今宮神社は、秩父市役所の西北西約500mのところ
秩父鉄道おはなばたけ駅から西へ、県道73号線から一段下がった所にあります
南側入り口前に駐車場が有ります
今宮神社南側入り口です
今宮神社略記です
今宮神社(旧今宮坊・八大社・八大権現社)について
御祭神・・・伊邪奈岐大神・伊邪奈美大神・宮中八上・須佐之男命・八大竜王神・天満天神
御神徳・・・いのちのおおもと(宇宙の生命)を感得して身体にとどめておく力を授けてくださる。
(縁むすび・がん封じ・ぼけ封じ・開運祈願)
略記
今宮神社は、その前身を長岳山正覚院金剛寺(1038)大宮山満光寺(984)といいました。この
両寺創在以前からこの地に、伊邪奈岐大神・伊邪奈美大神は祀られていました。大宝年間(701~70
4)には、役行者がこの地に、飛来して八大竜王を合祀し、八大社と呼ばれていました。毎年四月四日の
秩父神社のお田植祭は、今宮神社の水幣(みずぬさ=龍神池の水)を以つて行われ、秋の収穫の喜びが、
十二月三日の秩父夜祭りを盛りあげるといわれています。
奈良時代には宮中八神(大宮売神・高産日神・神産日神・生産日神・足産日神・事代主神・玉積産日神
御食津神)が祀られ、降って大日如来が習合され、八大権現社を観音堂(十一面・後に聖観音)を創建・
相前後して満光寺弁天堂が創られました。天文四年(1535)には当地に疫病が流行したため、京都今
宮神社より須佐之男命(健康神・樹木神)を勧進して今宮神社を創建しました。
永禄十二年(1569)には一山を総称して聖護院直末「長岳山今宮坊」と称し諸国先達二十九寺の一
として又本山派年行亊職として栄えました。
降って天正十九年(1591)には徳川幕府より御朱印地10石、余地七石を賜り、組下四十九寺を結
集して秩父霊地の発展に努め、元禄十四年(1701)長生院神門寺(現十八番札所)と共にまっさきに
「江戸開帳」を行って、江戸~秩父間の交通路を拡き、秩父三十四札所の紹介と発展に貢献ししたと伝え
られています。
明治維新時には、神仏分離令により、今宮坊は今宮神社と今宮観音堂(現二十四番)に分けられ、更に
昭和二十七年には児童館建設のため、旧社殿は黒谷の聖神社に寄進され、境内地も境内建物も縮小のやむ
なきに至りました。しかし御祭神をはじめ、御神体、御朱印、社宝、古地図、古文書、歴代の別当、宮司
の墓所、それに由緒とその精神は当神社に継承されて今日に至っています。
御真意と時代の要請に則り、昭和二十年代より凡そ五十年間、神域を児童公園として解放、秩父市と協
力して地域住民の心身の健康を祈って、福祉事業に専念いたしました。
ここに遊び育った、こつての子どもたちも心身健やかに聖人して郷土社会の立派な担い手となりました。
ここに御真意の大成成就を御神前に報告し、神域を未来の姿に残したく、長い由緒を踏まえ、新らたな
決意を以て当神社の参みをはじめました。
平成五年四月 今宮神社宮司(今宮坊二十世)塩谷太刀雄 敬白
龍上観音です
橋を渡ると
左手に駒つなぎのケヤキが有ります
東から、小さな鳥居があります
北西から
説明版が有ります
埼玉県指定天然記念物 駒つなぎのケヤキ
秩父市中町十六番十号(今宮神社境内)
昭和十九年三月三十一日 指定
ケヤキは山野に多く見られるニレ科の落葉高木で、庭木や並木・防風林として植栽されることが多く、
「埼玉県の木」にも指定されています。
葉は、長さ3~7cmの長卵形で先がとがり、縁が鋸歯状になっています。また、四月~五月頃ぬは
新葉とともに淡黄緑色の小花を開きます。
今宮神社(当時今宮坊)は、江戸幕府の崇敬が厚く御朱印地十石に寄進を受けていたことから、江戸
