ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

埼玉県東松山市、岩殿観音の大イチョウです!!

2015-11-18 16:49:57 | 巨樹・大木
岩殿観音は、東松山市役所の南西約5kmのところ、と言うよりも

大東文化大学の直ぐ西側に在ります

県道212号線を、東武東上線たかさか駅前から西へ進みます

こども動物自然園入口を右斜めの道路へ進みます

岩殿観音の参道を登り切ると駐車場です

参道の突き当り階段の上に山門です

岩殿山の懸額です


左右に仁王像です

更に石段を上がります

坂東十番札所 岩殿山正法寺です

鐘楼です

銅鐘です
    正法寺の銅鐘
        昭和五十二年三月二十九日 県指定有形文化財
      この銅鐘は、元亨二年(1322年)に鋳造されたもので、竜頭の高さ32cm、鐘身
     113cm、口径78cmです。
      銘文によって、岩殿寺(正法寺)の貫主覚阿の代に、沙弥道阿藤原氏女が願主となり、
     沙阿□阿布敷氏女外二名の檀那と沙阿□阿藤原氏女外六名の助成によって奉納されたもの
     です。
    正法寺の鐘樓
        昭和四十六年六月四日市指定有形文化財
      この鐘楼は、元禄十五年(1702年)山田茂兵衛の寄進によって再建されたものです。
      屋根は、箱棟の草葺、大棟に鳥ぶすまをのせ、置千木を三ヶ所に置いてあります。斗拱
      (組物)、中備、天井などの装飾は少なめで、簡素な中に雄健な吹放ちの鐘楼です。
        
    昭和五十三年三月                  東松山市教育委員会

説明版です、鐘楼は松山市の指定有形文化財です


本堂の観音堂前です

水子地蔵と弘法大師像です

心洗です

説明版です


   埼玉県指定名勝 岩殿観音の勝
               東松山市岩殿1221ほか
               大正十一年三月二十九日指定
     物見山(標高135m)は、比企丘陵の最高峰であり、伝説によれば坂上田村麿は東征のとき
    この山に登り、四囲をながめたことに由来する山名といい、田村麿はこのとき北方の雪解沢に悪   
    龍を退治したという。
     この山は、俗に九十九峯四十八谷と称し、丘陵は波濤のように起伏している。山腹には正法寺
    があり、岩殿観音をまつり、境内には、スギ、ヒノキが高くそびえている。
     春になると、ツツジ・ワラビが人を招き、秋には紅葉、青松の間にハツタケが生え、観月、秋
    草、虫声等の楽があり、また冬は雪曙の観光と四季を通じて景観の地である。
     山頂に立てば、遠く箱根・足柄・大山・富士山・秩父・信越・上野・下野・常陸の諸山から東
    京湾まで望むことが出来る。
     正法寺は、坂東札所三十三か所の第十番で、養老二年(718)に開山きされたという。鎌倉
    時代には、頼朝、比企禅尼の信仰も厚く、廃寺を再建されたという。戦国時代には数回の兵火で
    焼け、現在の建物は天明六年(1786)の造営と伝えられる。手前の宿場が栄え、修験道の信
    徒等が数多く集まったといわれる。
      付近にはつぎのような文化財がある。
       一、正法寺仁王門、薬師堂、鐘楼、白体地蔵尊、六面幢
       一、判官塚
       一、足利基氏塁址
       一、旗塚、談合塚
     昭和四十九年十月                     埼玉県教育委員会
                                  東松山市教育委員会





観音堂の左手に大イチョウが有ります

市指定 正法寺の大銀杏の標柱です





大銀杏は大岩の上に生えて岩を根が覆っています




南側から、大岩が良く見えます

目通り幹回り13,5mは、埼玉県巨木順位第二位(一位は生越町上谷の大クス)です

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埼玉県鴻巣市、円通寺の観音堂です!!

