説明書より「真光寺は、僧行基がもとを開き、その後、報恩大師が備前四十八か寺の一つに加えた真言宗の古刹で当初小滝山真光寺と称していたが、慶長7年(1602年)に心王院勢恵上人が御室仁和寺に招かれ、その際に仁和寺の別称である「御室」から一字を賜り、山号を御瀧山と改称した。」
岡山県備前市西片上1513
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仁王門(備前市指定文化財)
「文禄年中(1592~1596)に十萬屋良吾の寄進で建立したが、その後再建。現在の仁王門は、花蔵院宥敞が一山七坊を率いて発願し、大師講の男女130人が世話人となり、正徳元年(1711)8月に上棟、10月に完成したという。門の様式は三間一戸八脚楼門、欅、檜などの良材を用い、屋根は本瓦葺、入母屋造、軒は三手先に組んでいる。その規模、荘厳さはこの時代の特色をよく表わしている。」
仁王門と本堂などの建物は国道によって分断されていました。





鐘楼



本堂(重要文化財)
「桁行五間、梁間五間、単層、入母屋造、本瓦葺で正面に一間の向拝が付いている。寺伝には、応永年間(1394~1428)の再建とあり、昭和37年からの解体修理で、応永再建で三間堂から永正13年(1516)に五間堂に大改修したことが判明した。」






天神様(真光寺の守護社)






三重塔(重要文化財)
「方三間本瓦葺、邑久郡牛窓町の蓮華頂寺にあったものを慶長18年(1613)に移築した。創立は、その様式、手法などから、室町時代のものと思われる。」







大師堂

岡山県備前市西片上1513
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仁王門(備前市指定文化財)
「文禄年中(1592~1596)に十萬屋良吾の寄進で建立したが、その後再建。現在の仁王門は、花蔵院宥敞が一山七坊を率いて発願し、大師講の男女130人が世話人となり、正徳元年(1711)8月に上棟、10月に完成したという。門の様式は三間一戸八脚楼門、欅、檜などの良材を用い、屋根は本瓦葺、入母屋造、軒は三手先に組んでいる。その規模、荘厳さはこの時代の特色をよく表わしている。」
仁王門と本堂などの建物は国道によって分断されていました。





鐘楼



本堂(重要文化財)
「桁行五間、梁間五間、単層、入母屋造、本瓦葺で正面に一間の向拝が付いている。寺伝には、応永年間(1394~1428)の再建とあり、昭和37年からの解体修理で、応永再建で三間堂から永正13年(1516)に五間堂に大改修したことが判明した。」






天神様(真光寺の守護社)






三重塔(重要文化財)
「方三間本瓦葺、邑久郡牛窓町の蓮華頂寺にあったものを慶長18年(1613)に移築した。創立は、その様式、手法などから、室町時代のものと思われる。」







大師堂
