ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

山梨県身延町、八日市場「八幡神社のケヤキ」(市指定)です!!

2020-02-12 06:59:00 | 巨樹・大木
八日市場地区は、身延町役場の南約2kmのところ

国道52号線の西側の生活道路沿いに

参道を東向きに八幡神社が鎮座します

参道南側にある歴史民俗資料館の

広い駐車場を利用させて頂きました


郷社八幡神社参道入口です


参道を進みましょう

鳥居です

手水舎です

拝殿です

本殿覆い屋です

説明版です
 八日市場八幡神社境内の指定文化財
■八日市場八幡神社本殿
    昭和39年5月12日 町指定
 創建は康治9年(1142)、京都の
男山八幡の神影を遷祀したので八幡神社
と称する。祭神は誉田別命、珠依比売命
、息長足志姫命。社格はもと郷社であっ
た。再建の記録として、正和元年(13
12)2月本社再建、慶安元年(164
8)7月前殿再建、宝永5年(1708)
6月社壇造立等の棟札の記録が残ってい
るが、今棟札は不明。現在の社殿は天保
14年(1843)4月再建されたもの
で、一間社流造り、破風表御拝彫物附、
檜皮葺。下山大工である下山村松木運四
郎宜絹、飯富村嶋村半兵衛玄良、下山村
望月松兵衛隠清の造営。文久2年(18
62)6月蛸屋(桁行3間、梁間4間)
を作った。
【下山大工】
 下山大工の歴史は鎌倉時代初期から中
期の頃に南部氏・下山氏・諸社寺造営等
を社会的背景として出発したものと思わ
れる。下山石川武重家には、日蓮聖人の
入滅(1282)後、六老僧の一人、日
興上人が身延を去り駿河に赴く際、同家
の先祖が同行し上人のため、「六坪の間」
を造作したのに始まると語り継がれてい
る。良材の得易いこと、耕地の狭小等の
自然的・社会的要因も下山大工発展の要
因となったことは戦国、江戸期の文献か
ら良く知り得る。
■ケヤキ
    昭和39年5月12日 町指定 
 幹周は6m以上あり、樹高も約30m
と巨樹である。昭和62年春突風のため
主枝が折れたが、なお樹勢は良い。大聖
寺や八幡神社の歴史を物語るかのように
古いもので、かつての荘厳さをうかがわ
せている。なお、ここ八幡神社にあるヤ
ブツバキとヒイラギは富士川流域でほぼ
自生の上限となり、小さいが北限として
は大きい。
  平成30年3月26日
         身延町教育委員会


境内社です

拝殿の左手に目的のケヤキです


拝殿前から見上げました

ケヤキの根元の境内社です

拝殿前のヤブツバキです

右側のヒイラギです

では、次へ行きましょう
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山梨県身延町、八日市場「大聖寺のケヤキ」(市指定)は切られてしまっていました

