岩殿観音は、東松山市役所の南西約5kmのところ、と言うよりも
大東文化大学の直ぐ西側に在ります
県道212号線を、東武東上線たかさか駅前から西へ進みます
こども動物自然園入口を右斜めの道路へ進みます
岩殿観音の参道を登り切ると駐車場です
参道の突き当り階段の上に山門です
岩殿山の懸額です
左右に仁王像です
更に石段を上がります
坂東十番札所 岩殿山正法寺です
鐘楼です
銅鐘です
正法寺の銅鐘
昭和五十二年三月二十九日 県指定有形文化財
この銅鐘は、元亨二年(1322年)に鋳造されたもので、竜頭の高さ32cm、鐘身
113cm、口径78cmです。
銘文によって、岩殿寺(正法寺)の貫主覚阿の代に、沙弥道阿藤原氏女が願主となり、
沙阿□阿布敷氏女外二名の檀那と沙阿□阿藤原氏女外六名の助成によって奉納されたもの
です。
正法寺の鐘樓
昭和四十六年六月四日市指定有形文化財
この鐘楼は、元禄十五年(1702年)山田茂兵衛の寄進によって再建されたものです。
屋根は、箱棟の草葺、大棟に鳥ぶすまをのせ、置千木を三ヶ所に置いてあります。斗拱
(組物)、中備、天井などの装飾は少なめで、簡素な中に雄健な吹放ちの鐘楼です。
昭和五十三年三月 東松山市教育委員会
説明版です、鐘楼は松山市の指定有形文化財です
本堂の観音堂前です
水子地蔵と弘法大師像です
心洗です
説明版です
埼玉県指定名勝 岩殿観音の勝
東松山市岩殿1221ほか
大正十一年三月二十九日指定
物見山(標高135m)は、比企丘陵の最高峰であり、伝説によれば坂上田村麿は東征のとき
この山に登り、四囲をながめたことに由来する山名といい、田村麿はこのとき北方の雪解沢に悪
龍を退治したという。
この山は、俗に九十九峯四十八谷と称し、丘陵は波濤のように起伏している。山腹には正法寺
があり、岩殿観音をまつり、境内には、スギ、ヒノキが高くそびえている。
春になると、ツツジ・ワラビが人を招き、秋には紅葉、青松の間にハツタケが生え、観月、秋
草、虫声等の楽があり、また冬は雪曙の観光と四季を通じて景観の地である。
山頂に立てば、遠く箱根・足柄・大山・富士山・秩父・信越・上野・下野・常陸の諸山から東
京湾まで望むことが出来る。
正法寺は、坂東札所三十三か所の第十番で、養老二年(718)に開山きされたという。鎌倉
時代には、頼朝、比企禅尼の信仰も厚く、廃寺を再建されたという。戦国時代には数回の兵火で
焼け、現在の建物は天明六年(1786)の造営と伝えられる。手前の宿場が栄え、修験道の信
徒等が数多く集まったといわれる。
付近にはつぎのような文化財がある。
一、正法寺仁王門、薬師堂、鐘楼、白体地蔵尊、六面幢
一、判官塚
一、足利基氏塁址
一、旗塚、談合塚
昭和四十九年十月 埼玉県教育委員会
東松山市教育委員会
観音堂の左手に大イチョウが有ります
市指定 正法寺の大銀杏の標柱です
大銀杏は大岩の上に生えて岩を根が覆っています
南側から、大岩が良く見えます
目通り幹回り13,5mは、埼玉県巨木順位第二位(一位は生越町上谷の大クス)です
では、次へ行きましょう
大東文化大学の直ぐ西側に在ります
県道212号線を、東武東上線たかさか駅前から西へ進みます
こども動物自然園入口を右斜めの道路へ進みます
岩殿観音の参道を登り切ると駐車場です
参道の突き当り階段の上に山門です
岩殿山の懸額です
左右に仁王像です
更に石段を上がります
坂東十番札所 岩殿山正法寺です
鐘楼です
銅鐘です
正法寺の銅鐘
昭和五十二年三月二十九日 県指定有形文化財
この銅鐘は、元亨二年(1322年)に鋳造されたもので、竜頭の高さ32cm、鐘身
113cm、口径78cmです。
銘文によって、岩殿寺(正法寺)の貫主覚阿の代に、沙弥道阿藤原氏女が願主となり、
沙阿□阿布敷氏女外二名の檀那と沙阿□阿藤原氏女外六名の助成によって奉納されたもの
です。
正法寺の鐘樓
昭和四十六年六月四日市指定有形文化財
この鐘楼は、元禄十五年(1702年)山田茂兵衛の寄進によって再建されたものです。
屋根は、箱棟の草葺、大棟に鳥ぶすまをのせ、置千木を三ヶ所に置いてあります。斗拱
(組物)、中備、天井などの装飾は少なめで、簡素な中に雄健な吹放ちの鐘楼です。
昭和五十三年三月 東松山市教育委員会
説明版です、鐘楼は松山市の指定有形文化財です
本堂の観音堂前です
水子地蔵と弘法大師像です
心洗です
説明版です
埼玉県指定名勝 岩殿観音の勝
東松山市岩殿1221ほか
大正十一年三月二十九日指定
物見山(標高135m)は、比企丘陵の最高峰であり、伝説によれば坂上田村麿は東征のとき
この山に登り、四囲をながめたことに由来する山名といい、田村麿はこのとき北方の雪解沢に悪
龍を退治したという。
この山は、俗に九十九峯四十八谷と称し、丘陵は波濤のように起伏している。山腹には正法寺
があり、岩殿観音をまつり、境内には、スギ、ヒノキが高くそびえている。
春になると、ツツジ・ワラビが人を招き、秋には紅葉、青松の間にハツタケが生え、観月、秋
草、虫声等の楽があり、また冬は雪曙の観光と四季を通じて景観の地である。
山頂に立てば、遠く箱根・足柄・大山・富士山・秩父・信越・上野・下野・常陸の諸山から東
京湾まで望むことが出来る。
正法寺は、坂東札所三十三か所の第十番で、養老二年(718)に開山きされたという。鎌倉
時代には、頼朝、比企禅尼の信仰も厚く、廃寺を再建されたという。戦国時代には数回の兵火で
焼け、現在の建物は天明六年(1786)の造営と伝えられる。手前の宿場が栄え、修験道の信
徒等が数多く集まったといわれる。
付近にはつぎのような文化財がある。
一、正法寺仁王門、薬師堂、鐘楼、白体地蔵尊、六面幢
一、判官塚
一、足利基氏塁址
一、旗塚、談合塚
昭和四十九年十月 埼玉県教育委員会
東松山市教育委員会
観音堂の左手に大イチョウが有ります
市指定 正法寺の大銀杏の標柱です
大銀杏は大岩の上に生えて岩を根が覆っています
南側から、大岩が良く見えます
目通り幹回り13,5mは、埼玉県巨木順位第二位(一位は生越町上谷の大クス)です
では、次へ行きましょう