鳩原地区は、角田市の北の端です
角田市役所の北北東約1kmのところ
国道349号線で阿武隈川左岸の田圃の平地を北へ
東根橋で阿武隈川右岸へ渡ると
県道28号丸森柴田線を北へ
県道沿いに案内板が有りますので東へ入ります
山際に福應寺が有り山門手前に駐車場が有ります
県道脇に案内板です「曹洞宗福應寺、重要文化財毘沙門天」ここを東へ入ります
参道入口です
山門です
説明版です
福應寺案内
1、寺号 臥龍山 福應寺
2、開山 明応元年(西暦1492年)
審岸正察禅師の開創
3、境内 1300坪(4297㎡)
建坪 110坪(363㎡)
4、毘沙門天尊像は90cmの立像で、
銘はないが、これは運慶に作と伝えら
れ。福島県石川庄(旧)片平新大夫の
守り本尊であったが、1600年地頭
として移された際ここにお堂を造りお
祀りしたものです。なおお堂には吉祥
天女及び「善尼童子」の像も祀られて
います。
5祭典 例祭5月3日、初寅祭5月初め
の寅の日。昔より福の神として、お祭
には遠近からの参拝者で賑わっていま
す。
6、景観 つつじ園(百数十本)及び、
樹齢千年を誇る名木「かやの木」があ
ります。
昭和54年10月 角田市観光協会建立
左手奥に本堂です
毘沙門堂への石段上り口の鳥居です
右手本堂側に目的のカヤが在ります
近付いて見上げました
「千年榧」の札が有ります
南西側から、目通り幹囲5,5mの巨木です
説明版です
福應寺の文化財
(略)
毘沙門堂の榧
(平成3年5月28日 市指定)
地際幹周り5,5m、樹高32m。
地上から6,7mで、東西二大幹に分
かれ、更に大枝が分岐しています。
樹齢800年~1000年と推定さ
れており、地元では「千年榧」と呼ば
れています。
平成28年3月 角田市教育委員会
鳥居の左手にもカヤの大木が在ります、目通り幹囲4m程でしょうか
毘沙門堂への石段途中から見ました
毘沙門堂です
毘沙門堂の説明板です
毘沙門堂前門の脇から千年榧を見ました
門の脇に縦に割れた説明版があります
毘沙門天がここに祀られた因縁
戦国時代の戦乱も終わり、伊達正宗の
仙台城も確定したころ(1610年)、
正宗の家臣、片平新太夫が、伊具郡鳩原
村(現角田市鳩原)に福島県の封地から
、ここに赴任替えになった。その時自仏
(守り神)の毘沙門天を自ら背負って来
て、福應寺境内に堂宇を造営し奉祀した
。毘沙門天には脇侍として、左脇下に妻
の吉祥天女、右下に子の善尼童子も祀っ
ている。
秘仏毘沙門天(三尊)
毘沙門天は秘仏であるが、全く御開帳
が無い訳ではなく、新住職(別当)が就
任して最初の寅の年に限り一回だけ御開
帳が許されている。(最近では平成22
年48年振りの御開帳)
秘仏のこともあってか、然るべき権威
者の鑑定に、長く触れる機会に恵まれな
かったが、元住職(17世運良和尚)の
遺言もあり、昭和44年頃、鑑定を得る
ことが出来た。鑑定によれば、平安の末
期か鎌倉の初期頃の作かという。銘は見
つかっていないが、運慶の作と伝えられ
ている。
では、次へ行きましょう
角田市役所の北北東約1kmのところ
国道349号線で阿武隈川左岸の田圃の平地を北へ
東根橋で阿武隈川右岸へ渡ると
県道28号丸森柴田線を北へ
県道沿いに案内板が有りますので東へ入ります
山際に福應寺が有り山門手前に駐車場が有ります
県道脇に案内板です「曹洞宗福應寺、重要文化財毘沙門天」ここを東へ入ります
参道入口です
山門です
説明版です
福應寺案内
1、寺号 臥龍山 福應寺
2、開山 明応元年(西暦1492年)
審岸正察禅師の開創
3、境内 1300坪(4297㎡)
建坪 110坪(363㎡)
4、毘沙門天尊像は90cmの立像で、
銘はないが、これは運慶に作と伝えら
れ。福島県石川庄(旧)片平新大夫の
守り本尊であったが、1600年地頭
として移された際ここにお堂を造りお
祀りしたものです。なおお堂には吉祥
天女及び「善尼童子」の像も祀られて
います。
5祭典 例祭5月3日、初寅祭5月初め
の寅の日。昔より福の神として、お祭
には遠近からの参拝者で賑わっていま
す。
6、景観 つつじ園(百数十本)及び、
樹齢千年を誇る名木「かやの木」があ
ります。
昭和54年10月 角田市観光協会建立
左手奥に本堂です
毘沙門堂への石段上り口の鳥居です
右手本堂側に目的のカヤが在ります
近付いて見上げました
「千年榧」の札が有ります
南西側から、目通り幹囲5,5mの巨木です
説明版です
福應寺の文化財
(略)
毘沙門堂の榧
(平成3年5月28日 市指定)
地際幹周り5,5m、樹高32m。
地上から6,7mで、東西二大幹に分
かれ、更に大枝が分岐しています。
樹齢800年~1000年と推定さ
れており、地元では「千年榧」と呼ば
れています。
平成28年3月 角田市教育委員会
鳥居の左手にもカヤの大木が在ります、目通り幹囲4m程でしょうか
毘沙門堂への石段途中から見ました
毘沙門堂です
毘沙門堂の説明板です
毘沙門堂前門の脇から千年榧を見ました
門の脇に縦に割れた説明版があります
毘沙門天がここに祀られた因縁
戦国時代の戦乱も終わり、伊達正宗の
仙台城も確定したころ(1610年)、
正宗の家臣、片平新太夫が、伊具郡鳩原
村(現角田市鳩原)に福島県の封地から
、ここに赴任替えになった。その時自仏
(守り神)の毘沙門天を自ら背負って来
て、福應寺境内に堂宇を造営し奉祀した
。毘沙門天には脇侍として、左脇下に妻
の吉祥天女、右下に子の善尼童子も祀っ
ている。
秘仏毘沙門天(三尊)
毘沙門天は秘仏であるが、全く御開帳
が無い訳ではなく、新住職(別当)が就
任して最初の寅の年に限り一回だけ御開
帳が許されている。(最近では平成22
年48年振りの御開帳)
秘仏のこともあってか、然るべき権威
者の鑑定に、長く触れる機会に恵まれな
かったが、元住職(17世運良和尚)の
遺言もあり、昭和44年頃、鑑定を得る
ことが出来た。鑑定によれば、平安の末
期か鎌倉の初期頃の作かという。銘は見
つかっていないが、運慶の作と伝えられ
ている。
では、次へ行きましょう