2020-02-11 06:37:00 | 巨樹・大木
八日市場地区は、身延町役場の南約2kmのところ

国道52号線の西側の生活道路沿いに

参道を東向きに大聖寺が有ります

参道脇にある歴史民俗資料館の

広い駐車場を利用させて頂きました


参道入口です

広い駐車場が有ります

高倉天皇 恩賜勅号 三守皇山 長光王院 大聖 明王寺です、長いですね~

参道脇の白い建物は

歴史民俗資料館です、残念ながら休館日でした


山門です

大きな切株が有ります、これがかつて目通り6,8mの巨木のものです

参道石段上から

鐘楼です

甲斐八十八箇所霊場 第三十五番札所です

本堂です

文化財説明版です
 国指定重要文化財
  木造不動明王坐像
    昭和58年6月6日指定
    所有者 南巨摩郡中富町八日市場
        大聖寺
    平安時代・像高84,4cm
 大聖寺は真言宗醍醐派の古寺で、新羅三郎義光
の開基と伝えられている。
 寺伝によると、本尊の不動明王像は空海の作で、
加賀美次郎遠光が宮中守護の功績によって、承安
元年(1171)正月、高倉天皇から下賜された
ものであるという。
 本像は両眼を見開き上歯牙で下唇を咬む等身大
の像である。頭、体部は桧の一材から木取りし、
細部まで一材から彫成するなど総体に古い様式を
踏襲している。
 太目の弁髪を垂らし、怒りの表情も穏やかにま
とめられている。丸味を帯びた顔、体のふくよか
な肉取りには藤原期の典雅な趣きがあり、平安時
代の都ぶりを示す美作として注目される。
 元禄・宝永・安永そして昭和と過去四度、江戸
(東京)に出開帳を行っている。
    山梨県教育委員会
    中富町教育委員会


庫裏の方が大きい建物です

では、隣の八幡神社へいきましょう
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山梨県身延町、大野「本遠寺の大クス」(県指定)です!!

2020-02-10 06:33:51 | 巨樹・大木
大野地区は、身延町役場の南約11kmのところ

国道52号線から県道813号線を南へ間もなく右側

地区の南端に本遠寺が東向き参道で有ります

JR身延線みのぶ駅の富士川対岸(右岸)に当たります

日蓮宗 大野山本遠寺は、

徳川家康の側室お萬さまの墓所があることでも有名です

境内の駐車スペースを利用させて頂きました


本遠寺の案内板が有ります、三つ葉葵と日蓮宗本山の文字があります

参道入口から山門を見ました

手水舎です

山門左側の鐘楼です

参道の銅燈籠です

正面に本堂です

本堂脇の通路の窓には家紋が描かれています

本堂前説明版です
 大野山 本遠寺 日蓮宗由緒寺院
   身延町大野
本尊-十界大曼荼羅
開山-心性院日遠上人(身延山第22世)
開基-養珠院お万の方
創立-慶安3(1650)年
 身延山第22世心性院日遠は慶長法難に際して
徳川家康の忌諱に触れ、後に赦免されたが刑余の
身で貫首の猊座に在ことを憚り、慶長13(16
08)年12月大野邑に小庵を構えて隠棲地と定
められた。
 家康の側室お万の局(養珠院妙紹日心大姉)は、
日頃より崇敬する日遠のために隠棲地に慶長19
(1614)年、長子紀州大納言頼宜と水戸中納
言頼房に命じて、堂塔伽藍を建立寄進して「本遠
寺」と号し、心性院日遠を開山と仰いだ。万の局
は承応2(1652)年8月江戸紀州邸にて逝く
や遺命によって遺骸は日遠廟墓と並べて葬られた。
 尓後、徳川家光の帰依を得て正保3(1646)
年寺領260石余を給付され、僧位の昇叙、緋紋
白袈裟紫衣着用を許された、歴代諸聖いずれも学
徳に秀で、6世要玄院日寬は裏山に水道を穿ちて
大野邑一円の田を潤し「穴掘り日寬」の名を後世
に伝える。
 また、不幸にも回禄の厄に遭い多くの堂塔焼失
したが、本堂・鐘楼は当時の様式を今に伝える建
造物である。
 身延匕面山の女人踏み分けの祖養珠院お万の局
を開基とすることから、女人信仰の道場として女
性信者の参拝が多く寺門栄えたが、明治維新に幕
府の朱印250石を返上したで経営困難を告げる
にいたる、よって歴代諸聖は鋭意これが復興護持
に務め41世釈日我代に宝蔵を建立、45世西尾
日豊代に植林事業を興し諸堂の改修に尽くし、漸
く旧態再現して現在に至る。
 国重要文化財
・本堂
 桁行5間、梁間7間の規模を持つ日蓮宗の本格
的な大規模本堂であって、慶安4(1650)年
の建立と考えられる。屋根を瓦葺きにするなど多
少の改変はあるものの当初の形態を良く伝えてい
る。
・鐘楼堂
 袴腰を付けず、柱を内転びとして一階を解放と
する珍しい形式の楼造鐘楼で、規模が大きく、組
部の絵様にもみるべき点がある数少ない貴重な遺
構である。
 県指定文化財
1、紙本墨書十如是御書   1巻
2、紙本着色日蓮聖人画像
3、木造釈迦如来立像附厨子 1基
 町指定文化財
1、養珠院殿墓
2、大クスノキ 樹齢推定330年
3、シダレザクラ 樹高約16m
    昭和61年11月
        身延町
        身延町教育委員会

