さきたま史跡の博物館は、久しぶりの訪問でした、常設展示も変化しています
常設展示場入口です
右側から展示を順に観て行きましょう
趣旨説明です
展示趣旨
埼玉県発祥の地、行田市埼玉に所在する埼玉古墳群は、大型前方後円墳を中心に密集して築造されており、全国でも稀有な例として、昭和13年、国指定史跡となりました。
その後、「さきたま風土記の丘」建設事業において整備を進め、現在では博物館を中核にした史跡公園として整備されております。
稲荷山古墳はこの整備計画に基づいて、昭和43年8月に墳丘の発掘調査が行われ、後円部から礫槨と粘土槨の2基の埋葬施設が検出されました。
そして、10年後の昭和53年には、礫槨から出土した鉄製品の保存処理中に、一振りの鉄剣から115文字の金象嵌の銘文が発見され、「100年に一度の大発見」として大きなニュースになりました。
その内容は、日本古代国家成立に貴重な手掛かりとなる大一級資料であり、昭和58年には出土品が国宝「武蔵埼玉稲荷山古墳出土品」として指定されております。
本展示室では、この稲荷山古墳の主体部からの出土品を中心に公開するものです。
被葬者とともに副葬されていた辛亥年(西暦471年)銘を刻む国宝の金錯銘鉄剣をはじめ、鏡などの装身具・武器・馬具・工具などの指定品を列品しております。
また、周堀内から出土した円筒埴輪や冑をかぶった武人、巫女などの人物埴輪、盾などの器材埴輪、動物埴輪などのほか須恵器等を紹介いたします。
さらに、将軍山古墳をはじめ、他の古墳からの出土品も併せて公開しております。
埼玉県の至宝になっている古墳時代の優品としての考古遺物をご覧いただければと存じます。
古墳の年代別大きさ別の表示です
国宝から順に観て行きます、まずは
稲荷山古墳出土の鉄剣です
稲荷山古墳の説明です
稲荷山古墳
埼玉古墳群で最初に造られた古墳(5世紀後半)です。全長120mを誇り当時の埼玉県域では最大の前方後円墳です。
昭和12年には前方部を土取りされてしまいましたが、平成16年には復元されました。
昭和43年には、史跡整備に伴う発掘調査が行われ、2基の埋葬施設を後円部で確認しました。
西寄りの埋葬施設は、古墳の主軸に沿って川原石を舟のような形に積み上げた「礫槨」であり、南寄りのものは素掘りの墓穴でした。棺は大木を半割にして刳り抜いた木棺だと考えられます。
前者を「礫槨木棺墓」、後者を「木棺直葬墓」と呼びます。
礫槨木棺墓からは、金錯銘鉄剣の他、帯金具・武器・武具・馬具などが出土しました。これらは、一括して国宝に指定されました。
木棺直葬墓は、棺を粘土で固定していました。本墓は盗掘されており、わずかに鉄鏃片が確認されただけでした。
埋葬施設案内と鉄剣です
帯金具と天冠です
帯金具と鉄剣です
金銘鉄剣説明と鉄鏃展示です
武器・武具です
珪甲(甲冑状の武具)の展示です
馬具です
画文帯環状乳神獣鏡の展示です
鉄製工具の展示です
崎玉古墳群出土の土器の展示です
鉄剣の展示ケースが変更に成っています
説明です
スペシャルスポット展示「金錯銘鉄剣ものがたり」
当館では金錯銘鉄剣をより安全な保管環境で展示公開するために、所有者である文化庁の指導のもと、これまで長年使用してきた展示ケースに換えて、新たな展示ケースを設置することになりました。
それまでの間、金錯銘鉄剣は窒素ガスを封入し、当館の特別収蔵庫内で保管されます。
金錯銘鉄剣が、新たな展示ケースで再び展示されるようになるまでの間、ここでは、金錯銘鉄剣が発掘されてから現在に至までの主な出来事を紹介するスペシャルスポット展示「金錯銘鉄剣ものがたり」を開催いたします。
金錯銘鉄剣が発見され、現在の姿となって展示公開されるまでには様々な経緯がありました。
始まりはいまから56年前の稲荷山古墳の発掘です。鉄剣は盗掘を免れた礫槨からの副葬品の一つとして出土しました。
そして発掘から10年後、保存処理の作業中に金象嵌の文字が発見されたことは、古代史研究上の大発見として世間を騒がせました。金象嵌文字の発見から5年後には国宝に指定されました。
