2021年12月22日に早詣で「武蔵一の宮 大宮氷川神社」へ行って来ました
今回は、「氷川神社参道を歩く」ため、JR京浜東北線さいたま新都心駅を利用しました
市街地の参道としては日本一長い約2kmの参道を歩きます
改札を出てすぐ右のエスカレーターを降った所の案内板で確認します、左(北)に行くと一の鳥居広場の文字です
駅前の道路は旧中山道です
ケヤキ並木を進みます
一の鳥居が見えて来ました
武蔵国一宮 氷川大明神です
さいたま新都心駅から450m来ました、氷川神社北側の大宮公園までは2110mです
半日観光ルートです氷川神社までは2000mです
丁石です、ここから18丁(1丁は約109m)歩く基準に丁度良いでしょう
参道並木は保存緑地です
参道は禁煙ですよ
では、一の鳥居をくぐって氷川神社へ向かいましょう
参道右手にケヤキの巨木です、並木全体が天然記念物(市指定)です
鳥居から200m程の参道左に楢姫稲荷神社です
本殿です
向かい側にケヤキの大木です
丁石は二丁です
最初の信号です、大宮消防署氷川神社参道出張所前です
市民会館脇からスダジイやクスノキなどの常緑樹が目立ってきました
丁石は七丁です
さいたま新都心駅から半分道を来ました
天然記念物に関する案内板です
二番目の信号です、大宮警察署参道交番前です
参道説明版です
氷川参道歴史散策案内(③参道交番南側のひろば)
・参道並木
氷川参道の並木は、時代とともにその姿を変えてきあした。
江戸時代に描かれた絵図には、松を多く含んだ並木の様子が見られます。
大正年間の写真では、鬱蒼とした杉並木で覆われており、昭和初期に作られた「大宮をどり」の中にも、「並木十八丁鉾杉つづき」と歌われています。
現在、参道の両側には約650本の樹木があり、落葉広葉樹であるケヤキを中心として、スダジイ、サクラ、クスノキなど30種類以上の樹種で構成されています。
杉からケヤキに変わった理由については諸説ありますが、昭和9年乃室戸台風による倒木、戦争中の燃料利用による伐採、排気ガスなどの様々な影響による枯死等の要因で、根の張るケヤキを植樹したと言われています。
氷川神社から大宮公園及び見沼田んぼ周辺の約284㌶の区域は、その自然的景観の保全を図るため、埼玉県内で唯一の風致地区に定められています。
また、一の鳥居から三の鳥居までの参道並木敷き(平成ひろば除く)については、さいたま市の保存緑地に指定されています。
並木の生育環境は、高密な市街地の中にあり、土壌の露出面積も少なく、長い期間の踏圧により土壌が固化され、樹勢の衰退が見受けられます。参道の樹木のうち、特に太い古木については、市の天然記念物として指定されていますが、枯死や倒木などにより減少しています。
氷川神社の社叢と一体となった歴史と風格漂う参道の並木は、都心部の貴重な緑地空間であり、憩いや彩りを提供する市民共通の財産として、将来にわたり引き継いでいけるよう皆様のご協力をお願いいたします。
英語文です
保存緑地から除かれている「平成ひろば」です
氷川神社まで900mに成りました
平成ひろばを進みます
半日観光ルートの案内板、盆栽村ルートと大宮アルディージャルートです
大宮二十景の標柱「③緑のトンネル氷川参道」です
丁石は十二まで来ました
氷川参道歴史散策案内(④平成ひろば)です
平成ひろばの出口です、二の鳥居が見えて来ました
官幣大社 氷川神社です、一の鳥居の所には「氷川大明神」の文字がありました
参道を進みましょう
二の鳥居です
鳥居の左(西)に説明版が有りました
氷川神社
所在地 大宮市高鼻町4-1-1
氷川神社は、社記によると第五代孝昭天皇の3年4月末の日の創建と伝えられる。
当社は、古くから歴朝や武将の尊崇をあつめた由緒ある大社としてその歴史を誇っており、「大宮」の地名もこの氷川神社に由来することは衆知のとおりである。