参道の右側には目的のクスノキです

本堂側から

説明版です
 山梨県指定天然記念物
   本遠寺の大クスノキ
所有者 大野山本遠寺 平成24年8月30日指定
■ 幹根境界より1m上部の幹囲 7,30m
■ 根元(幹根境界)周り    6,75m
■ 枝張り 東西22,2m 南北17,8m
■ 樹高           19,00m
 クスノキ(樟・楠)は、クスノキ科ニッケイ属の
常緑高木である。5月から6月にかけて、白く淡い
黄緑色の花が咲く。樹皮は暗黄褐色から灰褐色。関
東地方以西、韓国の済州島、台湾、中国南部、イン
ドシナ半島に分布するが、古くから寺院や神社など
に植えられ自生の範囲が明確でない。枝葉を蒸留し
て得られる樟脳は防虫剤や医薬品等に使用される。
 指定樹の根部は広く張り、地上より約4mで三幹
に分かれている。元々5幹あり、北側の二幹は枯れ
た痕跡があり、その痕跡に周りは大きな瘤になって
いる。従って、根元周よりも上部の枝分れ部分の方
が大きい。主幹の内部は空洞になっているが、現在
、樹勢は旺盛であり上部で大きく枝を広げている。
本樹は寺の創建以降の植樹と思われるが記録はなく、
樹齢は300~350年と推定される。
 国内のクスノキは、鹿児島県蒲生町八幡神社の「
蒲生のクス」が樹高30m、幹囲24,2mと最大
で樹齢は約1500年といわれる。県内のクスノキ
は、富士川流域に巨木が見られ、すべて植栽木であ
る。身延町飯富の「八幡神社のクスノキ」は幹囲5
,15m、南部町内船の「八幡神社のクスノキ」は、
幹囲4,75mである。本樹は県下一のクスノキと
して平成13年に山梨の巨樹・名木百選にも選定さ
れている。((社)山梨県林業研究会)
 大野区では寺のご神木として崇められ、新年を迎
えるにあたり地域の有志が注連縄を張る。また、か
つて葬儀の際は葬列が本樹を中心に右回りに三回ま
わる習わしがあり、地元の人々と深く結びつきがあ
ったことが伺える。
  平成27年7月31日
   山梨県教育委員会・身延町教育委員会

本堂左脇から

北側から見ました

山門とクスノキのソバには井戸が有ります

養珠院お萬さま洗足の井戸です




本堂南側の石段の上には

文化財標柱です

説明版です


では、次へ行きましょう

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山梨県身延町、常葉「常葉日光社の大ケヤキ」(町指定)です!!

2020-02-09 06:46:01 | 巨樹・大木
常葉地区は、身延町役場の南東約5kmのところ

JR身延線ときわ駅東側を流れる

の二本の川の合流点そばに

常葉日光社が鎮座します

駅前の駐車場に車を止めさせて頂きました


JR身延線かいときわ駅です

駅前から目標の神社が見えました

駅前の橋を渡ります

上流側です

下流側です、橋の上からもケヤキの樹冠が見えています


橋を渡ってすぐを右斜めに入ります

ここも右斜めです

橋の手前を右に入ります

神社が見えて来ました

社殿への入り口のケヤキです

社殿前へ行きます

社殿前は直ぐに川の崖です

社殿前の川が参道だったようです


社殿の後側に目的のケヤキが有ります、裏側に回ってみましょう

社殿裏側のケヤキです

説明版です
 身延町指定天然記念物
   常葉日光社大ケヤキ
指定日:昭和61年9月12日
大きさ:目通り幹囲8,5m樹高16m
 常葉川と栃代川の合流点の岩板上の日光
社境内に生育しているケヤキである。1m
程離れて、幹囲3,5m、樹高16mのケ
ヤキと根が結びついているため、誰言うと
もなく、通称「夫婦ケヤキ」と呼んでいる。
樹齢は500年~600年と推定される。
この日光社は、鎌倉時代に常葉光季が若宮
八幡大神を勧請したといわれており。天文
年間に流失、また寛永4年(1627)に
も流されたため徳川家康を祀り、日光社と
した。
   令和元年9月18日
         身延町教育委員会



