東公園は、新発田市役所の南東約1kmのところ
素亜神社の直ぐ南側にあります
車は諏訪神社の駐車スペースに於いて行きましょう
案内板です
説明版です
諏訪神社 東公園
慶長3年(1598)加賀の大聖寺から当地に入封した
溝口秀和が同5年(1600)諏訪の木谷内より城内の古
丸へ遷座し後、寛永15年(1638)三代藩主宣直のと
き、古丸より職人町へ遷座、その後元禄元年(1688)
職人町より泉町へ遷座、宝暦6年(1756)七代藩主直
温のとき、j¥この地に社殿を造営し、いくさの神、近郷
の総鎮守とした。
祭神は建御名方命・八坂刀売命と初代藩主秀勝である。
神社脇の東公園は、当地出身の実業家大倉喜八郎翁の寄
贈によるもので、昭和初期から再三改造され、現在に至っ
ている。 新発田市観光協会
D-51 512号車です
正面から
横から
石炭車です
説明版です
D-51 512号車の経歴
製造年月日 昭和15年11月14日
配属機関区昭和15年11月20日新津機関区
廃車年月日 昭和47年10月30日
運転区間 羽越線・信越線
製造所 国鉄大宮工場 運転キロ 2040195km
経歴
D‐51機関車は製造初年が昭和15年で貨物車としは
最大の傑作であり、建造総数も1100両を越え国鉄の代
表的機関車であります。D―51 512号機は昭和15年
に製造されると同時に新鉄局新津機関区に配属され、昭和
47年10月、用途廃止になるまで32年間も同一機関区で
活躍していたので数多い機関車のなかでも珍しいケースであ
ります。
昭和47年10月羽越線電化完成に伴い廃車となりました
が、その走行距離は地球を51周するという記録をもってい
ます。
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諏訪神社 東公園
慶長3年(1598)加賀の大聖寺から当地に入封した
溝口秀和が同5年(1600)諏訪の木谷内より城内の古
丸へ遷座し後、寛永15年(1638)三代藩主宣直のと
き、古丸より職人町へ遷座、その後元禄元年(1688)
職人町より泉町へ遷座、宝暦6年(1756)七代藩主直
温のとき、j¥この地に社殿を造営し、いくさの神、近郷
の総鎮守とした。
祭神は建御名方命・八坂刀売命と初代藩主秀勝である。
神社脇の東公園は、当地出身の実業家大倉喜八郎翁の寄
贈によるもので、昭和初期から再三改造され、現在に至っ
ている。 新発田市観光協会
D-51 512号車です
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D-51 512号車の経歴
製造年月日 昭和15年11月14日
配属機関区昭和15年11月20日新津機関区
廃車年月日 昭和47年10月30日
運転区間 羽越線・信越線
製造所 国鉄大宮工場 運転キロ 2040195km
経歴
D‐51機関車は製造初年が昭和15年で貨物車としは
最大の傑作であり、建造総数も1100両を越え国鉄の代
表的機関車であります。D―51 512号機は昭和15年
に製造されると同時に新鉄局新津機関区に配属され、昭和
47年10月、用途廃止になるまで32年間も同一機関区で
活躍していたので数多い機関車のなかでも珍しいケースであ
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昭和47年10月羽越線電化完成に伴い廃車となりました
が、その走行距離は地球を51周するという記録をもってい
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