ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

埼玉県鶴ヶ島市、「三ツ木慈眼寺黒這松」(市指定)です

2019-01-12 06:57:04 | 巨樹・大木
三ツ木地区は、鶴ヶ島市役所のすぐ南側の地区です

高速道路の圏央道と国道407号線の間です

住宅の点在する中に慈眼寺が在ります

本堂裏側の駐車スペースを利用させて頂きました

参道入口です

普門山 慈眼寺です


本堂です

本堂の右手前に黒這松が在ります

東側から見上げました

説明版です(参道入り口道路脇に有ります)
  三ツ木慈眼寺黒這松
     市指定天然記念物(昭和57年3月15日指定)
 真言宗普門山蓮華院慈眼寺は、「新編武蔵風土記稿」に
「開山栄祐永正2年(1505)寂す。」とあり、このこ
とから近世初頭にはその存在が明らかである。また、行基
の作と伝えられる十一面観音菩薩を本尊としている。
 慈眼寺は当初、柏原街道(鎌倉街道枝道)沿に建立され
たと考えられるが、後にこの地域の信仰の中心となり、地
元の人や往来する人々に安らぎを与えたのである。
 寺の庫裏の前には、地を這うかのような黒松の老樹があ
る。
 これは、伝承によると寺を三ツ木の下(字宮内)から現
在の三ツ木中央(字元屋敷)に移設した際に移植されたと
伝える樹木で、黒松の樹形としては市内において他に比す
べきものがない。
 なお、この松は黒松と赤松の雑種で8対2の割合で黒松
が勝っている。
  樹      高  2,4m
  目通り(幹周り)  1,0m
  這   い  枝 約5,0m
 平成6年6月30日       鶴ヶ島市教育委員会 





改築記念碑です
  慈眼寺本堂庫裏改築落慶記念碑
 當山は普門山蓮華院慈眼寺と号す。
 元は字宮内に寺があったと言い伝えられ、発掘調査で船
来陶器の梅瓶が発見されている。往時の館主の存在は不明
であるが當時の豪族であったことは間違いなく、出土品は
都市鎌倉を経由して當地に請来されたものである。
 慈眼寺が開創されたのは、15世紀末期頃である。過去
帳には開山僧栄祐の没年が永正2年(1505)と記録さ
れているので一応の目安になる。
 時は戦国の世、守護大名らが各地で戦いに明け暮れし力
を持ち始めたころ、関東では関東管領山内上杉氏と扇谷上
杉氏が覇権を争い、内乱が最も激しさを増していた時代に
あたる。慈眼寺開創の援助した開基者は、扇谷上杉氏配下
の在地勢力者と考えられる。延宝年間には吉見金剛院末寺
として現れる。
 明治13年、第29世高顕和尚の折、暴風雨で本堂倒壊
するも、大正15年寳蔵寺住職玄英和尚は、檀徒五十有余
総力をもって起工、昭和2年2月28日竣工する。時移り
本堂いたく荒廃し、本尊並びに佛具危殆に瀕するに至り、
ここに檀徒役員、住職改築を発願し落慶を迎え記念碑を建
立する。
 平成9年3月2日


昭和7年の改築記念碑です(詠めませんでしたが平成の記念碑と同様の内容と思われます)



墓地の入り口に六地蔵様です

では、次へ行きましょう
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