本砂金地区は、川崎町役場の北約8kmのところ
国道457号線を道なりに北へ進みます
本砂金小学校への案内板が良い目印になります
常正寺前まで砂利道ですが車で入る事が出来ます
本砂金地区の入り口に支倉常長のふるさと川崎町の看板です
看板を過ぎると国道は東を向いて進むようになります
本砂金小学校の手前、千葉酒店の橋のところです
道路左側に「町指定天然記念物 大銀杏・常正寺跡入口」の標柱が建っています
(電柱の陰で見付けづらいです)
砂利道を北へ入ります
銀杏の樹冠が見えて来ます
曹洞宗 龍虎山 常正寺です
常正寺の大銀杏です
説明版です
曹洞宗 龍虎山常正寺
陽廣山龍雲寺の末寺として、明応
6(1497)年暁堂門了和尚の開
創となっている。龍雲寺は長享2(
1488)年明応覚永和尚の開山で
あり、門了和尚は龍雲寺住職第2世
である。
この常正寺は、
・ 初代砂金蔵人大夫常重公
・ 2代主計頭常清公
・ 3代新左衛門長常公(砂金邑守護人)
・ 4代主計頭常清次郎重常公
・ 5代市正常房公
・ 6代摂津守左衛門常重公
・ 7代摂津守左衛門常隆公まで砂
金に住み
天正3(1574)年
・ 8代摂津守左衛門常久公が中ノ
内城(本城)を築き
・ 9代三河守次郎常長公
・10代左衛門又次郎貞常公は、
川崎中ノ内城に住んでいたが、菩提は
常正寺と考えられるが、墓碑が見当た
らず残念ながら不詳であり、常正寺は
明治初期山火事で類焼し、廃寺となり
今は敷き詰められた石群(墓石か?)
、堂宇(古寺山本尊如意輪観音)、大
イチョウ(町指定天然記念物)五輪塔
などの供養碑が静寂の中にあり、はた
して砂金家歴代の墓碑が確認できるか
が興味深く、今後の調査解明に期待を
したいものである。
慶長15(1610)年砂金家
・11代右兵衛実常(常房)公の時戦
功があり、伊達一族となり、川崎館を
築き初代館主となる。
・12代佐渡右兵衛隆常公
・13代砂金将監昌常公
・14代砂金四郎兵衛藤常公
・15代伊達安芸二男又次郎臨吉重常
公にも跡継ぎがなく断絶となり、砂金
家は約100年間の歴史を閉じた。砂
金家5代館主は、陽廣山龍雲寺墓地内
に聳え立つ二本の巨木銀杏樹下に永眠
している。
平成15年3月 川崎町教育委員会
大銀杏の前には観音像が有ります
南側から
南西側から
本堂前から見ました、目通り幹囲6,1mの巨木です
現在の常正寺本堂です
では、次へ行きましょう
国道457号線を道なりに北へ進みます
本砂金小学校への案内板が良い目印になります
常正寺前まで砂利道ですが車で入る事が出来ます
本砂金地区の入り口に支倉常長のふるさと川崎町の看板です
看板を過ぎると国道は東を向いて進むようになります
本砂金小学校の手前、千葉酒店の橋のところです
道路左側に「町指定天然記念物 大銀杏・常正寺跡入口」の標柱が建っています
(電柱の陰で見付けづらいです)
砂利道を北へ入ります
銀杏の樹冠が見えて来ます
曹洞宗 龍虎山 常正寺です
常正寺の大銀杏です
説明版です
曹洞宗 龍虎山常正寺
陽廣山龍雲寺の末寺として、明応
6(1497)年暁堂門了和尚の開
創となっている。龍雲寺は長享2(
1488)年明応覚永和尚の開山で
あり、門了和尚は龍雲寺住職第2世
である。
この常正寺は、
・ 初代砂金蔵人大夫常重公
・ 2代主計頭常清公
・ 3代新左衛門長常公(砂金邑守護人)
・ 4代主計頭常清次郎重常公
・ 5代市正常房公
・ 6代摂津守左衛門常重公
・ 7代摂津守左衛門常隆公まで砂
金に住み
天正3(1574)年
・ 8代摂津守左衛門常久公が中ノ
内城(本城)を築き
・ 9代三河守次郎常長公
・10代左衛門又次郎貞常公は、
川崎中ノ内城に住んでいたが、菩提は
常正寺と考えられるが、墓碑が見当た
らず残念ながら不詳であり、常正寺は
明治初期山火事で類焼し、廃寺となり
今は敷き詰められた石群(墓石か?)
、堂宇(古寺山本尊如意輪観音)、大
イチョウ(町指定天然記念物)五輪塔
などの供養碑が静寂の中にあり、はた
して砂金家歴代の墓碑が確認できるか
が興味深く、今後の調査解明に期待を
したいものである。
慶長15(1610)年砂金家
・11代右兵衛実常(常房)公の時戦
功があり、伊達一族となり、川崎館を
築き初代館主となる。
・12代佐渡右兵衛隆常公
・13代砂金将監昌常公
・14代砂金四郎兵衛藤常公
・15代伊達安芸二男又次郎臨吉重常
公にも跡継ぎがなく断絶となり、砂金
家は約100年間の歴史を閉じた。砂
金家5代館主は、陽廣山龍雲寺墓地内
に聳え立つ二本の巨木銀杏樹下に永眠
している。
平成15年3月 川崎町教育委員会
大銀杏の前には観音像が有ります
南側から
南西側から
本堂前から見ました、目通り幹囲6,1mの巨木です
現在の常正寺本堂です
では、次へ行きましょう