雀神社は、JR宇都宮線こが駅の北西約一キロのところ
渡良瀬遊水地の土手が直ぐ西側にある古河市の西の端です
神社南側には古河ゴルフリンクスのクラブハウスが有ります
クラブハウス側から、雀神社参道の間に駐車スペースが有ります
西葛飾郡と猿嶋郡の郷社です
東側参道から望む神社入口の両脇に大きなケヤキの木が見えます
南側のケヤキが雀神社の大欅ですが・・・
北側も十分の巨木です
説明版です
古河市指定天然記念物 雀神社の大欅
昭和四十九年五月二十三日指定
古河市宮前町四番
ニレ科落葉高木で、雀神社の御神木になっている。市内最高の欅で、平坦地にある巨木として注目
に値する。この欅は元来二本あった木が合体したもので「夫婦欅」とも呼ばれている。
目通り周囲8.8m。根元周囲18m、樹高25m程である。
昭和五十一年二月 古河市教育委員会
境内が輪からの大欅です、半分以上が傷んでしまって、モルタルで形作られているようです
北側の欅は元気です
参道は鳥居をくぐり九十度に曲がって南から北へ進んでいます
狛犬です
手水舎です
社殿前の鳥居です
拝殿です
本殿です
神楽殿でしょうか
説明版です
(武家時代文化ライン) 雀神社
雀神社の祭神は、大己貴命、少彦名命、事代主命の三神であるが、その創立は明らかでない。
伝承によれば、貞観年間(859~876)に出雲大社から勧進したものだという。鎮宮が転
化して雀宮となったというその後、康正元年(1455)足利成氏が古河公方となってから、初
代成氏はもとより代々の公方の崇敬が高く、また、徳川将軍家、並びに累代古河藩主の崇敬もあ
つく、御朱印地十五石を賜った。したがって、社殿の造営修理なども累代の藩主が行ない、現在
の社殿は、慶長十年(1605)松平丹波守康永の造営したものである。
社殿裏側の森にも大きな木々が並びます
では、次へ行きましょう
渡良瀬遊水地の土手が直ぐ西側にある古河市の西の端です
神社南側には古河ゴルフリンクスのクラブハウスが有ります
クラブハウス側から、雀神社参道の間に駐車スペースが有ります
西葛飾郡と猿嶋郡の郷社です
東側参道から望む神社入口の両脇に大きなケヤキの木が見えます
南側のケヤキが雀神社の大欅ですが・・・
北側も十分の巨木です
説明版です
古河市指定天然記念物 雀神社の大欅
昭和四十九年五月二十三日指定
古河市宮前町四番
ニレ科落葉高木で、雀神社の御神木になっている。市内最高の欅で、平坦地にある巨木として注目
に値する。この欅は元来二本あった木が合体したもので「夫婦欅」とも呼ばれている。
目通り周囲8.8m。根元周囲18m、樹高25m程である。
昭和五十一年二月 古河市教育委員会
境内が輪からの大欅です、半分以上が傷んでしまって、モルタルで形作られているようです
北側の欅は元気です
参道は鳥居をくぐり九十度に曲がって南から北へ進んでいます
狛犬です
手水舎です
社殿前の鳥居です
拝殿です
本殿です
神楽殿でしょうか
説明版です
(武家時代文化ライン) 雀神社
雀神社の祭神は、大己貴命、少彦名命、事代主命の三神であるが、その創立は明らかでない。
伝承によれば、貞観年間(859~876)に出雲大社から勧進したものだという。鎮宮が転
化して雀宮となったというその後、康正元年(1455)足利成氏が古河公方となってから、初
代成氏はもとより代々の公方の崇敬が高く、また、徳川将軍家、並びに累代古河藩主の崇敬もあ
つく、御朱印地十五石を賜った。したがって、社殿の造営修理なども累代の藩主が行ない、現在
の社殿は、慶長十年(1605)松平丹波守康永の造営したものである。
社殿裏側の森にも大きな木々が並びます
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