離れて見ました

では、次へ行きましょう


帰り際に川対岸の道路から見ました
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山梨県身延町、下山上沢「上澤寺のオハツキイチョウ」(国指定)です!!

2020-02-08 08:09:00 | 巨樹・大木
下山上沢地区は、身延町役場の南約6kmのところ

国道52号線沿い西側に上澤寺が有ります

国道沿い山門北側の駐車場を利用させて頂きました

(本国寺のすぐ北側にあります)




駐車場に説明版があります
 法喜山上澤寺 日蓮宗久遠寺末
   身延町下山上沢
本尊-久遠本仏
開山-法喜阿闍梨日受上人、弘安5(1282)年寂
 甲斐国志及び寺伝によれば、当寺はもと真言密教で
あった。文永11(1274)年、鎌倉より身延山に
入った日蓮証人は、入山後まもなく小室山(旧増穂町)
の修験僧善知法印と法論した。
 法論に敗れた法印は、おもてに聖人へ心服を装い内
心聖人の毒殺を謀り当寺に来り、時の当寺住職、法喜
阿闍梨と共に聖人に毒餅を供した。これを看破した聖
人は餅を庭に投げ捨てた。たまたま庭へ入って来た白
犬がその餅を口にして倒れた。聖人はこの犬を憐れみ、
これを葬った塚に手書きの塔婆と、使用の銀杏の杖を
立て供養した。やがて、この杖が芽吹き成長して現在
の巨樹となった。
 聖人の毒殺を謀った両人は、この時、非を悔い聖人
の教えを受けその弟子となった。
国指定天然記念物
 上澤寺のお葉付きイチョウ
  根元の周囲  7,57m
  樹高    23,00m
  目通り幹囲  6,60m
 この銀杏は雌樹で、特に葉上結実が多く、お葉付き
イチョウと称される所伝である。
 枝が下に向って垂れるので、「さかさ銀杏」ともい
われ、葉や実が薬用になるところから「毒消いちょう」
とも称されている。
   平成27年10月10日
           身延町
           身延町教育委員会


参道入口から山門です

上沢寺です

南無妙法蓮華経の石碑です

手水舎です

鐘楼です

本堂です

オハツキイチョウは庫裏の北側です


オハツキイチョウは218年の台風で倒れてしまっています

倒れても尚幹から多くの芽を出しているようです

ヒコバエが大きくなっています

倒れる前の姿が有りました

日蓮上人像が見守っているようです

標柱です

では、次へ行きましょう
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山梨県身延町、下山本町「本国寺のオハツキイチョウ」(国指定)です!!