古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、また成務天皇のとき、武蔵国造となった兄多毛比命が出雲族を引きつれてこの地に移住し、氷川神社を奉崇したと伝えられる。その後、聖武天皇(724~49年)のとき「武蔵国一の宮」と定められ、ついで称徳天皇の天平神護2年(766)には、朝廷から武蔵国では当社だけに封戸(三戸)が寄進された。さらに醍醐天皇の延長5年(927)の「延喜式神明帳」には、名神大社として破格の月次新嘗の社格が与えられている。
このほか、鎌倉時代には、治承4年(1180)に源頼朝によって社殿の再建と社領三千貫が寄進されたといわれ、足利、北条氏も相次いで尊仰した。その後、江戸時代に慶長9年(1604)には、徳川氏より社領三百石が寄進され、また、文禄5年(1596)と寛文7年(1667)には社領の整備と社殿の造営が行なわれている。
その後、明治元年(1868)東京遷都に際し、当社を武蔵国に総鎮守「勅祭の社」と定められ、明治天皇みずから親拝になった。同4年官幣大社となり、同15年に本殿・拝殿などを改造し、さらに昭和15年に本殿・拝殿・廻廊などを造り変え、現在の景観となっている。
祭神は須佐之男命・稲田姫命・大己貴命。
例大祭は8月1日。そのほか神事の中で特に有名なのが12がウ10日の大湯祭である。
昭和60年3月
埼玉県
大宮市
*昭和60年ですと約36年前ですね、大宮市は2001年に浦和市・与野市と合併し「さいたま市」となりました、その後2005年に岩槻市も編入して現在の市域となっています。
参道左側のクスノキの大木です
向かい側、参道右のケヤキの古木です、根本保護の為竹垣が作られています
参道をだいぶ進んで来ました
丁石も十六丁です
参道左右の石灯籠です
参道左側に明治天皇行幸絵図です
三の鳥居が見えました、氷川神社参道は終了です
さすがに長い参道です、ブログも長くなりました
では次回は、氷川神社境内を見て行きましょう
今回は、「氷川神社参道を歩く」ため、JR京浜東北線さいたま新都心駅を利用しました
市街地の参道としては日本一長い約2kmの参道を歩きます
改札を出てすぐ右のエスカレーターを降った所の案内板で確認します、左(北)に行くと一の鳥居広場の文字です
駅前の道路は旧中山道です
ケヤキ並木を進みます
一の鳥居が見えて来ました
武蔵国一宮 氷川大明神です
さいたま新都心駅から450m来ました、氷川神社北側の大宮公園までは2110mです
半日観光ルートです氷川神社までは2000mです
丁石です、ここから18丁(1丁は約109m)歩く基準に丁度良いでしょう
参道並木は保存緑地です
参道は禁煙ですよ
では、一の鳥居をくぐって氷川神社へ向かいましょう
参道右手にケヤキの巨木です、並木全体が天然記念物(市指定)です
鳥居から200m程の参道左に楢姫稲荷神社です
本殿です
向かい側にケヤキの大木です
丁石は二丁です
最初の信号です、大宮消防署氷川神社参道出張所前です
市民会館脇からスダジイやクスノキなどの常緑樹が目立ってきました
丁石は七丁です
さいたま新都心駅から半分道を来ました
天然記念物に関する案内板です
二番目の信号です、大宮警察署参道交番前です
参道説明版です
氷川参道歴史散策案内(③参道交番南側のひろば)
・参道並木
氷川参道の並木は、時代とともにその姿を変えてきあした。
江戸時代に描かれた絵図には、松を多く含んだ並木の様子が見られます。
大正年間の写真では、鬱蒼とした杉並木で覆われており、昭和初期に作られた「大宮をどり」の中にも、「並木十八丁鉾杉つづき」と歌われています。
現在、参道の両側には約650本の樹木があり、落葉広葉樹であるケヤキを中心として、スダジイ、サクラ、クスノキなど30種類以上の樹種で構成されています。
