333)5月、新田義貞鎌倉攻めのとき、利根
川渡河をまえにして、義貞の軍隊が当寺に兵馬を休め、戦勝を祈願した
ことから、駒形山を称するようになったという。
境内に聳える大銀杏は、樹齢400年といわれ、駒形山の森を偲ばせ
るとともに、浄蔵寺の変遷を物語っているかのようである。
浄蔵寺の文化財
五智堂
本尊 大日如来(享保9年寄進名あり)
建立 天明5年
願主 新島太郎右衛門
修復 明治27年本瓦葺替
昭和60年
不動堂(旧正覚寺)
本尊 不動明王
建立 昭和43年
鐘楼堂
建立 明治34年11月
棟梁 武州妻沼村 林門作斉部正啓
修復 昭和60年
山門
建立 安政6年
願主 新島治左衛門
棟梁 尾島宿 長浜庄八
修復 昭和50年
平成元年3月 太田市教育委員会
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/5a/258e3f75fe2cef8e40dcb94f1b24142a.jpg)
山門を入ると右手に鐘楼です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/onpu.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/d9/be1452c005dbead2cfe49bacfbb7eab6.jpg)
左手に不動堂です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/04/6972f6cb9a07a37e843dd55d615ba68f.jpg)
五智堂です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/75/28d45bfcbfcd905c57afe95207cae14e.jpg)
正面に本堂です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/6c/6e5a2cdb86e287833666a5b7461f5bbd.jpg)
本堂前から目的のイチョウを見ました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/90/6f6525acf7d58ae3b0af3400db083f86.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/ee/d145ee78dd8e99692252da8aa7b15982.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/27/d8607b81396a6241f2941f7a8befb5a7.jpg)
東側から見上げました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/c6/365928b1173f50bfa17a4d734524f996.jpg)
天然記念物表示版です、旧尾島町での指定です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/fa/6306107bc050eb2ddb875c437a4596d9.jpg)
説明版です
太田市指定天然記念物
浄蔵寺の大イチョウ
指定年月日 昭和53年3月10日
所在地 太田市堀口町223番地
駒形山宝珠院浄蔵寺は古儀真言宗に属し、鎌倉時代の創建といわれる
。
この大イチョウは雄株で、根元周囲14m、目通り周囲12m、樹高
28m、枝張り18mほどである。樹齢は400年ほどと推定される。
落雷により主幹が折れ傷められたため、幹が多くに分かれているが、
樹勢はきわめて旺盛である。
イチョウは落葉高木樹で成長は比較的早いが、このような大木は尾島
町はもちろん県内でもめずらしく、貴重なものである。
このイチョウは、枝にその形からちち(乳)といわれる呼吸根(気根
)が垂下している。乳の出ない産婦がこれを取って呑むと、乳が多く出
るようになるという伝承がある。
イチョウは雌雄異株の裸子植物で、今から1億5千万年ほど前の中世
代白亜紀には世界中に繁茂していた。
その後絶滅したと思われていたが、中国の浙江省に野生しているのが
発見され、日本にもたらされたもので、生きた化石といわれている。
昭和53年3月 太田市教育委員会
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/23/845628bcbabf83b7170761e17c17691c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/73/268ae8227e14ffd35709b2161ec4842a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/bd/be82531b86ae80b66e1ed31ef84b0e0b.jpg)
南側から![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/c1/46f9e1bf7354335a00cde2383144a2a9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/a5/ea35f6e0d6644bcc42df6b952712aa2e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/99/69e7db9e8c027848d3d59c029d56bf73.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/12/7820eec1fa8a59da39a75f0bd40adb2f.jpg)
北側から![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/af/e04b88b8d58dd666edc750e1be54495b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/98/bfca6105754c9449722a383d6e24ad5f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/a6/ef96fc1ab4ac47738083b6c4747a37a5.jpg)
西側から![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
では、次へ行きましょう![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_red.gif)
国道407号線から354号線を西へ
県道276号線を南へ進むと左(東)側に浄蔵寺が在ります
南側山門前に
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_red.gif)
二度目の訪問です、前回(2015年6月2日投稿分)は、
緑の柱状態で幹じたいを見ることが出来ませんでしたので、
葉の落ちた冬に訪問しました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/onpu.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/b1/81f6838c6c4bec9047c08c51752a504e.jpg)