2015-11-17 06:46:41 | 文化財・寺社
円通寺観音堂は、鴻巣市役所の北北西約3kmのところ

県道77号線の道路脇に、目立って立派なお堂が有りましたので

寄っていました

県道脇の広く成っている部分に車を止めさせていただきました

観音堂です

説明版です
  鴻巣市指定有形文化財
    円通寺の観音堂(旧観音寺)    平成十三年三月二十八日指定
      慶長年間(1596~1615)に建立されたと伝えられている。江戸近郊で観音像などを
     祀る三間堂としては、保存状態もよく軒を除いて総欅造りの格調高い仏堂である。
      県内でも、これだけ質の高い三間堂の例はほとんどないと思われ、馬頭観音の民間信仰の強
     さを思わせる。
      近年の調査により、現存する建物は江戸中期以降に建て替えられたものと思われるが、江戸      
     前期から中期頃の建物の持つ雰囲気を残しており、これだけ質の高い建物が庶民の力により、
     この地に建立されたことも大きな価値がある。
    木造馬頭観世音菩薩座像      平成十三年三月二十八日指定
      旧観音寺に安置されていた馬頭観世音菩薩座像であり、木造、玉眼、漆箔、眉墨描で本面の
     上に馬頭印を載せ、髪は怒りのために逆立つ怒髪の形を表している。
      顔は本面の左右にそれぞれ一つの脇面が付く三面である。本面の目は三つ、脇面はそれぞれ
     二つである。
      本めんは口を開き、上牙で憤怒の様相を示し、脇面の口は一文字に結んでいる。腕は八本で
     本手の二本で印を結び、左右の脇手はそれぞれにものを持つ。足は右膝を立てて、左足裏に重
     る輪王坐という形をして、蓮華坐に座っている。江戸中期の作である。
       坐高 58、3cm
    木造神馬             平成十三年三月二十八日指定
      旧観音寺に安置されていた木造神馬であり、木造、玉眼、彩色で布・和紙を貼り丸みを出す
     ために大鋸屑で下地を固めている。製作は江戸時代後期である。
       三駆  ㊨像高  76cm 尻高 51cm 耳、玉眼、たてがみは失われている。
           ㊥像高 101cm 尻高 72cm 耳、たてがみは失われている。
           ㊧像高 119cm 尻高 76cm たてがみは失われている。
                                       鴻巣市教育委員会
      

軒下の欄干です

西側です

懸額です

境内のケヤキは幹回り3.2mです



まだまだ大きく成ってもらいたいですね


境内の堂です

宝篋印塔や石像が並んでいます

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埼玉県行田市、真名板薬師堂の銀杏3本と高山古墳です!!

2015-11-16 07:40:08 | 巨樹・大木
真名板薬師は、行田市役所の東約5kmのところ

真名板地区は、行田市の東端です

県道32号線の薬師前信号の西側に在ります

駐車場は、薬師堂の北側にありますので、北側道路を入ります

真名板薬師堂前に高山古墳の案内板が出ています

入口です

楼門です

楼門の西側に力石が有ります

薬師堂の前に三本の大銀杏が有ります

説明版です
    行田市指定文化財  真名板薬師の公孫樹    昭和33年3月1日指定
      現在の真名板薬師堂の境内には、江戸時代には新義真言宗花蔵院という寺院がありました。
     しかしながら、明治維新後に花蔵院が廃寺となり、県指定文化財銅造伝薬師如来立像が安置さ
     れている薬師堂と楼門だけが残されて、現在に至っています。
      その薬師堂の前に東西方向に一列に3本植栽されているこの公孫樹は、西側の2本が雄木、
     東側1本が雌木です。樹高はいずれも30m。目通り幹囲は西側からそれぞれ5.6m、5.3m、
     3.6m、根回りは西側の雄木が最も大きく8.2mを計ります。
      樹齢700年とも伝えられている行田市内有数の巨木群です。
     平成23年                            行田市教育委員会




左端



真ん中の銀杏は斜めに生えています




右側

洗心です

六地蔵様です

薬師堂です

説明版です
   埼玉県指定文化財  銅造伝薬師如来立像      平成17年3月22日指定
     像が安置されているこの薬師堂は、江戸時代にこの土地にあった花蔵院という真言宗寺院の
    境内にあって、その差配を受けていた堂であったといわれています(「新編武蔵風土記稿」)
    花蔵院は明治時代初期に廃寺となり、現在は薬師堂のみが残り、この像は両手先が失われてい
    ることから「手なし薬師」として地域の信仰を集めています。
     像の製作時期は鎌倉時代後期であり、この時期の金銅仏は全体的に小作りなものが多い中で
    94cmもの像高を持つ像は珍しいものといえます。また、薬師堂の近くには、この像とほぼ
    同じ時期にあたる「建治元年(1275)銘の板石塔婆(行田市指定文化財)があります。
     平成19年12月                    埼玉県教育委員会
                                 行田市教育委員会



