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當麻寺

2015-06-25 19:15:26 | 奈良
2015年6月23日、お参りしました。天気予報で雷雨が気になりましたが、雨には降られませんでした。當麻寺(たいまでら)は、大阪府と奈良盆地の西端に位置し、二上山の麓に位置しています。
奈良県葛城市當麻1263
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説明書
「當麻の名を知らせる名刹で、二上山のこんまりとした樹影を背景に静かなたたずまいを見せています。用明天皇の皇子麻呂子王が推古天皇20年(612)に河内に建てた万宝蔵院に始まりその後天武天皇白鳳11年(681)に麻呂子王の孫當麻国見が現在地に移してこの地方の豪族當麻氏の氏寺として整備したと伝えられています。金堂、講堂が南北に一直線に並び金堂南方両側に東西二つの三重塔が建ちさらに本堂、薬師堂、仁王門が独特の伽藍配置で建ち並んでいます。とくに古代に建立された東西両塔が完備している姿は全国でも當麻寺だけとして有名です。宗旨としては初め三論宗を奉じていましたが弘法大師が参籠してから真言宗にかわり鎌倉時代には浄土宗の霊場ともなり以降現在まで真言浄土の二宗を併立し八ケ寺の塔頭(寺院)よりなる珍しいかたちとなっています。また金堂にある弥勒菩薩像や日本最古の梵鐘をはじめ数多くの貴重な寺宝を今に伝えて国宝・重要文化財に指定されているものも少なくありません。ボタンの名所としても有名で四月下旬より境内にはボタンの花が咲き誇り落着いた雰囲気に色をそえています。五月十四日には、中将姫ゆかりの"練供養"が行われ全国から集まった参詣者たちで境内は大変なにぎわいとなります。」

中将姫の説明書
『中将姫は、奈良時代の右大臣藤原豊成公の娘で、幼くして母を失い、継母に育てられました。しかし、継母から嫌われ、ひばり山に捨てられてしまいました。その後、父と再会し一度は都に戻りましたが、姫の願いにより當麻寺へ入り、称賛浄土経の一千巻の写経を達成し、17歳で中将法如として仏門に入り曼荼羅(諸仏の悟りの境地を描いた絵図)を織ることを決意し、百駄の蓮茎を集めて蓮糸を繰り、これを井戸にひたすと糸は五色に染まりました。そしてその蓮糸を、一夜にして一丈五尺(約四メートル四方)もの蓮糸曼荼羅に織り上げました。姫が29歳の春、雲間から一条の光明とともに、阿弥陀如来を始めとする二十五菩薩が来迎され、姫は、西方極楽浄土へ向かわれたと伝えられています。「練供養」は、その伝承を再現したもので、毎年五月十四日に當麻寺において行われています。』

境内図

仁王門 (東大門)







鐘楼





境内

中の坊
『白鳳時代の開創に伴い、役の行者が開いた道場で、當麻寺最古の僧坊である。天平時代、十一世実雅上人が女人禁制を解いて中将姫を迎え入れ、弘仁時代には弘法大師の授法を仰ぎ、真言宗の道場となった。中将姫が剃髪したお堂には、姫の守り本尊「導き観音」が祀られ、特に女人の守り本尊として信仰されている。』





鐘楼と金堂(重要文化財)





講堂(重要文化財)



蓮池

護念院







本堂(国宝)











西塔(国宝)









西南院





境内



太子堂



糸繰堂

地蔵様

竹の坊

北門





奥院





































宗胤院














コメント
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