本展示では、金錯銘鉄剣の紹介とともに、鉄剣が発見されてからの主な出来事を「稲荷山古墳の発掘」、「金象嵌文字の発見と保存処理」、「金錯銘鉄剣の公開と科学分析」として紹介いたします。
金錯銘鉄剣の展示です
稲荷山古墳から出土した埴輪の展示です
金錯銘鉄剣の発見された稲荷山古墳の説明です
稲荷山古墳出土の人物埴輪について
形象埴輪について
円筒埴輪の展示です
説明です
稲荷山古墳出土の円筒埴輪
〈墳丘を囲み守る装置〉
円筒埴輪は弥生時代の墓に供えられた壷をのせる筒状の土製の台(器台)が源です。
稲荷山古墳では立てられた位置をとどめるものはほとんどありませんが、墳丘上や墳丘裾の平坦部、中提や造出し上に、すき間なくたてられていたと推定され、こわれて破片となった埴輪が墳丘や周堀から大量に出土しています。
使われた粘土の種類で焼き上がりの色が違うのは、生産地(生産した工人集団)の違いによるものと思われます。
灰白色のものは5~6条の凸帯(帯)を持ち、しっかりとした作りの大型品で、半円形のスカシがあります。
外面には縦方向にハケメ(スジ状の仕上げ痕)があり、一部には古い技法の横方向のハケメが施されています。
その他の赤褐色や橙色のものは大型品のほかに3~4条凸帯の小形品があり、やや雑に製作されています。
二子山古墳出土の須恵器の杯と土師器の高杯の展示です
小円墳郡からの出土品です
二子山古墳出土の円筒埴輪の展示です
全国銘文刀剣の展示です
金錯銘鉄剣のパネルです
家形埴輪と琴を弾く男性埴輪です、左側の女性埴輪は、前回の企画展示に出張中です
動物埴輪(水鳥埴輪)と瓦塚古墳出土の盾持埴輪です
稲荷山古墳の竪穴式石室と将軍山古墳の横穴式石室の比較展示です
馬冑の展示です
大きな須恵器の壷の展示です
鉄砲山古墳出土の埴輪の展示です
最後は円筒埴輪の比較展示です
では、博物館を出て、最後に残った「愛宕山古墳」に行きましょう
常設展示場入口です
右側から展示を順に観て行きましょう
趣旨説明です
展示趣旨
埼玉県発祥の地、行田市埼玉に所在する埼玉古墳群は、大型前方後円墳を中心に密集して築造されており、全国でも稀有な例として、昭和13年、国指定史跡となりました。
その後、「さきたま風土記の丘」建設事業において整備を進め、現在では博物館を中核にした史跡公園として整備されております。
稲荷山古墳はこの整備計画に基づいて、昭和43年8月に墳丘の発掘調査が行われ、後円部から礫槨と粘土槨の2基の埋葬施設が検出されました。
そして、10年後の昭和53年には、礫槨から出土した鉄製品の保存処理中に、一振りの鉄剣から115文字の金象嵌の銘文が発見され、「100年に一度の大発見」として大きなニュースになりました。
その内容は、日本古代国家成立に貴重な手掛かりとなる大一級資料であり、昭和58年には出土品が国宝「武蔵埼玉稲荷山古墳出土品」として指定されております。
本展示室では、この稲荷山古墳の主体部からの出土品を中心に公開するものです。
被葬者とともに副葬されていた辛亥年(西暦471年)銘を刻む国宝の金錯銘鉄剣をはじめ、鏡などの装身具・武器・馬具・工具などの指定品を列品しております。
また、周堀内から出土した円筒埴輪や冑をかぶった武人、巫女などの人物埴輪、盾などの器材埴輪、動物埴輪などのほか須恵器等を紹介いたします。
さらに、将軍山古墳をはじめ、他の古墳からの出土品も併せて公開しております。
埼玉県の至宝になっている古墳時代の優品としての考古遺物をご覧いただければと存じます。
古墳の年代別大きさ別の表示です
国宝から順に観て行きます、まずは
稲荷山古墳出土の鉄剣です
稲荷山古墳の説明です
稲荷山古墳
埼玉古墳群で最初に造られた古墳(5世紀後半)です。全長120mを誇り当時の埼玉県域では最大の前方後円墳です。
昭和12年には前方部を土取りされてしまいましたが、平成16年には復元されました。