大きな緑泥片岩の板石塔婆です

説明版です
   行田市指定文化財  板石塔婆        昭和34年3月19日指定
     この板石塔婆は、高さ3.51m、幅87cm、厚さ13,7cmの行田市内で最も大きな
    板石塔婆です。
     板石塔婆は、鎌倉時代以降盛んに造られた緑泥片岩等を使った石碑の一種で、一般的には死
    者の霊を供養するために造立されました。
     この板石塔婆は上部に伊字ノ三点、その下に阿弥陀一尊の種子(キリーク)を荘厳体で刻み
    中央の蓮台の上に「南無阿弥陀仏」の銘文、左右に長五輪塔、下部に建治元年(1275)乙
    亥九月の記年銘と銘文が刻まれています。
     銘文の一部がはく落、磨滅していますが、「新編武蔵風土記稿」によれば右側に「右志者奉
    為過住 主君幽儀滅罪生善」と記されていたようです。左側に「尽法界群類平等 利益野仍造
    立如件」、下部には「沙弥西念敬白」と記されており、沙弥西念が主君の滅罪と法界群類の平
    等利益を願い建立した板石塔婆であることがわかります。
     鎌倉時代の特徴をよく具えた六字名号(南無阿弥陀仏)板石塔婆の典型例といえます。
     平成二三年                       行田市教育委員会



埼玉県指定史跡 真名板高山古墳です

古墳入口に石塔が並びます

説明版です
   県指定史跡 真名板高山古墳     昭和四十九年三月八日指定
     この古墳は、東西に主軸をもつ前方後円墳で、旧忍川の沖積地に向かう微高地上に立地して
    いる。
     現在の墳丘の大きさは、全長91、5m、前方部の高さ7,3m、最大幅50m、後円部の
    高さ5,4m、直径40mである。
     墳丘の形状は、かつて大量の封土が除却されたために、大きく変形している。
     築造年代、埋葬施設、副葬品類については明らかではないが、周辺から採集された埴輪片等
    から、六世紀後半の築造と考えられている。
     武蔵最大の規模を誇る埼玉古墳群は南西約4kmにあるが、時期的に平行しており、その関
    連が注目される。
     平成二年三月                    埼玉県教育委員会
                               行田市教育委員会


ツツジの通路を登ります

頂上部を進みます

中央部は細くなっています

後円部でしょうか


左右の斜面の様子です

石碑が有ります


周りの田畑よりだいぶ高い所です、名前の由来でしょうか

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埼玉県羽生市、小松神社の大イチョウです!!

2015-11-15 04:35:48 | 巨樹・大木
小松神社は、羽生市の南西約3kmのところ

東武伊勢崎線はにゅう駅前から、県道60号線を南へ進みます

国道122号線の下岩瀬信号の先、県道から西に入った所に在ります

鳥居前に、駐車スペースが有ります

郷社小松神社です

小松神社鳥居です


手水舎です

拝殿です

覆い屋の中の本殿がのぞめます

境内社です

小松大明神です



社務所脇に大イチョウが有ります、御神木ですので注連縄が巻かれています




根元からひこばえがギッシリ詰まっています




東側から

大銀杏のサイズは、目通り幹回り6.1mの巨木です

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埼玉県加須市、大越徳性寺のイチョウです!!

2015-11-14 04:23:28 | 巨樹・大木
徳性寺は、加須市役所の北約4kmのところ

利根川右岸の堤防脇に在ります

県道46号線を北上して利根川土手の手前右側に在ります

山門脇に駐車場が有ります

山門前では、菊の展示がされています


山門入口の石碑です


山門前にも銀杏の大木があります

山門です

鐘楼です

加須市有形文化財 寺子屋絵馬の説明版です

本堂前です

心洗です

本堂です

鬼がいました

加須市指定有形文化財 紺地金泥妙法蓮華経巻の説明版です




本堂裏側に大イチョウが有ります




葉の黄葉が色付きはじめていました




北側から

気根もみえます




西側から

目通り幹回り5.3mの巨木です

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埼玉県加須市、龍蔵寺の大イチョウです!!

