ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

宮城県川崎町、龍雲寺前「龍雲寺の砂金氏・川崎伊達家墓所」です!!

2020-02-25 06:28:11 | 文化財・寺社
龍雲寺は、曹洞宗の寺院で、陽廣山龍雲寺と号します

(常正寺の説明版に有った銀杏が気になってやって来ました)

川崎町役場の東約1kmのところ

県道14号線亘理大河原川崎線を東へ

龍雲寺の案内板が有りますので左の農道へ

田圃の風景の中にぽつんと龍雲寺が有ります

山門東側に広い駐車場が有ります


案内板です

龍雲寺入口です

陽廣山 龍雲寺です

六地蔵様です

山門です

山門右手に鐘楼です

山門と鐘楼の間の鶴仙堂です


本堂です

本堂前にはシダレザクラが在ります

墓地は、境内から南にすこし離れていますので又車で移動しました

墓地前の説明版です
  龍雲寺と川崎館主
 龍雲寺は、川崎館主砂金氏と
川崎伊達氏の菩提寺である。
 関ヶ原役後、中ノ内城主(本
城)砂金氏11代右兵衛実常が
川崎館(城山)を築き、龍雲寺
を勧請して、元和4年(161
8年)現在の町割りをつくり、
城下町兼宿場町川崎お出現させ
、川崎の館主となった。初代か
ら7代までは本砂金に眠り、8
代以降は川崎に依り、約百年続
いた砂金氏も元禄15年断絶し
た。
 肉眼で判読できるのは14代
藤常公の墓碑だけである。
 その20年後の享保7年(1
723年)5代藩主吉村公は、
要害の地川崎を重視して、伊達
一門を配し知行二千石を下賜し
た。便宜上川崎伊達氏と称する
が、ここに眠る館主は、2代村
詮公から明治維新を迎えた8代
邦賢公の七公である。
 この他、山門脇にある梁川庄
八の袈裟掛け地蔵が有名である

 平成12年8月
    川崎町教育委員会



墓地前の案内板です、まずは砂金家墓所に向いましょう

常正寺の説明版に有った銀杏でしょうか

砂金氏墓所です、大きい石碑が二代砂金佐渡隆常公のものです

川崎館主砂金氏 初代龍雲寺殿門州禅無大居士
       (砂金右衛門右兵衛実常)
        二代清浄院殿賢庵叟古大禅定門
       (俗名 砂金佐渡隆常)
        延宝5(1677)年7月19日没(55歳)


墓所の近くにはシダレザクラとイチョウの大木が3本あります



川崎伊達家墓所へ行きましょう

大きな標柱が建っています

二代 村詮(むらあき)公

三代 村敏(むらとし)公

四代 村煕(むらひろ)公

五代 村賢(むらかた)公

六代 宗和(むねより)公

七代 邦和(くにより)公

八代 邦賢(くにかた)公

八代室の墓石です

向かい側(墓地側)には、川崎館主子女の墓石が並んでいます

龍雲寺山門前から雪雲のかかった蔵王を見ました

では、次へ行きましょう
コメント
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