杉からケヤキに変わった理由については諸説ありますが、昭和9年乃室戸台風による倒木、戦争中の燃料利用による伐採、排気ガスなどの様々な影響による枯死等の要因で、根の張るケヤキを植樹したと言われています。
氷川神社から大宮公園及び見沼田んぼ周辺の約284㌶の区域は、その自然的景観の保全を図るため、埼玉県内で唯一の風致地区に定められています。
また、一の鳥居から三の鳥居までの参道並木敷き(平成ひろば除く)については、さいたま市の保存緑地に指定されています。
並木の生育環境は、高密な市街地の中にあり、土壌の露出面積も少なく、長い期間の踏圧により土壌が固化され、樹勢の衰退が見受けられます。参道の樹木のうち、特に太い古木については、市の天然記念物として指定されていますが、枯死や倒木などにより減少しています。
氷川神社の社叢と一体となった歴史と風格漂う参道の並木は、都心部の貴重な緑地空間であり、憩いや彩りを提供する市民共通の財産として、将来にわたり引き継いでいけるよう皆様のご協力をお願いいたします。
英語文です
保存緑地から除かれている「平成ひろば」です
氷川神社まで900mに成りました
平成ひろばを進みます
半日観光ルートの案内板、盆栽村ルートと大宮アルディージャルートです
大宮二十景の標柱「③緑のトンネル氷川参道」です
丁石は十二まで来ました
氷川参道歴史散策案内(④平成ひろば)です
平成ひろばの出口です、二の鳥居が見えて来ました
官幣大社 氷川神社です、一の鳥居の所には「氷川大明神」の文字がありました
参道を進みましょう
二の鳥居です
鳥居の左(西)に説明版が有りました
氷川神社
所在地 大宮市高鼻町4-1-1
氷川神社は、社記によると第五代孝昭天皇の3年4月末の日の創建と伝えられる。
当社は、古くから歴朝や武将の尊崇をあつめた由緒ある大社としてその歴史を誇っており、「大宮」の地名もこの氷川神社に由来することは衆知のとおりである。
古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、また成務天皇のとき、武蔵国造となった兄多毛比命が出雲族を引きつれてこの地に移住し、氷川神社を奉崇したと伝えられる。その後、聖武天皇(724~49年)のとき「武蔵国一の宮」と定められ、ついで称徳天皇の天平神護2年(766)には、朝廷から武蔵国では当社だけに封戸(三戸)が寄進された。さらに醍醐天皇の延長5年(927)の「延喜式神明帳」には、名神大社として破格の月次新嘗の社格が与えられている。
このほか、鎌倉時代には、治承4年(1180)に源頼朝によって社殿の再建と社領三千貫が寄進されたといわれ、足利、北条氏も相次いで尊仰した。その後、江戸時代に慶長9年(1604)には、徳川氏より社領三百石が寄進され、また、文禄5年(1596)と寛文7年(1667)には社領の整備と社殿の造営が行なわれている。
その後、明治元年(1868)東京遷都に際し、当社を武蔵国に総鎮守「勅祭の社」と定められ、明治天皇みずから親拝になった。同4年官幣大社となり、同15年に本殿・拝殿などを改造し、さらに昭和15年に本殿・拝殿・廻廊などを造り変え、現在の景観となっている。
祭神は須佐之男命・稲田姫命・大己貴命。
例大祭は8月1日。そのほか神事の中で特に有名なのが12がウ10日の大湯祭である。
昭和60年3月
埼玉県
大宮市
*昭和60年ですと約36年前ですね、大宮市は2001年に浦和市・与野市と合併し「さいたま市」となりました、その後2005年に岩槻市も編入して現在の市域となっています。
参道左側のクスノキの大木です
向かい側、参道右のケヤキの古木です、根本保護の為竹垣が作られています
参道をだいぶ進んで来ました
丁石も十六丁です
参道左右の石灯籠です
参道左側に明治天皇行幸絵図です
三の鳥居が見えました、氷川神社参道は終了です
さすがに長い参道です、ブログも長くなりました
では次回は、氷川神社境内を見て行きましょう