2015-11-13 16:04:38 | 巨樹・大木
龍蔵寺は、加須市役所の西約500mのところです

国道125号線の加須消防署と警察署の直ぐ東側です

山門前の広場が駐車スペースになっています

山門は仁王門です

阿形像です

吽形像です

山門を入ると右手に鐘楼が有ります

左手には、御朱印状の説明版です

薬師堂でしょうか

本堂です

説明版です
   加須市指定有形文化財   龍蔵寺本堂   昭和52年6月 指定
     龍蔵寺本堂は、天保六(1835)年の建築である。桁行七間、梁間六間、入母屋造瓦葺である。
    天保六年から九年間の歳月をかけて完成した。床面積は、三三〇平方メーターと加須市内における
    江戸時代の数少ない大規模な木造寺社建造物のひとつである。堂内内陣の天井には、見事な龍と天女
    の絵が描かれている。また、外陣には仏師高村光雲による天蓋が配されている。
     設計・検知器は、羽生市川俣の三村正利であり、三村家は羽生で代々宮大工を受け継いできた家で
    初代三村吉左衛門経治から数えて正利は七代目にあたる。文化元年(1804)年のうまれ、明治2
    5(1892)年の八八歳でなくなるまで数多くの寺社建築に携わった。
     主な建築物としては市内不動岡の総願寺不動堂(加須市指定文化財)、群馬県板倉町の雷電神社本
    社(群馬県指定文化財)がしられている。歴代名匠の家柄で当時北埼玉郡内の神社・仏閣を数多く建
    築した。
       平成二四年三月                      加須市教育委員会

凝っていますね

軒の様子です


本堂前右手に大イチョウが有ります

説明版です
   龍蔵寺の大いちょう       昭和五十一年五月   市指定文化財
     樹齢約六百二十年のいちょうの木は、樹周4・3m、樹高約五十mで、市内では他に見られない
    大木である。また、いちょうは昭和五十四年四月に「市の木」に指定されている。
     龍蔵寺縁起文によると「向、この地に百丈の大白龍が棲息し、人々を悩ましたという。開山教蔵
    上人が白龍得度の際、白龍の首をもたげし地に龍蔵寺を創立、尾の止まりし地に弁天を勧請し、龍
    頭・龍尾のありし箇所におのおのいちようを植えて形せり。」と記録されている。時に文和四年(
    1354年)三月のことである。
     おしいかな龍尾の有ったという諏訪神社境内のものは、落雷にあい枯れている。
     このいちょうは、春の新芽と秋の紅葉が特に美しい。
    昭和五十三年四月         加須市教育委員会
    (幹回りは、説明版の騎西の頃よりおよそ三〇年がたち、5mを越えて巨木の仲間入をしている)



南から



本堂側から

西側から

龍水井戸が有ります

龍水井戸の標柱です



松の木も立派なものです

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埼玉県久喜市、永福寺の大イチョウです!!

2015-11-12 07:44:09 | 巨樹・大木
永福寺は、久喜市市役所の南東約3kmのところ

東武伊勢崎線和戸駅の北東500mの所に在ります

県道372号線から北東に入って山門前に駐車スペースが有ります

西行法師見返りの松です

根元に石碑が有ります

説明版です
   町指定史跡 西行法師見返りの松碑
     西行法師は、文治二年(1186)69歳のとき、東北地方への旅の途中、ここ下高野のお堂
    (後の東大寺)に参拝したが、激しい雪の日の寒さと旅の疲れとで病に倒れ村人たちの親切な看
    護を受けた。
     そして、西行は、静養中に庭の末をとても愛し、病気が治ると村人たちにお礼を言ってこの松
    を振り返り、振り返り再び旅立った。
     その後、村人たちは、この松を「西行法師見返りの松」と呼んだとつたえられている。
     碑には、室町時代の十四世紀前半、足利尊氏の有力な武将えあった高師直の歌「道以そく遠近
    人毛駒と免て 三可邊梨松御見かへら佐らめや」と、碑を建てたと思われる人「信州高遠産 池
    田蓮庵一負 七十八歳」と「西行法師見返松」とが刻まれている。  杉戸町教育委員会