幕府の要職にあった武士が今宮神社を参詣し、このケヤキに馬をつないだという由来から「駒つなぎの
ケヤキ」と呼ばれ現在に至っています。
このケヤキは、推定樹齢1000年で埼玉県下でも最大級の大樹です。
幹廻り 7.9m (今では更に大きくなって8。56m以上だとか)
樹 高 27.9m
枝張り 34.3m
平成二年三月 埼玉県教育委員会
秩父市教育委員会
龍神木の由来です
当社縁起によれば、この社には奈良時代より八大龍王神と宮中八神(大宮売神・高御産霊神・神産霊神・
生産霊神・足産霊神・玉積産霊神・御食津神・事代主命・大日如来が習合)が祀られていました。この大け
やきには空洞があり、昔から「洞木」・どうぎと呼んで、龍神の棲家(すみか)であると云われてきました。
平成三年十二月三十日、元旦祭の準備のため当所茂木武以下数名の氏子たちが社殿の清掃していたとき、奉
安してあった御神体(龍の彫り物)がにわかに動き出し、周囲に突風が舞い起りました。そこに居合わせた宮
司も氏子も一斉におどろきの声をあげました。風は竜巻きとなって大空を駆けのぼり、やがて大けやきの空洞
のあたりに消へていきました。一時三十分のことと社誌には記されています。
万物の生命を授けてくださる龍神をもつと大切にしたい、という時代の要請に応へて、永い眠りから醒めら
れた八大龍王神がこの社に奉仕する人々に対して「歓喜=よろこび」を顕してくださったのにちがいない、と
人々は思いました。
この不思議な出来事をまのあたりにした宮司と氏子たちは、このことを記録にのこしました。
それからこの大けやきを「靇神木」と呼んでいます。 平成五年九月吉日建之
幹回り(眼どおり)8.56m 県下 平成三年十二月測定
南西側です
南側です
細石です
清流の滝です
役行者のお堂です
社殿前の鳥居です、社殿は小さく可愛いものです
社殿前からの駒つなぎのけやきです
では、次へ行きましょう
秩父鉄道おはなばたけ駅から西へ、県道73号線から一段下がった所にあります
南側入り口前に駐車場が有ります
今宮神社南側入り口です
今宮神社略記です
今宮神社(旧今宮坊・八大社・八大権現社)について
御祭神・・・伊邪奈岐大神・伊邪奈美大神・宮中八上・須佐之男命・八大竜王神・天満天神
御神徳・・・いのちのおおもと(宇宙の生命)を感得して身体にとどめておく力を授けてくださる。
(縁むすび・がん封じ・ぼけ封じ・開運祈願)
略記
今宮神社は、その前身を長岳山正覚院金剛寺(1038)大宮山満光寺(984)といいました。この
両寺創在以前からこの地に、伊邪奈岐大神・伊邪奈美大神は祀られていました。大宝年間(701~70
4)には、役行者がこの地に、飛来して八大竜王を合祀し、八大社と呼ばれていました。毎年四月四日の
秩父神社のお田植祭は、今宮神社の水幣(みずぬさ=龍神池の水)を以つて行われ、秋の収穫の喜びが、
十二月三日の秩父夜祭りを盛りあげるといわれています。
奈良時代には宮中八神(大宮売神・高産日神・神産日神・生産日神・足産日神・事代主神・玉積産日神
御食津神)が祀られ、降って大日如来が習合され、八大権現社を観音堂(十一面・後に聖観音)を創建・
相前後して満光寺弁天堂が創られました。天文四年(1535)には当地に疫病が流行したため、京都今
宮神社より須佐之男命(健康神・樹木神)を勧進して今宮神社を創建しました。
永禄十二年(1569)には一山を総称して聖護院直末「長岳山今宮坊」と称し諸国先達二十九寺の一
として又本山派年行亊職として栄えました。
降って天正十九年(1591)には徳川幕府より御朱印地10石、余地七石を賜り、組下四十九寺を結
集して秩父霊地の発展に努め、元禄十四年(1701)長生院神門寺(現十八番札所)と共にまっさきに