大きな案内版があります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/arrow_l.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/96/7fdf8c0aef295e94aebfac4a3c2a4cb8.jpg)
参道からの入り口は駐車場になっています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/9e/078a7288aa494c59713746b6b82d3646.jpg)
山門です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/f0/669f0be71a4cc4a5d420ccf3c4c9bc39.jpg)
説明版です
浄蔵寺
所在地 太田市堀口町223番地
浄蔵寺は、駒形山宝珠院といい、高野山真言宗に属し本尊は地蔵菩薩
である。寺の創建は、鎌倉時代新田氏の開基と伝えられるが詳らかでな
い。開山(中興)を慶順といい、寺地4町9反余を有する密教寺院とし
て檀徒の信仰を集め、法灯、堂舎がよく護持されてきた。
明治7年本堂を利用して「惟勤学校」が開設され、学制初期の地域初
等教育に貢献した。本堂は、棟札に「宝暦5年(1755)当寺11世
専秀隆勝が、8世弘賢以来四十有余年にわたる先住の遺志を継承し、檀
家の協賛を得て、堂宇の建立を果たした」とあり、建築は、当村中村平
右衛門朝久、安養寺村橋本半右衛門相久らが携わっている。以後、安政
3年(1856)16世漂栄のとき、茅葺を本瓦に葺替え、明治38年
(1906)19世義隋祐範の代に、屋根葺替が行なわれ、その後小修
理が加えられ現在にいたっている。
当村鎮守賀茂宮の南に、新田の一族堀口氏の館跡があり、美濃守貞満
の建立と伝える真言宗正覚寺があったが、早川治水の築堤によりその寺
域っを失ない、昭和43年浄蔵寺と合併、当寺に墓所を写し不動堂を建
立した。
浄蔵寺の西方一帯低地を「字ザラメキ」といい、かつて利根川の流路
であった。ここから鎌倉時代中期の板碑が出土しており、そのうち文永
11年(1274)の銘文に、大檀那沙弥西願をはじめ、源・藤原・菅
原・高麗姓などの結衆の名が見られ、浄蔵寺および新田・堀口氏にかか
わる史料として重視されたが、現存せず拓本を残すのみである。
寺伝に、元弘3年(1333)5月、新田義貞鎌倉攻めのとき、利根
川渡河をまえにして、義貞の軍隊が当寺に兵馬を休め、戦勝を祈願した
ことから、駒形山を称するようになったという。
境内に聳える大銀杏は、樹齢400年といわれ、駒形山の森を偲ばせ
るとともに、浄蔵寺の変遷を物語っているかのようである。
浄蔵寺の文化財
五智堂
本尊 大日如来(享保9年寄進名あり)
建立 天明5年
願主 新島太郎右衛門
修復 明治27年本瓦葺替
昭和60年
不動堂(旧正覚寺)
本尊 不動明王
建立 昭和43年
鐘楼堂
建立 明治34年11月
棟梁 武州妻沼村 林門作斉部正啓
修復 昭和60年
山門
建立 安政6年
願主 新島治左衛門
棟梁 尾島宿 長浜庄八
修復 昭和50年
平成元年3月 太田市教育委員会
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/5a/258e3f75fe2cef8e40dcb94f1b24142a.jpg)
山門を入ると右手に鐘楼です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/onpu.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/d9/be1452c005dbead2cfe49bacfbb7eab6.jpg)
左手に不動堂です
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/04/6972f6cb9a07a37e843dd55d615ba68f.jpg)
五智堂です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
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正面に本堂です
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/6c/6e5a2cdb86e287833666a5b7461f5bbd.jpg)
本堂前から目的のイチョウを見ました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/90/6f6525acf7d58ae3b0af3400db083f86.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/ee/d145ee78dd8e99692252da8aa7b15982.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/27/d8607b81396a6241f2941f7a8befb5a7.jpg)
東側から見上げました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/c6/365928b1173f50bfa17a4d734524f996.jpg)
天然記念物表示版です、旧尾島町での指定です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/fa/6306107bc050eb2ddb875c437a4596d9.jpg)
説明版です
太田市指定天然記念物
浄蔵寺の大イチョウ
指定年月日 昭和53年3月10日
所在地 太田市堀口町223番地
駒形山宝珠院浄蔵寺は古儀真言宗に属し、鎌倉時代の創建といわれる
。
この大イチョウは雄株で、根元周囲14m、目通り周囲12m、樹高
28m、枝張り18mほどである。樹齢は400年ほどと推定される。
落雷により主幹が折れ傷められたため、幹が多くに分かれているが、
樹勢はきわめて旺盛である。
イチョウは落葉高木樹で成長は比較的早いが、このような大木は尾島
町はもちろん県内でもめずらしく、貴重なものである。
このイチョウは、枝にその形からちち(乳)といわれる呼吸根(気根
)が垂下している。乳の出ない産婦がこれを取って呑むと、乳が多く出
るようになるという伝承がある。
イチョウは雌雄異株の裸子植物で、今から1億5千万年ほど前の中世
代白亜紀には世界中に繁茂していた。
その後絶滅したと思われていたが、中国の浙江省に野生しているのが
発見され、日本にもたらされたもので、生きた化石といわれている。
昭和53年3月 太田市教育委員会
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/23/845628bcbabf83b7170761e17c17691c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/73/268ae8227e14ffd35709b2161ec4842a.jpg)
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南側から
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北側から
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西側から
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では、次へ行きましょう
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