2020-02-07 06:15:38 | 巨樹・大木
下山本町地区は、身延町役場の南約6kmのところ

国道52号線の西側に本国寺が東向きに有ります

国道沿い山門北側に駐車場が有りますので利用させて頂きました



参道入口から山門です

大きな南無妙法蓮華経の石碑です

山門を潜ると本堂前に目的のイチョウが見えて来ました

鐘楼です

本堂です

説明版です
 長栄山本国寺 日蓮宗旧久遠寺派
    身延町下山本町
本尊-日蓮奠定の大曼荼羅
開山-最蓮房日浄上人
開基-下山兵庫介光基
創立-建治3(1277)年
 甲斐源氏・加賀美遠光の孫光重は建仁年間
(1201~4)下山に入部し下山小太郎光
重と称した。光重の子・兵庫介光基は文応元
(1260)年、館の傍に一宇を創し、平泉
寺と称し弥陀を安置した。
 光基の子・次郎は入道し後に因幡房白永と
称し比叡山修学のみぎり最運房と相知り、文
永12(1275)年最運房上人が身延山へ
参る途治、この館に一泊し、因幡房もともに
身延山へ登った。ここにおいて弥陀を離れ、
法華に帰した。しかし、父光基はこれに従わ
なかったが建治3年6月日蓮聖人は「下山消
息」を著して光基に寄せられた。これにより
日蓮聖人の門下となって法重房日芳の名を賜
わり、山号寺号の両号を現称に改めた。
 室町時代に入り、応永25(1418)年
の頃武田氏の一族穴山氏が河内に入部し、下
山氏館跡に居館を構えた。当寺と穴山氏の関
係は深く、境内にある穴山八幡神社は穴山信
君(梅雪1541~1582)を祀っている。
文化財
 国指定天然記念物
 ・本国寺のお葉付きイチョウ
   根元周囲     6,4m
   樹高      24,0m
   目通り幹囲    5,4m
 弘安5(1262)年秋深い日、日蓮聖人
持病いよいよ重くなり、常陸へ湯治にと向か
う途中本国寺に一泊したとき一本の銀杏を植
えられたのが現在の国指定天然記念物本国寺
のお葉付きイチョウである。
 県指定文化財
 ・磬 刻銘 和泉の国塩穴蓮華寺汁物
  延元4(1339)年5月23日とある、
鎌倉時代の磬の優作として知られる。
 町指定文化財
 1、下山城跡
 2、古仏高祖御厨子
 3、法華経開結 (十巻)
 4、刺繍の法華経(一巻)
 5、匠家雛型増補初心伝(六冊)
文化9(1812)年下山大工石川七郎左衛門
重甫著・甲州流堂宮大工の技術書
 6、木鼻の唐獅子一対
明治8(1875)年国重要文化財・睦沢学校
を建築した下山大工棟梁松木輝殷の作
    平成27年12月
         身延町
         身延町教育委員会



南東側から

天然記念物石碑です
説明書きです
  
  

本堂前(北西側)から

西側から

幹には大きな乳柱が下がります

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山梨県南部町、井出「井出八幡神社の社叢(タブノキ)」(県指定)です!!

2020-02-05 06:33:00 | 巨樹・大木
井出地区は、南部町役場の東約1kmのところ

富士川の左岸側になりますので北側の富栄橋を渡ります

県道10号富士川身延線を南へ、JR身延線いで駅を過ぎて

線路がトンネルに入ると県道からトンネル上に上がる道路で集落へ

左に曲がって集落内の沢沿いに防災倉庫が有ります

倉庫前の広場に車を止めさせて頂きました、歩いて行きましょう


南部町営ばす井出バス停です

防災倉庫です

防災倉庫東側のここから行きます

石段を上がって細い通路を登って行きます

茶畑脇を登ります

上側の道路にでます、先に神社の森が見せます

境内入口です

由緒石碑です
  井出八幡神社
由緒 建久年間 白水宇山伏沢金山嶺に建立
   天文2年 現在地井出村556番地
祭祀 正八幡宮 誉田別尊
   天白天神 天穂日尊
天九一号 昭和45年10月26日 県天然記念物指定
社叢 御神木 タブノキ 他58種
    平成12年3月15日改修



石段の上社殿前境内端に目的のタブノキです

説明版です
 山梨県指定天然記念物
  井出八幡神社の社叢
   昭和45年1月26日指定
   南巨摩郡南部町井出558
 この社叢は、本県の最南にあり、
タブノキ、カゴノキ、ヤブニッケイ
、クスノキ、キチジョウソウ、トキ
ワアケビ、サネカズラ、ツルグミ等
の暖地性植物が多く学術上貴重な社
叢である。
 社前東側のタブノキの規模は根廻
り11m、目通り幹囲6,37m、
枝張りは東西30m、南北27m、
樹高は35mである。
 カゴノキは、社叢の西端のものが
最大で、根廻り6m、目通り幹囲4,
5m、枝張りは東西12m、南北2
0mである。
 この2樹とも県下における名木で
ある。
   平成13年10月1日
      山梨県教育委員会
      南部町教育委員会





