天神社は、坂戸市役所の南西約6kmのところ
県道74号線日高川島線で東武越生線に沿って進みます
にしおおや駅をすぎて約1km、日高市との境で右斜めの道路へ進むと間もなく
天神社が有ります、隣の多和目普御世会館の前に車を止めさせてもらいました
多和目普御世会館の隣です
村社 天神社です
鳥居です
手水舎です
社殿です
社殿東側にカゴノキがあります
木肌に特徴のある木です
説明版です
坂戸市指定天然記念物 カゴノキ(鹿の子木)
この樹木は、正式名称が判明するまで「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれていました。
昭和五十九年に埼玉大学の永野教授の鑑定により、学名をクスノキ科に属する「カゴノキ」
で、名称は「鹿の子木」と判明しました。
この樹木は、暖地性の常緑喬木で、沖縄・九州・四国を中心に分布している樹木で、関東以
北ではほとんど生育していない、植生上も貴重な樹木であることがわかりました。
樹木の名称の由来は、淡褐色を帯びた樹皮が、円形に点々と剥落し、この部分に次々と白い
木肌が現れます。この様子が、鹿の子の斑点と同じようにみえることから、この名称が付けら
れたと考えられます。
樹木の規模は、樹高十五mを計り、樹齢千年といわれていますが、樹木医の診断では、八百
年程といわれています。
平成十五年十二月 坂戸市教育委員会
目通り幹回りは、4.7mと巨木にはもう少し足りないようですが、立派な木です
西側から
北西側から
社殿北側に天然記念物多和目の大杉の石碑が有ります
嘗てここには、スギの巨木がありました
石碑が有ります
天然記念物 多和目の大杉跡
県指定 昭和七年三月
樹 高 三十五m
周 囲 九m
樹 齢 千三十二年
樹勢旺盛で地上四mの処で二幹に岐されているので夫婦杉とも呼ばれていた、昭和三四年の伊勢
湾台風の為先端十m程折られ以来年と共に衰退し枯死寸前となった
茲に於て氏子総会えお開き天然記念物の解除並びに神社本庁統理の承認を求め伐採の許可を得て
多和目の象徴の大杉は終焉を告げた
此の折埼玉県林業試験場の配慮に依り大杉の分身二世が得られ植樹後世に残す
維時 昭和五十六年五月
元の杉が切られて五七年の年月を経て、大きく育っています
では、次へ行きましょう
県道74号線日高川島線で東武越生線に沿って進みます
にしおおや駅をすぎて約1km、日高市との境で右斜めの道路へ進むと間もなく
天神社が有ります、隣の多和目普御世会館の前に車を止めさせてもらいました
多和目普御世会館の隣です
村社 天神社です
鳥居です
手水舎です
社殿です
社殿東側にカゴノキがあります
木肌に特徴のある木です
説明版です
坂戸市指定天然記念物 カゴノキ(鹿の子木)
この樹木は、正式名称が判明するまで「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれていました。
昭和五十九年に埼玉大学の永野教授の鑑定により、学名をクスノキ科に属する「カゴノキ」
で、名称は「鹿の子木」と判明しました。
この樹木は、暖地性の常緑喬木で、沖縄・九州・四国を中心に分布している樹木で、関東以
北ではほとんど生育していない、植生上も貴重な樹木であることがわかりました。
樹木の名称の由来は、淡褐色を帯びた樹皮が、円形に点々と剥落し、この部分に次々と白い
木肌が現れます。この様子が、鹿の子の斑点と同じようにみえることから、この名称が付けら
れたと考えられます。
樹木の規模は、樹高十五mを計り、樹齢千年といわれていますが、樹木医の診断では、八百
年程といわれています。
平成十五年十二月 坂戸市教育委員会
目通り幹回りは、4.7mと巨木にはもう少し足りないようですが、立派な木です
西側から
北西側から
社殿北側に天然記念物多和目の大杉の石碑が有ります
嘗てここには、スギの巨木がありました
石碑が有ります
天然記念物 多和目の大杉跡
県指定 昭和七年三月
樹 高 三十五m
周 囲 九m
樹 齢 千三十二年
樹勢旺盛で地上四mの処で二幹に岐されているので夫婦杉とも呼ばれていた、昭和三四年の伊勢
湾台風の為先端十m程折られ以来年と共に衰退し枯死寸前となった
茲に於て氏子総会えお開き天然記念物の解除並びに神社本庁統理の承認を求め伐採の許可を得て
多和目の象徴の大杉は終焉を告げた
此の折埼玉県林業試験場の配慮に依り大杉の分身二世が得られ植樹後世に残す
維時 昭和五十六年五月
元の杉が切られて五七年の年月を経て、大きく育っています
では、次へ行きましょう