高野大せがき寺 永福寺の石碑が有ります

永福寺山門です

閻魔堂です、中には閻魔大王様と脱衣婆がいらっしゃいました

山門脇に説明版が有ります
   龍燈山永福寺     宗派 真言宗豊山派
              本尊 阿弥陀如来
     当山の縁起「龍燈山伝燈紀」によれば、往古は阿弥陀寺と称し、本尊は神亀三年(726)
    行基菩薩の作であると伝えられている。
     中興開山は、第四十九世覚宥で応永十五年(1408)に入寂した。第五十一世日尊が父の
    因幡前司藤原長福の罪業の消滅を願って施餓鬼をいとなみ龍燈山長福密寺と改めた。
     その後、五代将軍綱吉の頃、永福寺と改められた。
     毎年八月二十三日に行われる施餓鬼は、関東三大施餓鬼の一つといわれている。
     また、因幡池にどじょうを放って供養することから「どじょう施餓鬼」としても知られてい
    る。                          杉戸町教育委員会

町指定史跡大島有鱗・関口保宜・藤城吉衛門の墓の説明版です

洗心です

鐘楼です

本堂です


本堂の正面左手に有るのが、大イチョウです



幹回り5.2mの巨木ですが

二本の合体木の一本がすっかり枯れてしまっている様です

枯れてしまったのは銀杏ではないかも

本堂脇から


山門脇にも大きな銀杏です

墓地に行きましょう

関口保宜の墓

大島有鱗の墓

藤城吉衛門の墓、いずれも杉戸町指定文化財です

墓地の端にも大きな銀杏が有ります

では、次へ行きましょう


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埼玉県桶川市、加納医光寺の大銀杏です!!

2015-11-11 06:14:05 | 巨樹・大木
医光寺は、開通したばかりの圏央道の高架下にあります。

桶川市役所の北東約2km県道12号線が高架を潜る北側にあります

圏央道加納インターチェンジの所です

医光寺入口の道路脇に車を止めて見学しました


真言宗豊山派東林山醫光寺入口です

入口の中側左手に大イチョウが有ります

お地蔵様がいらっしゃいます、墓地は有りますが本堂は有りません





北側から、形のよいイチョウです



西側から

根元から少し上に洞穴が出来ています

傷の脇にはチチも見えます

天然記念物には指定されていませんが、目通り幹回り5.8mの巨木サイズです

一週間前の写真ですので、そろそろ黄葉が始まっているかもしれませんね

では、次へ行きましょう
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埼玉県秩父市、上影森諏訪神社の杉です!!

2015-11-10 06:03:31 | 巨樹・大木
諏訪神社は、秩父市役所の南西約3kmのところ

秩父鉄道かげもり駅の南西約500mのところです

国道140号線が荒川の常盤橋に向かって下る手前の左手に在ります

国道から影森駅前の国道と平行に走る狭い道路を進むと

諏訪神社入口です

鳥居前の道路に、車を止めさせて頂きました

赤い大鳥居です

大鳥居建立記念碑です
   椿の森に鎮座する諏訪神社参道に建つ両部大鳥居は明治時代の末下影森琴平神社に建立されたもの
  ですが、第二次世界大戦中当椿森諏訪神社に申し受け今日に至りました。
   しかしその後六十有余年の永き年月を経て損傷著しく心痛めた氏子総代が相談をし新しい鳥居を建
  立することになりました多くの地元崇敬者のご理解を得て浄財の寄進を頂き(有)コイケ技建の設計施
  工により厳しく美しく完成し面目を一新致しました。
   此れを機に氏子崇敬者またこの地がますます立ち栄えますように祈念すると共に寄進者のご芳名を
  刻み永く後世に伝えるものであります。
    平成十三年十月吉日          宮  司 大堅武一
                       氏子総代 浅見福治
                             他一同

手水舎です

拝殿です

本殿です、覆い屋が有りません

神楽殿でしょうか

説明版です
  秩父市指定有形民俗文化財
       諏訪神社附設舞台
      間口約11m、奥行約7m、木造舞台で、建造年代は江戸末期から明治初年のものと推定されます。
     かつて上影森村が戸数八十五戸であった時代に村の若者たちの手によって木材に伐採に始まり、運搬・
     建築と幾多の困難を克服して完成したと言われております。
      以来、諏訪神社の祭礼や農休みの年中行事として歌舞伎などが上演されて参りましたが、時代の変化
     とともに舞台を使用しての公演が困難になるととともに舞台も荒廃してまいりました。
      この舞台は秩父地方における農村歌舞伎舞台の典型的なものの一つで、その特色は二重・下座・せり
     上げ装置・まわり舞台等内部構造は古い形をとどめています。
      昭和五十三年氏子の皆さんの浄財により一部補強修理を完了し、その保存をはかることになりました
        指定 昭和五十四年四月六日                  秩父市教育委員会
                                       管理者 大堅武一