南側境内から見上げました、石段を上りましょう

拝殿前西側から

御神木です、タブノキ 推定樹齢300年 樹高31m 目通り幹囲6,5mの巨木です

本殿です

拝殿前から境内の木々を見下ろしました、タブの大枝が境内上へ伸びています

拝殿東側からタブノキを見ました

境内東側の斜面にも大木が在ります

境内西端のカゴノキです

推定樹齢300年 樹高22m 目通り幹囲4,4mの大木です

では、戻って次へ行きましょう


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山梨県南部町、福士「福士金山神社のイチョウ」です!!

2020-02-04 07:37:00 | 巨樹・大木
福士地区は南部町役場の南西約2kmのところ

国道52号線役場入り口信号から西へ県道802号線へ

工事中の高速道路の高架の下を潜ってトンネルを抜けると

間もなく福士川の橋を渡って左岸側へ

富川温泉の手前左手の田圃の先山際に

福士金山神社が東向きに鎮座します

神社手前の道路脇に車を止めさせて頂きました





道路左手にイチョウの大きな樹冠が見えて来ます

赤い鳥居の脚が見えて来ます

大きな幹のイチョウの巨木です

説明版です
 県指定天然記念物
   福士金山神社のイチョウ
     南巨摩郡富沢町福士字小久保
     昭和33年6月19日指定
 この木は、イチョウの雌木で県下でも注目
すべき巨木である。
 根回り12,7m、目通り幹囲8,85m
、枝張りは東西26m、南北25m。樹高約
30mである。
 地上約6mで数本の枝を南に出して、主幹
は南へ7度ばかり傾斜している。下方の枝か
らは、イチョウ特有の乳房を垂らし、樹勢は
極めて旺盛である。
 村人は、昔からこのイチョウの葉が黄色に
色づくのを見て季節の移りかわりを知り、秋
の田畑の仕事をしてきたといわれる。
   昭和46年12月 日
      山梨県教育委員会

(設置日付は消えてしまって不明でした)
山梨の巨樹・名木百選にも選定されています



鳥居です

拝殿の奥に本殿の社が見えます

鳥居前から

拝殿前から

境内端から幹を見上げました

大きな乳柱が下がっています

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静岡県静岡市清水区、穴原「大鳥(だいとおり)の椎の木」(市指定)です!!

2020-02-03 06:11:19 | 巨樹・大木
穴原地区は、清水区役所の北約17kmのところ

国道1号線の興津中町信号で国道52号線を山梨方面へ

新東名のインターチェンジを過ぎると間も無く穴原信号です

ここを左に入って穴原小学校を過ぎて又左に入ります

道なりに西へ進むと間も無く林道大鳥線です

砂利道に入って間もなく椎の巨木が現われます

林道わきに車を止めさせて頂きました

ここから林道大鳥線です

林道脇に大きな幹が見えて来ました

目的の椎の木です

変わった三角柱の天然記念物標柱です

静岡市指定天然記念物
  椎(大鳥の椎の木)
 平成28年8月の調査によると、
樹高28m、根周り9,9m、目通
り6,9mもあるこの椎の木は、古
くから土地の人々に「大鳥の椎の木」
と言い伝えられ親しまれています。
 椎はブナ科の常緑高木で暖かい土
を子のみ、初夏に開花、秋に実をつ
けます。
  昭和61年2月20日指定
    平成28年9月1日
    静岡市教育委員会

(沢沿いの広い場所に立っているので

台風などの強い風を受けにくいのか

背の高い見事な椎の巨木です)

南側から

幹の洞の中には大頭龍権現の石碑が祀られています

南西側から


北側(林道)から見上げました

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静岡県静岡市清水区、但沼「但沼神社の大樟」(県指定)です!!

