下山本町地区は、身延町役場の南約6kmのところ
国道52号線の西側に本国寺が東向きに有ります
国道沿い山門北側に駐車場が有りますので利用させて頂きました
参道入口から山門です
大きな南無妙法蓮華経の石碑です
山門を潜ると本堂前に目的のイチョウが見えて来ました
鐘楼です
本堂です
説明版です
長栄山本国寺 日蓮宗旧久遠寺派
身延町下山本町
本尊-日蓮奠定の大曼荼羅
開山-最蓮房日浄上人
開基-下山兵庫介光基
創立-建治3(1277)年
甲斐源氏・加賀美遠光の孫光重は建仁年間
(1201~4)下山に入部し下山小太郎光
重と称した。光重の子・兵庫介光基は文応元
(1260)年、館の傍に一宇を創し、平泉
寺と称し弥陀を安置した。
光基の子・次郎は入道し後に因幡房白永と
称し比叡山修学のみぎり最運房と相知り、文
永12(1275)年最運房上人が身延山へ
参る途治、この館に一泊し、因幡房もともに
身延山へ登った。ここにおいて弥陀を離れ、
法華に帰した。しかし、父光基はこれに従わ
なかったが建治3年6月日蓮聖人は「下山消
息」を著して光基に寄せられた。これにより
日蓮聖人の門下となって法重房日芳の名を賜
わり、山号寺号の両号を現称に改めた。
室町時代に入り、応永25(1418)年
の頃武田氏の一族穴山氏が河内に入部し、下
山氏館跡に居館を構えた。当寺と穴山氏の関
係は深く、境内にある穴山八幡神社は穴山信
君(梅雪1541~1582)を祀っている。
文化財
国指定天然記念物
・本国寺のお葉付きイチョウ
根元周囲 6,4m
樹高 24,0m
目通り幹囲 5,4m
弘安5(1262)年秋深い日、日蓮聖人
持病いよいよ重くなり、常陸へ湯治にと向か
う途中本国寺に一泊したとき一本の銀杏を植
えられたのが現在の国指定天然記念物本国寺
のお葉付きイチョウである。
県指定文化財
・磬 刻銘 和泉の国塩穴蓮華寺汁物
延元4(1339)年5月23日とある、
鎌倉時代の磬の優作として知られる。
町指定文化財
1、下山城跡
2、古仏高祖御厨子
3、法華経開結 (十巻)
4、刺繍の法華経(一巻)
5、匠家雛型増補初心伝(六冊)
文化9(1812)年下山大工石川七郎左衛門
重甫著・甲州流堂宮大工の技術書
6、木鼻の唐獅子一対
明治8(1875)年国重要文化財・睦沢学校
を建築した下山大工棟梁松木輝殷の作
平成27年12月
身延町
身延町教育委員会
南東側から
天然記念物石碑です
説明書きです
本堂前(北西側)から
西側から
幹には大きな乳柱が下がります
では、次へ行きましょう
国道52号線の西側に本国寺が東向きに有ります
国道沿い山門北側に駐車場が有りますので利用させて頂きました
参道入口から山門です
大きな南無妙法蓮華経の石碑です
山門を潜ると本堂前に目的のイチョウが見えて来ました
鐘楼です
本堂です
説明版です
長栄山本国寺 日蓮宗旧久遠寺派
身延町下山本町
本尊-日蓮奠定の大曼荼羅
開山-最蓮房日浄上人
開基-下山兵庫介光基
創立-建治3(1277)年
甲斐源氏・加賀美遠光の孫光重は建仁年間
(1201~4)下山に入部し下山小太郎光
重と称した。光重の子・兵庫介光基は文応元
(1260)年、館の傍に一宇を創し、平泉
寺と称し弥陀を安置した。
光基の子・次郎は入道し後に因幡房白永と
称し比叡山修学のみぎり最運房と相知り、文
永12(1275)年最運房上人が身延山へ
参る途治、この館に一泊し、因幡房もともに
身延山へ登った。ここにおいて弥陀を離れ、
法華に帰した。しかし、父光基はこれに従わ
なかったが建治3年6月日蓮聖人は「下山消
息」を著して光基に寄せられた。これにより
日蓮聖人の門下となって法重房日芳の名を賜
わり、山号寺号の両号を現称に改めた。
室町時代に入り、応永25(1418)年
の頃武田氏の一族穴山氏が河内に入部し、下
山氏館跡に居館を構えた。当寺と穴山氏の関
係は深く、境内にある穴山八幡神社は穴山信
君(梅雪1541~1582)を祀っている。
文化財
国指定天然記念物
・本国寺のお葉付きイチョウ
根元周囲 6,4m
樹高 24,0m
目通り幹囲 5,4m
弘安5(1262)年秋深い日、日蓮聖人
持病いよいよ重くなり、常陸へ湯治にと向か
う途中本国寺に一泊したとき一本の銀杏を植
えられたのが現在の国指定天然記念物本国寺
のお葉付きイチョウである。
県指定文化財
・磬 刻銘 和泉の国塩穴蓮華寺汁物
延元4(1339)年5月23日とある、
鎌倉時代の磬の優作として知られる。
町指定文化財
1、下山城跡
2、古仏高祖御厨子
3、法華経開結 (十巻)
4、刺繍の法華経(一巻)
5、匠家雛型増補初心伝(六冊)
文化9(1812)年下山大工石川七郎左衛門
重甫著・甲州流堂宮大工の技術書
6、木鼻の唐獅子一対
明治8(1875)年国重要文化財・睦沢学校
を建築した下山大工棟梁松木輝殷の作
平成27年12月
身延町
身延町教育委員会
南東側から
天然記念物石碑です
説明書きです
本堂前(北西側)から
西側から
幹には大きな乳柱が下がります
では、次へ行きましょう