社殿の右手に大杉が有ります




境内の北東側の隅です、根元にも鳥居に祠・社務所の建物が有ります

説明版です
  秩父市指定天然記念物  
       上影森諏訪神社のスギ一本
          秩父市大字上影森二二五-一番地
          昭和四五年九月四日    指定
      このスギの木は、上影森諏訪神社の神木で樹齢六〇〇年から七〇〇年と推定され、地表より10m
     付近で八本の幹にわかれ特異な樹相を呈しています。
      幹の途中には楢の宿木があり、子育ての名木として珍重されています。スギの木の大木としては、
     市内最大です。
          樹高   40。0m
          目通り   5。6m
          枝張り  26。0m      平成五年三月   諏 訪 神 社
                                   秩父市教育委員会




注連縄を掛けられた、傷の少ない立派な杉です 

境内社が並びます

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埼玉県秩父市、今宮神社・駒つなぎのケヤキです!!

2015-11-09 06:33:47 | 巨樹・大木
今宮神社は、秩父市役所の西北西約500mのところ

秩父鉄道おはなばたけ駅から西へ、県道73号線から一段下がった所にあります

南側入り口前に駐車場が有ります


今宮神社南側入り口です

今宮神社略記です
 今宮神社(旧今宮坊・八大社・八大権現社)について
   御祭神・・・伊邪奈岐大神・伊邪奈美大神・宮中八上・須佐之男命・八大竜王神・天満天神
   御神徳・・・いのちのおおもと(宇宙の生命)を感得して身体にとどめておく力を授けてくださる。
         (縁むすび・がん封じ・ぼけ封じ・開運祈願)
      略記
   今宮神社は、その前身を長岳山正覚院金剛寺(1038)大宮山満光寺(984)といいました。この
  両寺創在以前からこの地に、伊邪奈岐大神・伊邪奈美大神は祀られていました。大宝年間(701~70
  4)には、役行者がこの地に、飛来して八大竜王を合祀し、八大社と呼ばれていました。毎年四月四日の
  秩父神社のお田植祭は、今宮神社の水幣(みずぬさ=龍神池の水)を以つて行われ、秋の収穫の喜びが、
  十二月三日の秩父夜祭りを盛りあげるといわれています。
   奈良時代には宮中八神(大宮売神・高産日神・神産日神・生産日神・足産日神・事代主神・玉積産日神
  御食津神)が祀られ、降って大日如来が習合され、八大権現社を観音堂(十一面・後に聖観音)を創建・
  相前後して満光寺弁天堂が創られました。天文四年(1535)には当地に疫病が流行したため、京都今
  宮神社より須佐之男命(健康神・樹木神)を勧進して今宮神社を創建しました。
   永禄十二年(1569)には一山を総称して聖護院直末「長岳山今宮坊」と称し諸国先達二十九寺の一
  として又本山派年行亊職として栄えました。
   降って天正十九年(1591)には徳川幕府より御朱印地10石、余地七石を賜り、組下四十九寺を結
  集して秩父霊地の発展に努め、元禄十四年(1701)長生院神門寺(現十八番札所)と共にまっさきに
  「江戸開帳」を行って、江戸~秩父間の交通路を拡き、秩父三十四札所の紹介と発展に貢献ししたと伝え
  られています。
   明治維新時には、神仏分離令により、今宮坊は今宮神社と今宮観音堂(現二十四番)に分けられ、更に
  昭和二十七年には児童館建設のため、旧社殿は黒谷の聖神社に寄進され、境内地も境内建物も縮小のやむ
  なきに至りました。しかし御祭神をはじめ、御神体、御朱印、社宝、古地図、古文書、歴代の別当、宮司
  の墓所、それに由緒とその精神は当神社に継承されて今日に至っています。
   御真意と時代の要請に則り、昭和二十年代より凡そ五十年間、神域を児童公園として解放、秩父市と協
  力して地域住民の心身の健康を祈って、福祉事業に専念いたしました。
   ここに遊び育った、こつての子どもたちも心身健やかに聖人して郷土社会の立派な担い手となりました。
   ここに御真意の大成成就を御神前に報告し、神域を未来の姿に残したく、長い由緒を踏まえ、新らたな
  決意を以て当神社の参みをはじめました。
     平成五年四月     今宮神社宮司(今宮坊二十世)塩谷太刀雄 敬白



