岩部地区は、香取市役所の南約9kmのところ
香取市役所前から県道2号線を南西へ、直ぐの「佐原消防署脇」信号を左(南東)へ、国道356号線です
約400mの「舟戸」信号を右(南)へ、県道16号線です、道成りに約1.9kmの時差式信号を斜め左(南西)へ
道成りに約4km県道16号線を進むと、東関東自動車道の上を上谷津大橋で越えます
約4.5kmで「安興寺」の案内板が有りますので右(北西)へ入ります
間も無く南東向きの参道入口です
参道右手に広い駐車場があります
日蓮宗の寺號標です
参道左手には西崎青年館です
.
山門です
山門の右て境内に大きなスギの樹冠です
山門左手にはスダジイの大木です
安興寺縁起説明版です
安興寺縁起
当山は山号を「東方光明山」、寺号を「安圀長興寺」と命名。通称は「東光山」「安興寺」を名称とする。
淵源は、大同2年(807年)、岩部域地に創建された戒律勅許の「律宗・大円院」で、当地方の行政機関を兼ねた拠点として、戒律相伝の律師(官勅の僧侶)により、鑑真和上(奈良・唐招提寺開祖)を開基に仰いで創建されたと伝えられる。
その後、貞応元年(1222年)千葉氏の一族岩部五郎常基が岩部城築城にあたり、現在地に移設し、名称も「千葉山」「釈尊勧請寺」として整備し創建した。
時は下って元徳2年(1330年)、大円阿闍梨日伝上人(平賀・本土寺第3世)にとって日蓮宗に改宗され、名称も現在のものとなった。
第2世日義上人の代には、千葉家から供養料として田畑、寺領地が寄進され「境内地2750坪・供米20石」とある。
第3世日憲上人の代には、時の将軍足利義満公との有縁の誼をもって奥方懐妊の際、当山勧請の釈迦尊像に祈祷を修し、男子誕生の慶事をもって20石のご朱印地を受領。そして「塔中37坊、末寺7ヶ寺を擁し、檀家岩部一円に及ぶ」とある。
第20世中興日秀上人の代には、徳川3代将軍家光公からも11石5斗の御朱印地が下付された。
寛文5年(1665年)以降、不受不施派に属した為、幕府の弾圧を受け、20余年間無住職状態が続き、末寺、支配寺坊の離脱、火災による堂宇焼失等が相次ぎ本来の威容から衰微した。
然るに、歴代上人の名跡によって、濫觴以来実に1200年、現在地で法灯連綿780年余、有数の古刹として、現董第54世に継承されている。
主な寺宝
1、釈迦尊像 千葉山以来の最古の勧請仏で、安産、智・徳・体三育、御守護のお釈迦様として伝来。
蓮華座及び岩座の合掌像。毎年6月13日、一部講の祈り御開帳。
2、涅槃図 縦415cm、横287cmの大図。享保16年(1731年)製作勧請の極彩色の秀作。
「栗源町文化財」指定。毎年2月15日、涅槃会の折一般公開。
3、日蓮上人御真筆 文永・建治の交わり頃の御筆。「日蓮宗宗宝」指定。
4、御朱印牒他各種古文書
*栗源町(くりもとまち)は、千葉県香取郡に存在した町で、平成18年(2006)3月27日に佐原市・山田町・小見川町と合併(新設合併)し、香取市となりました。
文化財説明版です
香取市指定天然記念物 昭和50年11月12日指定
安興寺大杉
香取市指定有形文化財 平成11年10月21日指定
安興寺仏涅槃図
当山は山号を東方光明山、寺号を安圀長興寺とし、通称東光山安興寺と称する。
寺伝によれば、初め律宗寺院であったが、元徳2年(1330)に平賀・本土寺(松戸市)の日傳上人により日蓮宗の改宗したとする。
江戸時代には徳川幕府から11石5斗の朱印地が寄進された。本尊は久遠本師釈迦牟尼仏。
境内中央に立つ大杉は、樹高約50m、目通り幹周約6mの巨木で、樹齢は400年余。
20世日秀上人が、天下泰平・国家安穏・五穀豊穣を祈願して植樹した若杉の一つと推定される。
仏涅槃図は、画面縦336cm、横幅230.2cmの大幅で、両脇に墨書銘文から享保16年(1731)常法院日顕の筆になる優れた作である。
毎年2月15日の涅槃会に本堂内陣に掲げられる。
平成22年1月 東光山安興寺
香取市教育委員会
手水舎です
南側から、目的の大杉です
南西側から
説明版です
安興寺の大杉
香取市指定天然記念物
高さ 約50m
周囲目通り 6m
樹齢 400年余
貞応元年(1222)この地に創建された当山は、当地の守護職千葉家の庇護、下って足利幕府さらには徳川幕府からの朱印地寄進等によって1660年頃までは七堂伽藍が整い寺門隆昌の時代であった。
当時、当山中興20世日秀上人代に、天下泰平、国家安穏、五穀豊穣を祈願して若杉が植樹され、その内の一本が今日の大樹となったと思われる。
樹下に立つ者に勇気と安らぎを与え、現世に平和と繁栄をもたらす希望の塔ともなっている。本町随一の名木である。
昭和51年12月1日 香取市指定
東光山 安興寺
香取市教育委員会
北西側から
本堂前から大杉を見ました
本堂です
では、次へ行きましょう
香取市役所前から県道2号線を南西へ、直ぐの「佐原消防署脇」信号を左(南東)へ、国道356号線です
