胸形神社は、小山市役所の南西約6kmのところ
寒川小学校の南約1kmの巴波川の左岸堤防沿いにあります
県道174号線南小林松原線から西に入ります
東向き社殿の入口に駐車場が有ります
胸形神社入り口です
延喜式内社胸形神社です
鳥居の南側に大エノキです
とちぎ名木百選 胸形神社のえのき
説明版です
胸形神社のエノキ(天然記念物)
エノキはニレ科の落葉高木で温帯・亜寒帯に広く分布する。日本では本州・四国・九州の平地・丘陵地に普通に生える。
古来、エノキには神霊が宿ると考えられ多くの伝説を生んできた。
胸形神社のエノキは御神木として代々保護の手が加えられ、美しい枝張り・樹形を保つ。
「栃木の名木百選」の一つにも選ばれている。地際は、巴波川の氾濫によって土砂が流失してか、見事な根張りをみせている。樹齢三百年以上と推定され、独特の風格を備えている。
平成六年(1994)、栃木県と小山氏の補助を受け樹勢回復作業を行った。
樹 高 ― 約23m
目通り ― 約 6m
枝張り ― 東西約25m 南北約27m
指定年月日 昭和五十一年八月一日
所 在 地 小山氏大字寒川1730番地
所有者(管理者) 胸形神社
小山市教育委員会
殆んど枯れてしまっている様で残念です
鳥居から社殿の間にも大木がありますが、まだまだ若木です
手水舎です
万葉集の歌碑が有ります、防人の歌です
拝殿です
本殿は覆い屋の中です
説明版です
胸形神社 小山市寒川1370番地
当社は創建古く、九州の宗像大社より当地に勧請されたものといわれ、延喜式(927年制定)内の一社で格式の高い神社といわれています。祭神は田心姫命・市着杵島姫命・多岐津姫命の三女神です。
当社は古くから寒川郡の総社として住民の尊崇あつく、かつては神田も多く、社殿も宏荘でしたが、中世以降は衰微しました。
風水害の被害も多く、その後再建され、弘化元年・明治十四年・大正十三年・昭和十六年と改築修復を重ね現在に至っています。
合社とされている天満宮の年初の縁日は「初天神」と称し、毎年一月の第四土曜に華やかな祭りの行事があります。「花桶かつぎ」と称し、御輿の先導者として着飾った七才の稚児が造花で飾った花桶をかつぎ奉仕するもので、多数の見物人に囲まれて村内を練り歩きます。
(昭和四八年小山市指定民俗文化財)
間々田商工会
小山歴史研究会
では、次へ行きましょう
*2022年8月21日神社名間違い他変更しました
寒川小学校の南約1kmの巴波川の左岸堤防沿いにあります
県道174号線南小林松原線から西に入ります
東向き社殿の入口に駐車場が有ります
胸形神社入り口です
延喜式内社胸形神社です
鳥居の南側に大エノキです
とちぎ名木百選 胸形神社のえのき
説明版です
胸形神社のエノキ(天然記念物)
エノキはニレ科の落葉高木で温帯・亜寒帯に広く分布する。日本では本州・四国・九州の平地・丘陵地に普通に生える。
古来、エノキには神霊が宿ると考えられ多くの伝説を生んできた。
胸形神社のエノキは御神木として代々保護の手が加えられ、美しい枝張り・樹形を保つ。
「栃木の名木百選」の一つにも選ばれている。地際は、巴波川の氾濫によって土砂が流失してか、見事な根張りをみせている。樹齢三百年以上と推定され、独特の風格を備えている。
平成六年(1994)、栃木県と小山氏の補助を受け樹勢回復作業を行った。
樹 高 ― 約23m
目通り ― 約 6m
枝張り ― 東西約25m 南北約27m
指定年月日 昭和五十一年八月一日
所 在 地 小山氏大字寒川1730番地
所有者(管理者) 胸形神社
小山市教育委員会
殆んど枯れてしまっている様で残念です
鳥居から社殿の間にも大木がありますが、まだまだ若木です
手水舎です
万葉集の歌碑が有ります、防人の歌です
拝殿です
本殿は覆い屋の中です
説明版です
胸形神社 小山市寒川1370番地
当社は創建古く、九州の宗像大社より当地に勧請されたものといわれ、延喜式(927年制定)内の一社で格式の高い神社といわれています。祭神は田心姫命・市着杵島姫命・多岐津姫命の三女神です。
当社は古くから寒川郡の総社として住民の尊崇あつく、かつては神田も多く、社殿も宏荘でしたが、中世以降は衰微しました。
風水害の被害も多く、その後再建され、弘化元年・明治十四年・大正十三年・昭和十六年と改築修復を重ね現在に至っています。
合社とされている天満宮の年初の縁日は「初天神」と称し、毎年一月の第四土曜に華やかな祭りの行事があります。「花桶かつぎ」と称し、御輿の先導者として着飾った七才の稚児が造花で飾った花桶をかつぎ奉仕するもので、多数の見物人に囲まれて村内を練り歩きます。
(昭和四八年小山市指定民俗文化財)
間々田商工会
小山歴史研究会
では、次へ行きましょう
*2022年8月21日神社名間違い他変更しました