龍上観音です

橋を渡ると

左手に駒つなぎのケヤキが有ります



東から、小さな鳥居があります



北西から

説明版が有ります
  埼玉県指定天然記念物  駒つなぎのケヤキ
                   秩父市中町十六番十号(今宮神社境内)
                   昭和十九年三月三十一日 指定
    ケヤキは山野に多く見られるニレ科の落葉高木で、庭木や並木・防風林として植栽されることが多く、
   「埼玉県の木」にも指定されています。
    葉は、長さ3~7cmの長卵形で先がとがり、縁が鋸歯状になっています。また、四月~五月頃ぬは
   新葉とともに淡黄緑色の小花を開きます。
    今宮神社(当時今宮坊)は、江戸幕府の崇敬が厚く御朱印地十石に寄進を受けていたことから、江戸
   幕府の要職にあった武士が今宮神社を参詣し、このケヤキに馬をつないだという由来から「駒つなぎの
   ケヤキ」と呼ばれ現在に至っています。
    このケヤキは、推定樹齢1000年で埼玉県下でも最大級の大樹です。
       幹廻り  7.9m      (今では更に大きくなって8。56m以上だとか)
       樹 高 27.9m
       枝張り 34.3m
         平成二年三月                 埼玉県教育委員会
                                秩父市教育委員会


龍神木の由来です
  当社縁起によれば、この社には奈良時代より八大龍王神と宮中八神(大宮売神・高御産霊神・神産霊神・
 生産霊神・足産霊神・玉積産霊神・御食津神・事代主命・大日如来が習合)が祀られていました。この大け
 やきには空洞があり、昔から「洞木」・どうぎと呼んで、龍神の棲家(すみか)であると云われてきました。
  平成三年十二月三十日、元旦祭の準備のため当所茂木武以下数名の氏子たちが社殿の清掃していたとき、奉
 安してあった御神体(龍の彫り物)がにわかに動き出し、周囲に突風が舞い起りました。そこに居合わせた宮
 司も氏子も一斉におどろきの声をあげました。風は竜巻きとなって大空を駆けのぼり、やがて大けやきの空洞
 のあたりに消へていきました。一時三十分のことと社誌には記されています。
  万物の生命を授けてくださる龍神をもつと大切にしたい、という時代の要請に応へて、永い眠りから醒めら    
 れた八大龍王神がこの社に奉仕する人々に対して「歓喜=よろこび」を顕してくださったのにちがいない、と
 人々は思いました。
  この不思議な出来事をまのあたりにした宮司と氏子たちは、このことを記録にのこしました。
  それからこの大けやきを「靇神木」と呼んでいます。                                             平成五年九月吉日建之
      幹回り(眼どおり)8.56m   県下     平成三年十二月測定  


南西側です




南側です

細石です


清流の滝です

役行者のお堂です


社殿前の鳥居です、社殿は小さく可愛いものです

社殿前からの駒つなぎのけやきです

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埼玉県小鹿野町、一本杉峠の杉です!!

2015-11-08 06:25:45 | 巨樹・大木
一本杉峠は、小鹿野町役場の北約1キロのところ

国道299号線から北側へ、小鹿神社からはいります

小鹿神社から東へ進むと

四季の道小鹿野の案内板が有ります、ここを北側へ入ります

両側に椿の植えられた道を登ると、桜の木の並木を抜け

防火用のドラム缶の置かれた、駐車スペースが有ります


秋葉神社鳥居前を峠に登ります

正面に大きな杉の木が見えて来ました


大杉です、幹回りは5.8mだそうです

小鹿野町指定天然記念物 一本杉峠の杉の標柱です

道路には、大杉の隣の木が枯れて、崩れ落ちていますので注意してください

道路脇にまで根が出ています



東側から

太い根は、尾根上の方にも伸びています



尾根側から

杉の根元と

東側に馬頭観音が有ります

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埼玉県小鹿野町、古鷹神社の杉 三本です!!