「江戸開帳」を行って、江戸~秩父間の交通路を拡き、秩父三十四札所の紹介と発展に貢献ししたと伝え
られています。
明治維新時には、神仏分離令により、今宮坊は今宮神社と今宮観音堂(現二十四番)に分けられ、更に
昭和二十七年には児童館建設のため、旧社殿は黒谷の聖神社に寄進され、境内地も境内建物も縮小のやむ
なきに至りました。しかし御祭神をはじめ、御神体、御朱印、社宝、古地図、古文書、歴代の別当、宮司
の墓所、それに由緒とその精神は当神社に継承されて今日に至っています。
御真意と時代の要請に則り、昭和二十年代より凡そ五十年間、神域を児童公園として解放、秩父市と協
力して地域住民の心身の健康を祈って、福祉事業に専念いたしました。
ここに遊び育った、こつての子どもたちも心身健やかに聖人して郷土社会の立派な担い手となりました。
ここに御真意の大成成就を御神前に報告し、神域を未来の姿に残したく、長い由緒を踏まえ、新らたな
決意を以て当神社の参みをはじめました。
平成五年四月 今宮神社宮司(今宮坊二十世)塩谷太刀雄 敬白
龍上観音です
橋を渡ると
左手に駒つなぎのケヤキが有ります
東から、小さな鳥居があります
北西から
説明版が有ります
埼玉県指定天然記念物 駒つなぎのケヤキ
秩父市中町十六番十号(今宮神社境内)
昭和十九年三月三十一日 指定
ケヤキは山野に多く見られるニレ科の落葉高木で、庭木や並木・防風林として植栽されることが多く、
「埼玉県の木」にも指定されています。
葉は、長さ3~7cmの長卵形で先がとがり、縁が鋸歯状になっています。また、四月~五月頃ぬは
新葉とともに淡黄緑色の小花を開きます。
今宮神社(当時今宮坊)は、江戸幕府の崇敬が厚く御朱印地十石に寄進を受けていたことから、江戸
幕府の要職にあった武士が今宮神社を参詣し、このケヤキに馬をつないだという由来から「駒つなぎの
ケヤキ」と呼ばれ現在に至っています。
このケヤキは、推定樹齢1000年で埼玉県下でも最大級の大樹です。
幹廻り 7.9m (今では更に大きくなって8。56m以上だとか)
樹 高 27.9m
枝張り 34.3m
平成二年三月 埼玉県教育委員会
秩父市教育委員会
龍神木の由来です
当社縁起によれば、この社には奈良時代より八大龍王神と宮中八神(大宮売神・高御産霊神・神産霊神・
生産霊神・足産霊神・玉積産霊神・御食津神・事代主命・大日如来が習合)が祀られていました。この大け
やきには空洞があり、昔から「洞木」・どうぎと呼んで、龍神の棲家(すみか)であると云われてきました。
平成三年十二月三十日、元旦祭の準備のため当所茂木武以下数名の氏子たちが社殿の清掃していたとき、奉
安してあった御神体(龍の彫り物)がにわかに動き出し、周囲に突風が舞い起りました。そこに居合わせた宮
司も氏子も一斉におどろきの声をあげました。風は竜巻きとなって大空を駆けのぼり、やがて大けやきの空洞
のあたりに消へていきました。一時三十分のことと社誌には記されています。
万物の生命を授けてくださる龍神をもつと大切にしたい、という時代の要請に応へて、永い眠りから醒めら
れた八大龍王神がこの社に奉仕する人々に対して「歓喜=よろこび」を顕してくださったのにちがいない、と
人々は思いました。
この不思議な出来事をまのあたりにした宮司と氏子たちは、このことを記録にのこしました。
それからこの大けやきを「靇神木」と呼んでいます。 平成五年九月吉日建之
幹回り(眼どおり)8.56m 県下 平成三年十二月測定
南西側です
南側です
細石です
清流の滝です
役行者のお堂です
社殿前の鳥居です、社殿は小さく可愛いものです
社殿前からの駒つなぎのけやきです
では、次へ行きましょう