ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

愛知県岡崎市、本宿町寺山「法蔵寺のイヌマキと桜」(市指定)です!!

2023-02-05 18:48:36 | 文化財・樹木
 本宿町寺山地区は、岡崎市役所の南東約11kmのところ

 国道1号線を南東へ、本宿駅東信号を右は、旧東海道に入ります

 南東に進んで間も無く、右手に広い参道が東北東向きに開いています


 参道入口です

 参道の両側が駐車スペースになっています

 説明版です
  法蔵寺
 701年、僧行基の開山と伝えられ、松平初代親氏(ちかうじ)が深く帰依して、1387年の堂宇を建立し、寺号を法蔵寺としたと言われています。
 家康が幼いころ手習いや漢籍を学んだとされ、数々の遺品が現存しています。桶狭間の合戦以後家康は、法蔵寺に守護不入の特権を与えるなど優遇しました。
 また、境内には新選組で有名な、近藤勇の首塚も祀られています。
 

 入口北側にはカヤの木です

 南側には「御草紙掛松(おんそうしかけのまつ)」です

 説明版です
   御草紙掛松
 寺伝によれば徳川家康公は幼少の頃、当寺にて学問、手習いに励んだといわれる。
 この松は家康公手植えの松といわれ、手習いのおり草紙を掛けたことから、家康公ゆかりの「御草紙掛松」として永く人々に親しまれてきた。また「御茶屋の松」「御腰掛の松」ともよばれた。
 代々受け継がれてきたが、平成17年8月、虫害により枯れた。その後「慣れ親しんだ松を後世に伝えよう」と、地元有志「もづく会」の手により、平成18年3月、4代目の松が植樹された。
 周囲の石柵は、文化12年(1815)旗本木造清左衛門俊往の寄進である。
     平成18年4月吉日 郷土史本宿研究会



 文化財説明版です
  法蔵寺
 浄土宗西山深草派の三河三檀林のひとつ。二村山と号す。本尊は阿弥陀如来。
 寺伝では行基と空海の伝承があり、二村山出生寺と称し、古くは法相宗、真言宗であったと伝える。
 至徳2年(1385)京都円福寺より来往した教空龍芸が浄土宗に改宗し、その時法蔵寺と改められた。
 江戸時代には、東海道に接していることから、参詣者も多く、かつ、幕府の庇護も厚かったため、大いに権勢をふるった寺であった。
 家康が幼時この寺で勉学をしたとされ、徳川家ゆかりの宝物が多く残されている。
 県指定文化財
  洞(伝)の銅鐸  1個
 市指定文化財
  絹本着色善導大師像    1幅
  絹本着色山越阿弥陀如来像 1幅 
  絹本着色二十五菩薩来迎図 1幅
  絹本着色渡唐天神像    1幅
  木造聖観音菩薩立像    1躯
  利剣名号御下帷子     1枚
  破魔弓          1張
  青磁花瓶         1口
  松平蔵人佐元康制札    1面
  梵鐘           1口
  法蔵寺の桜        1本
  法蔵寺のイヌマキ     1本
    岡崎市教育委員会
  



 山門です


 参道石段の上には鐘楼門です

 境内案内図です

 本堂です

 右手の庫裡の前には「法蔵寺の桜」です

 天然記念物標柱です

 東側から

 本堂北側には「法蔵寺のイヌマキ」です

 東側から

 説明版です
  岡崎市指定文化財  法蔵寺
   天然記念物 法蔵寺のイヌマキ
 胸高囲2.44m、根囲4.67m、樹高12mに達する。本株は樹勢が優れ、樹形は極めて優美。根本近くの幹には腐朽による空洞がある。樹齢は古いものと推定される。
 行基菩薩が開山の際に植えたという伝承があり、「行基開山の槇」と称されている。
     昭和50年3月26日指定
   天然記念物 法蔵寺の桜(現在地の後方)
 幼少の頃に法蔵寺で読み書きを学んだ「家康公お手植えの桜」と伝わるヤマザクラ。根周り4m程ある幹の腐食跡が地面に残っており、往時は偉大な桜であったと思われる。現在はその腐食跡から生じた若枝が樹勢を形成している。
     昭和38年5月8日指定
       岡崎市教育委員会

 根元から見上げました

 北側から見ました

 長く成りそうなので、次に続きます


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