2015-11-07 20:35:21 | 巨樹・大木
古鷹神社は、小鹿野町役場の西約7kmのところ

国道299号線を西へ、赤平川の左岸を進みます

三山地区の端に在りました


村社 古鷹神社です

鳥居です


鳥居と社殿の間に二本の杉の大木が有ります


社殿側から




手前が目通り幹回り5.2m。隣が4.6mです

手水舎です

古鷹神社社殿です



社殿の西側にもう一本の大木が有ります,目通りちょうど5mです

脇に、小鹿野町指定天然記念物 古鷹神社の杉  三本の票柱です

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埼玉県秩父市、寺尾のケヤキです!!

2015-11-06 04:11:25 | 巨樹・大木
寺尾のケヤキは、秩父市役所の北約4kmのところ

荒川左岸の県道44号線沿いにあります

下寺尾地区の真ん中、コンビニの直ぐ北側


けや木イチゴ園の入口に在ります

県道北東側から



イチゴ園入口、東側から



南西側から、根元には祠や石塔・お地蔵様がいらっしゃいます

根元の疫神社の祠です



南側から、目通り幹回りは6.3mもあるのに、文化財にはなっていません

南側畑の中に大きな倒木の幹が有りました

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埼玉県秩父市、熊野神社のケヤキです!!

2015-11-05 20:57:04 | 巨樹・大木
熊野神社は、秩父市役所の北北西約 6kmのところ

荒川の支流、赤平川の右岸段丘上にあります

国道299号線から県道270号線で北へ進みます

大田中学校・小学校側に進みます

大田郵便局から西へ、200m程を北へ進みます

村社熊野神社です

参道の先に鳥居・その先に社殿と大ケヤキが見えて来ます

社殿の右手に大ケヤキです

手水舎です

神楽殿です

熊野神社社殿です


南南西側からの大ケヤキです




大ケヤキです

説明版です
    市指定無形文化財 大田熊野神社の神楽
      この神楽は明治十年二月秩父神社社家権代講義丹後守が、土地の風間巳之吉、富田玄内、
     富田馬次郎、武島喜内、富田金三郎、富田和十郎、富田倉次郎、青山巳弥吉、斉藤清五郎、
     鈴木健次郎の他各氏に教授したものといわれます。
      舞の形式は、里神楽岩戸神楽の系譜をひく秩父神社の神楽とほぼ同形で舞の形式、所作
     をみても丹後守の直伝であることが立証されます。
      奏楽は総じて、秩父神社のものより大まかなところもありますが、伝承時の旧形態を忠
     実にとどめています。
      丹後守の教傳書による座は二十九座ありますが、野見宿弥の座、高千穂峰の座、オノコ
     ロ島の座、三韓征伐の座などがあることは、秩父神社の神楽と異なっています。これは荒
     川村白久系統や他の流派の曲目が村と村との相互関係で混入したものと思われます。

    市指定天然記念物 熊野神社のけやき       昭和四十七年四月六日指定
      熊野神社は、文化七年十一月紀伊国熊野権現より分身祭祀したといわれ、このときすでに
     このけやきは、神域の象徴であったといわれます。
      四方に伸びる枝張りの構成もみごとで、目どおり6m40cm、樹高35m、枝張り25
     mもあり、地表十m付近より六本の枝に分かれています。
      枝そのものも樹幹の相をみせて、樹勢、樹肌もよく、旺盛な感じをもつけやきで、樹令約
     600年を推定することができます。
      古くから。干魁の際は氏子総出で、「ぼんぜん」と称する幣を、樹上にゆわえ雨乞いした
     ので、土地の人々は、雨乞いのけやきとも呼んでおります。
                                 秩父市教育委員会
                                 熊 野  神 社
      






東側から

境内社です


北側から

目通り幹回りは6.4mの巨木です

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おまけです

高札場です

説明版が有ります

秩父地域には、あちこちに高札場が残っています

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埼玉県皆野町、知知父姫のイチョウです!!

2015-11-04 03:30:42 | 巨樹・大木
国神の大イチョウの南東150m程の所にあるのが

知知父姫のイチョウです

畑の中の道を南から回って行きます




イチョウが見えて来ます



根元から幾つもの幹が広がっています





南側根元には祠が有ります




南東側から、多くの幹の真ん中に主幹があったのでしょうか

知知父姫のイチョウの幹回りは5.5mとのことですが、いくつもの幹の外回りの様です

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