2020-02-02 06:55:16 | 巨樹・大木
但沼地区は、清水区役所の北北東約10kmのところ

国道1号線の興津中町信号で国道52号線を北へ山梨方面です

興津川右岸台地上の国道を進むと但沼信号です

信号を左へ県道75号線に入ると直ぐに静鉄但沼営業所が有ります

駐車場の南側に古墳のような小山が見えます

ここに但沼神社が鎮座します、参道は南側になります

県道脇の広い所に車を止めさせて頂きました

静鉄但沼営業所前から但沼神社を見ました裏側です

静鉄但沼営業所前のバス沿線図です


但沼町ガイドマップです中段左に但沼神社が表記されています


参道入口から見上げるように目的のクスノキが見えます


境内です

神饌幣帛共進社 但沼神社です

説明版です






天然記念物樹木 樟の説明版です 

樟についての説明版です

静岡市の景観重要樹木標識です

石段上に拝殿です

拝殿左から本殿です

拝殿の右手から本殿です


本殿の脇に大樟が立ています

太い根が土止めのように成っています、目通り幹囲14,5mの巨木です

本殿裏側方向へ行きっましょう




本殿裏側を回って左側に来ました


本殿脇から見上げました

本殿です


境内西端の水盤です


傍らの祠です

では、次へ行きましょう
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静岡県静岡市清水区、承元寺「八幡神社のクスノキ」です!!

2020-02-01 06:38:00 | 巨樹・大木
承元寺地区は、清水区役所の北東約9kmのところ

国道1号線興津中町信号から国道52号線を山梨県方面へ

講堂52号線承元寺入口信号を斜め右に入って興津川左岸へ

おきつ川通りを北へ、3本目の路地が承元寺(寺院)の参道入口です

真っ直ぐに進むと八幡神社鳥居前です

そのまま鳥居前に車を止めさせて頂きました



参道入口ですここを右に入ります

正面に鳥居が見えて来ました、大きな樹冠も確認できます

八幡神社鳥居です

水盤です

石段上に拝殿がせまっています、石段を上がりましょう

石段上にも水盤石です

本殿です

説明版です
 村社 八幡神社御由緒
位置 承元寺区字下山648番地
祭神 誉田別命
 合祀 大山衹神 元 山神神社三ヶ社
    百足尊  元 大六天宮
    喤根尊
     元 社口社 元 水神社
社地 1反4畝22歩
氏子 承元寺区民一般
由緒 創建年代は奮記の徴すべきものな
  きも惟ふに今より一千数百年前たら
  しならん。
   享保16年辛亥年9月10日29
  2年前社殿を再建し後、明洛39年
  12月5日、6社を合祀し同42年
  10月28日現今社殿を新築落成せ
  り。
   大正9年1月有志十余名全区民の
  協力を得て石 表石燈籠石階段及び 
  参道の修築拡張を遂げ臨時祭りを行
  い敬神の誠を輸せり、古来氏子交番
  に神田お耕し獲る所を以て濁酒を醸
  して之を奉り氏子一同にも分かちし
  が今は甘酒を以て之に代す。
祭日 毎年10月17日
 無格社 八坂神社
祭神 素戔嗚命
由緒 創建年代詳ならず
祭日 奮暦6月15日
  大正11年10月15日
   学制頒布50年記念
  興津小学校承元寺部
大正10年度・大正11年度
   通学児童誌


本殿東側の境内社です

本殿左側には祠が集められています

本殿裏側の斜面に目的のクスノキが在ります

境内から見上げました


擁壁に「清水市指定文化財 天然記念物 大クス」のプレートです

下側のプレートには、大くす保護堰堤として擁壁が作られてようです

下から幹を見ました、目通り幹囲7,6mの巨木です

西側から


鳥居前左側には北川勇作氏頌徳碑です

右側には内藤鉄太郎氏頌徳碑です、ともに製餡業で成功された方々のようです

では、次へ行きましょう
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