青柳町は、富士川町役場の南東側すぐのところ
国道52号線の三本西側を平行する県道42号
富士川街道に面して参道を東南東二開いて
昌福寺が有ります
境内に駐車場が有りますので利用させて頂きました
参道です
山門です
鐘楼です
本堂です
説明版です
寿命山 昌福寺 由緒と文化財
この寺は小室山開山肥前公日伝上人の
肉弟昌福阿闍梨日全上人が承仁6(12
98)年に開いた寺である。
寺の由緒によると宗祖日蓮聖人が小室
山において善智法印(後の日伝上人)を
論伏し青柳の里におりてきたとき、この
地に疫病が流行し里人が難渋していた、
これを見た宗祖日蓮聖人が一日一夜この
地にお留りになって病難退散の経札をし
たため祈念した。青柳の里人はこれを機
縁に一宇を建立することになり善智法印
と共に宗祖に帰伏した日全上人を開祖と
仰ぎこの寺を開いた。
鰐口(県指定文化財)
この鰐口は「甲州神座山常住」とあり、
もとは八代郡大石和筋の神座山権現、現
在の桧峰神社の常住(寺院の備品を常住
という)とするため永徳2(1382、
南朝弘和2年)年正月に礎部基 勧進寄
進したものであるが、何かの縁故により
正福寺にもたらされたものであり、南北
朝末期の甲州における宗教社会の一断面
をうかがわせる資料である。
虫切加持
寺の12代一道日法上人は、京都にお
いて霊元天皇が重い病気にかかり悩まさ
れていたとき召し出され加持を行った、
すると17日ののちに全快したと云う。
この日法上人の虫切加持。護符の秘法
はこの寺に伝えられ、今日まで参詣者は
絶えず春秋の彼岸には虫切加持の願人で
にぎわった。
本堂裏側の目的のケヤキの樹冠が覗きます
日蓮上人様です
墓地南側から
墓地西側から見ました
では、次へ行きましょう
国道52号線の三本西側を平行する県道42号
富士川街道に面して参道を東南東二開いて
昌福寺が有ります
境内に駐車場が有りますので利用させて頂きました
参道です
山門です
鐘楼です
本堂です
説明版です
寿命山 昌福寺 由緒と文化財
この寺は小室山開山肥前公日伝上人の
肉弟昌福阿闍梨日全上人が承仁6(12
98)年に開いた寺である。
寺の由緒によると宗祖日蓮聖人が小室
山において善智法印(後の日伝上人)を
論伏し青柳の里におりてきたとき、この
地に疫病が流行し里人が難渋していた、
これを見た宗祖日蓮聖人が一日一夜この
地にお留りになって病難退散の経札をし
たため祈念した。青柳の里人はこれを機
縁に一宇を建立することになり善智法印
と共に宗祖に帰伏した日全上人を開祖と
仰ぎこの寺を開いた。
鰐口(県指定文化財)
この鰐口は「甲州神座山常住」とあり、
もとは八代郡大石和筋の神座山権現、現
在の桧峰神社の常住(寺院の備品を常住
という)とするため永徳2(1382、
南朝弘和2年)年正月に礎部基 勧進寄
進したものであるが、何かの縁故により
正福寺にもたらされたものであり、南北
朝末期の甲州における宗教社会の一断面
をうかがわせる資料である。
虫切加持
寺の12代一道日法上人は、京都にお
いて霊元天皇が重い病気にかかり悩まさ
れていたとき召し出され加持を行った、
すると17日ののちに全快したと云う。
この日法上人の虫切加持。護符の秘法
はこの寺に伝えられ、今日まで参詣者は
絶えず春秋の彼岸には虫切加持の願人で
にぎわった。
本堂裏側の目的のケヤキの樹冠が覗きます
日蓮上人様です
墓地南側から
墓地西側から見ました
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