昭和43年には、史跡整備に伴う発掘調査が行われ、2基の埋葬施設を後円部で確認しました。
西寄りの埋葬施設は、古墳の主軸に沿って川原石を舟のような形に積み上げた「礫槨」であり、南寄りのものは素掘りの墓穴でした。棺は大木を半割にして刳り抜いた木棺だと考えられます。
前者を「礫槨木棺墓」、後者を「木棺直葬墓」と呼びます。
礫槨木棺墓からは、金錯銘鉄剣の他、帯金具・武器・武具・馬具などが出土しました。これらは、一括して国宝に指定されました。
木棺直葬墓は、棺を粘土で固定していました。本墓は盗掘されており、わずかに鉄鏃片が確認されただけでした。
埋葬施設案内と鉄剣です
帯金具と天冠です
帯金具と鉄剣です
金銘鉄剣説明と鉄鏃展示です
武器・武具です
珪甲(甲冑状の武具)の展示です
馬具です
画文帯環状乳神獣鏡の展示です
鉄製工具の展示です
崎玉古墳群出土の土器の展示です
鉄剣の展示ケースが変更に成っています
説明です
スペシャルスポット展示「金錯銘鉄剣ものがたり」
当館では金錯銘鉄剣をより安全な保管環境で展示公開するために、所有者である文化庁の指導のもと、これまで長年使用してきた展示ケースに換えて、新たな展示ケースを設置することになりました。
それまでの間、金錯銘鉄剣は窒素ガスを封入し、当館の特別収蔵庫内で保管されます。
金錯銘鉄剣が、新たな展示ケースで再び展示されるようになるまでの間、ここでは、金錯銘鉄剣が発掘されてから現在に至までの主な出来事を紹介するスペシャルスポット展示「金錯銘鉄剣ものがたり」を開催いたします。
金錯銘鉄剣が発見され、現在の姿となって展示公開されるまでには様々な経緯がありました。
始まりはいまから56年前の稲荷山古墳の発掘です。鉄剣は盗掘を免れた礫槨からの副葬品の一つとして出土しました。
そして発掘から10年後、保存処理の作業中に金象嵌の文字が発見されたことは、古代史研究上の大発見として世間を騒がせました。金象嵌文字の発見から5年後には国宝に指定されました。
本展示では、金錯銘鉄剣の紹介とともに、鉄剣が発見されてからの主な出来事を「稲荷山古墳の発掘」、「金象嵌文字の発見と保存処理」、「金錯銘鉄剣の公開と科学分析」として紹介いたします。
金錯銘鉄剣の展示です
稲荷山古墳から出土した埴輪の展示です
金錯銘鉄剣の発見された稲荷山古墳の説明です
稲荷山古墳出土の人物埴輪について
形象埴輪について
円筒埴輪の展示です
説明です
稲荷山古墳出土の円筒埴輪
〈墳丘を囲み守る装置〉
円筒埴輪は弥生時代の墓に供えられた壷をのせる筒状の土製の台(器台)が源です。
稲荷山古墳では立てられた位置をとどめるものはほとんどありませんが、墳丘上や墳丘裾の平坦部、中提や造出し上に、すき間なくたてられていたと推定され、こわれて破片となった埴輪が墳丘や周堀から大量に出土しています。
使われた粘土の種類で焼き上がりの色が違うのは、生産地(生産した工人集団)の違いによるものと思われます。
灰白色のものは5~6条の凸帯(帯)を持ち、しっかりとした作りの大型品で、半円形のスカシがあります。
外面には縦方向にハケメ(スジ状の仕上げ痕)があり、一部には古い技法の横方向のハケメが施されています。
その他の赤褐色や橙色のものは大型品のほかに3~4条凸帯の小形品があり、やや雑に製作されています。
二子山古墳出土の須恵器の杯と土師器の高杯の展示です
小円墳郡からの出土品です
二子山古墳出土の円筒埴輪の展示です
全国銘文刀剣の展示です
金錯銘鉄剣のパネルです
家形埴輪と琴を弾く男性埴輪です、左側の女性埴輪は、前回の企画展示に出張中です
動物埴輪(水鳥埴輪)と瓦塚古墳出土の盾持埴輪です
稲荷山古墳の竪穴式石室と将軍山古墳の横穴式石室の比較展示です
馬冑の展示です
大きな須恵器の壷の展示です
鉄砲山古墳出土の埴輪の展示です
最後は円筒埴輪の比較展示です
では、博物館を出て、最後に残った「愛宕山古墳」に行きましょう
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