約400mの「舟戸」信号を右(南)へ、県道16号線です、道成りに約1.9kmの時差式信号を斜め左(南西)へ
道成りに約4km県道16号線を進むと、東関東自動車道の上を上谷津大橋で越えます
約4.5kmで「安興寺」の案内板が有りますので右(北西)へ入ります
間も無く南東向きの参道入口です
参道右手に広い駐車場があります
日蓮宗の寺號標です
参道左手には西崎青年館です
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山門です
山門の右て境内に大きなスギの樹冠です
山門左手にはスダジイの大木です
安興寺縁起説明版です
安興寺縁起
当山は山号を「東方光明山」、寺号を「安圀長興寺」と命名。通称は「東光山」「安興寺」を名称とする。
淵源は、大同2年(807年)、岩部域地に創建された戒律勅許の「律宗・大円院」で、当地方の行政機関を兼ねた拠点として、戒律相伝の律師(官勅の僧侶)により、鑑真和上(奈良・唐招提寺開祖)を開基に仰いで創建されたと伝えられる。
その後、貞応元年(1222年)千葉氏の一族岩部五郎常基が岩部城築城にあたり、現在地に移設し、名称も「千葉山」「釈尊勧請寺」として整備し創建した。
時は下って元徳2年(1330年)、大円阿闍梨日伝上人(平賀・本土寺第3世)にとって日蓮宗に改宗され、名称も現在のものとなった。
第2世日義上人の代には、千葉家から供養料として田畑、寺領地が寄進され「境内地2750坪・供米20石」とある。
第3世日憲上人の代には、時の将軍足利義満公との有縁の誼をもって奥方懐妊の際、当山勧請の釈迦尊像に祈祷を修し、男子誕生の慶事をもって20石のご朱印地を受領。そして「塔中37坊、末寺7ヶ寺を擁し、檀家岩部一円に及ぶ」とある。
第20世中興日秀上人の代には、徳川3代将軍家光公からも11石5斗の御朱印地が下付された。
寛文5年(1665年)以降、不受不施派に属した為、幕府の弾圧を受け、20余年間無住職状態が続き、末寺、支配寺坊の離脱、火災による堂宇焼失等が相次ぎ本来の威容から衰微した。
然るに、歴代上人の名跡によって、濫觴以来実に1200年、現在地で法灯連綿780年余、有数の古刹として、現董第54世に継承されている。
主な寺宝
1、釈迦尊像 千葉山以来の最古の勧請仏で、安産、智・徳・体三育、御守護のお釈迦様として伝来。
蓮華座及び岩座の合掌像。毎年6月13日、一部講の祈り御開帳。
2、涅槃図 縦415cm、横287cmの大図。享保16年(1731年)製作勧請の極彩色の秀作。
「栗源町文化財」指定。毎年2月15日、涅槃会の折一般公開。
3、日蓮上人御真筆 文永・建治の交わり頃の御筆。「日蓮宗宗宝」指定。
4、御朱印牒他各種古文書
*栗源町(くりもとまち)は、千葉県香取郡に存在した町で、平成18年(2006)3月27日に佐原市・山田町・小見川町と合併(新設合併)し、香取市となりました。
文化財説明版です
香取市指定天然記念物 昭和50年11月12日指定
安興寺大杉
香取市指定有形文化財 平成11年10月21日指定
安興寺仏涅槃図
当山は山号を東方光明山、寺号を安圀長興寺とし、通称東光山安興寺と称する。
寺伝によれば、初め律宗寺院であったが、元徳2年(1330)に平賀・本土寺(松戸市)の日傳上人により日蓮宗の改宗したとする。
江戸時代には徳川幕府から11石5斗の朱印地が寄進された。本尊は久遠本師釈迦牟尼仏。
境内中央に立つ大杉は、樹高約50m、目通り幹周約6mの巨木で、樹齢は400年余。
20世日秀上人が、天下泰平・国家安穏・五穀豊穣を祈願して植樹した若杉の一つと推定される。
仏涅槃図は、画面縦336cm、横幅230.2cmの大幅で、両脇に墨書銘文から享保16年(1731)常法院日顕の筆になる優れた作である。
毎年2月15日の涅槃会に本堂内陣に掲げられる。
平成22年1月 東光山安興寺
香取市教育委員会
手水舎です
南側から、目的の大杉です
南西側から
説明版です
安興寺の大杉
香取市指定天然記念物
高さ 約50m
周囲目通り 6m
樹齢 400年余
貞応元年(1222)この地に創建された当山は、当地の守護職千葉家の庇護、下って足利幕府さらには徳川幕府からの朱印地寄進等によって1660年頃までは七堂伽藍が整い寺門隆昌の時代であった。
当時、当山中興20世日秀上人代に、天下泰平、国家安穏、五穀豊穣を祈願して若杉が植樹され、その内の一本が今日の大樹となったと思われる。
樹下に立つ者に勇気と安らぎを与え、現世に平和と繁栄をもたらす希望の塔ともなっている。本町随一の名木である。
昭和51年12月1日 香取市指定
東光山 安興寺
香取市教育委員会
北西側から
本堂前から大杉を見ました
本堂です
では、次へ行きましょう
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